616段 道命阿闍梨がそまむぎの歌を詠む事


大納言道綱の子・道命阿闍梨が巡礼修行の旅をしていて、あるとき、都では口にしたことのない、木こりや炭焼き人が食するような食べ物を供されたことがあった。道命阿闍梨は食事を用意した山賤(やまがつ)に、
「これは何と言う食べ物なのだろう」
と訊ねると、
「そこいら生えておりまするソバ麦を挽いて練り、蒸したものでございます」
と答えた。道命は、


ひたはえて鳥だにすゑぬそま麦にししつきぬべき心地こそすれ
(鳥さえ近寄れないくらい一面に生えているソバだが、しし(=いのしし)は荒らしにくるだろうなあ。
鳥も来ないくらい荒れた土地に生えるソバだが、食べれば身体にしし(=肉)がつくかも知れないなあ)


と詠んだ。
飢饉の際の救荒穀物として、荒地で作られていたソバ。
当時のソバは臼で挽いて練ったものを蒸すソバガキか、粒のまま米に混ぜるか、丸めて団子にするくらいで、およそ味わうというより空腹を満たすためだけのかなりランク下の穀物だった。
そんな、鳥さえ見向きもしないソバだけど、食べれば少しは自分の血肉になるかなあ…そんな心境の歌だと思われる。




617段 禅林寺僧正深覚が瓜の歌を詠む事


あるみすぼらしい下衆男が、禅林寺の深覚(じんかく)僧正に「お供え物にでも」と瓜を4つ献上した。献上された瓜を見た僧正は、


凡夫やつ四果の瓜をぞ得させたる聖のつらにならんと思ふか
(仏の教えを知らない普通の人でありながら、四つの果物を私に与えたあの男は、聖人に加わりたいと思ってのことだろうか)


と歌を詠んだ。仏教の四果とは、四つの修行を実践して到達する四つの境地のこと。あの下衆男も、無意識ながらに仏の弟子の資格を得ているのかも…僧正はそんな思いで詠んだのかもしれない。




618段 長谷前々大僧正覚忠、粽の歌を贈答する事


長谷前々大僧正覚忠が、五月五日の端午の節句に人々に粽(ちまき)をふるまった。寺の軒や屋根に、邪気を祓うといわれる菖蒲や蓬(よもぎ)を葺いてくれた人々をねぎらってのふるまいだと思われる。このことを俊恵法師が聞きつけ、「私も当然、粽仲間です」と和歌を寄越した。


あやめをば外に借りても葺きつべし粽ひくなるうちに入らばや
(あやめは他所から借りてでも葺くつもりです。ですから粽をふるまってもらえる仲間にぜひ加えてもらいたいですね)


それに対して大僧正はこう返歌した。


はずかしや院のあやめをおきながら粽引く名の空にたちぬる
(院の屋根の菖蒲葺きよりも、「粽を配るらしいぞ」という評判の方が大きく広がっているらしいのですねえ。ああ恥ずかしいことです)




619段 知足院忠実の宴席にて道良が瓶子をとる事


知足院藤原忠実がまだ10代半ばの中納言だった頃、自邸に中納言藤原宗輔(父・宗俊の誤記だと思われる)を招き、筝の琴を習ったことがあった。朝早くから夕方まで熱心に稽古した。稽古が終わって宴席が設けられ、酒と肴が宗俊にふるまわれた。左大将源国信が給仕を務め、一同の酒膳をしつらえる。瓶子(へいじ)役は家臣の源道良朝臣。もてなす側の忠実が師匠の宗俊に土器(かわらけ)をさし出し、道良が酒を注ぐ。宗俊がいざ飲もうとするとき、道良は人を呼び、やって来た者と瓶子役を代わろうとした。呼び声に応じてやって来た者は藤原清実・源盛長・源有賢ら。だが、宗俊は、
「これこれ、今日は忠実殿の師匠である私をもてなす日だろう。どうして瓶子役を代わる必要があるのかね」
と言う。道良は、
「確かに仰るとおりでございました」
と答え、宗俊が飲み干した盃に引き続き酒をなみなみと注ぐ。忠実の師匠のご指名だぞといわんばかりに自慢げな顔の道良と、たいそうご機嫌で酔っている宗俊の様子に、傍に控えている人々は、
「あれあれ、道良殿のあの得意そうな顔ときたら。
忠実殿の祖母君は堀川左大臣殿の御妹君、宗俊殿の奥方は左大臣殿のお嬢様。権門に連なるお二方に退座を引き止められて、そりゃあ悪い気はしないでしょうよ」
とささやき合った。
道良は元来気位が高く、注目されて得意がる傾向の人物だ。左大臣俊房殿、俊房殿の妹君の婿君(いわゆる義弟)の京極殿(藤原師実)、俊房殿の弟君の六条右大臣顕房殿、俊房殿の異母弟の中宮大夫師忠殿などなど、要職の人物を交えた宴席には必ず傍に控えて歓待し、要人に注ぐ酒の瓶子を他人に譲らなかったそうだ。




620段 左京大夫藤原顕輔が証尊法印と連歌の事


正三位左京大夫藤原顕輔の屋敷に夜食が届けられた。その夜屋敷に詰めていた三井寺の僧のためのものだったと思われる。ところが、食べ物の上にきれいに飾られていた桜の花まで僧たちが面白がって食べてしまった。
それを見た顕輔卿が下の句を、


春の花えだして見せよかし
(桜の花枝を見せたまえw)


それを聞いた僧の証尊法印が一言、


さくらはむにはなにかたふべき
(とうに食べてしまったのに、今さら何を言ってるんですかw)




621段 左京大夫藤原顕輔が青侍と連歌の事


これも同じ顕輔卿の話。
晩酌していた卿が、酒の肴の「たたみめ」と「こものこ」を眺めて一言、


たたみめにしくさかなこそなかりけれ
(たたみめ以上に酒の肴にピッタリのつまみはないだろうな。=敷物といえばタタミ以上にふさわしいものはないだろうな)


それを聞いた家来の若い武士が一言、


こものこのみやさしまさるらむ
(菰(マコモ)の子(若い芽)だけはそれ以上に相応しいかと。=菰でつくった筵(ムシロ)だけはそれ以上に相応しいかと)


と応えた。
優れた歌詠みには、気の利いた句の詠める家来が相応しい。






 
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