555段 能筆で知られたぐうたら智了房の事 


少し前の話。『無沙汰の智了房』という者がいた。無沙汰とは怠け者の意味で、つまりこの智了房はぐうたらで、約束を守らないことが度々あったのだった。だがこの智了房はたいへん字がうまく、よく書写を頼まれていたようだ。
あるときこの智了房、『古今集』の書写を頼まれ、依頼主から本と料紙を渡されたのに、いっこうに手をつけずにいたことがあった。まったく仕事するそぶりを見せない智了房にしびれをきらした依頼主は、
「もういい、おまえに仕事は頼まん。とにかく本と料紙を返せ」
と言った。すると智了房、
「あいにく、ちょっと前に下痢をわずらいまして、尻を拭く紙が多く要りまして、その、手持ちの拭くモノがなくなりました時にやむを得ず…預かっておりました料紙を全部使ってしまいました」
としれっと答えた。
古今集の書写のための高価な料紙を尻を拭くために使われ、あきれてものも言えない依頼主だったが、
「りょ、料紙をそんなことに使うなんて…とにかく本だけでも返せ。預けた古今集の原本を返してもらおうか」
と言うと、智了房はこう答えた。
「それそれ、その本も下痢の尻を拭くのにみーんな使ってしまったんですよ。どうしたらいいんでしょうか」
依頼主はあいた口がふさがらなかった。
ぐうたらだの、ものぐさだのと色々と指さされる智了房だが、自分の始末は速やかに済ませる、しかもコトのあと先をまるで考えずに。
こんな愚かな者がいたという話であった。




第556段 元旦の使いにお年玉として鏡餅をやった雅隆の事


坊城の三位入道藤原雅隆のもとに、正月一日かわらけの使いがやって来た。窯業の地深草で神事用につくられた皿などを、家臣が主人筋の公卿に新年の祝いとして届けるのだが、この入道が屋敷を訪ねて参った家臣の使いに酒やご馳走をふるまい、供物の鏡餅をお下がりに与えたところ、使いがたいそう喜び、
「(閻魔様がお持ちの、人間の真の姿を映すという)浄玻璃の鏡のような、この美しい鏡餅を眺めておりますと、この私めの存在も世の中にくっきりと映し出され、公私ともに出世できる予感で一年が過ごせそうでございます」
と申し上げたとか。




第557段 坊城三位入道雅隆の五七日忌での説法の出来事


この入道雅隆が亡くなられたとき、大夫の阿闍梨で順望という僧が仏事を務める籠僧の役になった。
さてこの僧侶、五七日忌の説法で、
「本日は三十五日忌、新亡精霊昇沈の日でございます。死者の御霊は、牛頭馬頭ら地獄の獄卒たちによって閻魔大王の法廷に引っ張り出され、浄玻璃の鏡にご自身の生前の嘘偽りなき生涯が映し出されておいででございましょう」
と声を張り上げる。僧侶本人にはそのつもりはないのだろうが、亡き人を、裁きを受ける罪人扱いする説法に、親族関係者一同は若干しらけた気持ちになったとか。




第558段 嵯峨釈迦堂で僧の朗詠に孝道がお世辞を言った事


嵯峨釈迦堂にて仏事が夜通し行われたとある晩。
堂内はお参りの人でごった返していたが、僧侶が、
「経には題目たり 仏には眼(まなこ)たり知んぬ汝は花の中に善根を植えたりといふことを」
と朗詠していた。たまたまそれが聞こえた藤原孝道朝臣は、
「しみじみと風流な句でございますね」
と挨拶がわりにお世辞を言った。お世辞を言われた僧本人は鼻高々。孝道朝臣に向かってきちんと居住まいを正し、
「オホン。この名句はですな、琵琶の名手として世に名高い、楽所預の藤原孝道さまから直伝で習ったのでございますよ」
と得意げに言った。
当の孝道本人はもちろんこんな僧は知らない。僧の方も孝道の顔すら知らないだろうからこそ本人を目の前にしてぬけぬけと言えるのだろう。しかも、この句は中御門右大臣宗能殿や知足院師長殿の撰句集に入っているような名句でもない。
いずれにせよ何とも滑稽な話である。
(ただし著聞集編者・成季自身、当該句が和漢朗詠集所載の名句だったことを知らなかった可能性がある)






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