第433段 検非違使別家の女房強盗の事露顕して禁獄の事


大納言隆房卿が検非違使別当だった頃の話である。
ある時、白川にあるお屋敷に強盗が入った。そのお屋敷にずいぶん気性のしっかりした
家来がおり、勇敢に強盗一味と戦っていたが、どさくさに紛れて強盗の群れの中に入り込んでしまった。彼は、
「多勢に無勢、抵抗しても殺されるだけだ。このまま仲間のふりをして、略奪品を山分けする場所までついていって、強盗一味の顔や隠れ家をしかと確かめよう」
と考え、強盗たちについていった。
やがて強盗の一団は朱雀門の辺りにやって来た。彼らはここでお屋敷から略奪した金品を山分けし始めた。白川のお屋敷の家来は正体がばれなかったらしく、ちゃんと金品を分けてくれた。家来はその時、一風変わった者が強盗一味の中にいることに気づいた。とても並みのものとは思えないほど若々しく美しい者がいるのだ。見た目は20代半ばだろうか。胴腹巻に両手には籠手。長刀を携え、服装もとても強盗の下っ端とは思えない。その者の指図に皆が従っているところを見ると、やはりこの強盗一味の首領なのだろう。
さて、現地解散後、家来はこの首領らしき者の跡を付けた。
この者、朱雀大路を南にどんどん下り、やがて四条あたりまでやって来た時、突然この者の姿がふっと消えた。ここまで見え隠れしながら確かに跡を追っ来たはず、と家来は不審に思った。
この辺りは京の町中でも大きなお屋敷の立ち並ぶ一帯、目の前には検非違使別当大納言隆房卿の邸宅がある。その検非違使別当の西門で強盗一味の首領らしき者の姿が見えなくなったというのはどういうわけか。
「別当殿の屋敷の中に入って行ったとしか思えないぞ」
そう確信した家来は、そのままにしてとりあえず白川に戻った。
翌朝、もう一度現場に出向くと、昨夜自分が歩いた道に血の跡が点々と続いている。この血が隆房卿のお屋敷の門のところで終わっているのを見た家来は、
「昨夜自分が跡を追った者は、やはりこの屋敷の関係者に違いない」
と確信し、白川の屋敷の我が主人に通報した。主人は日頃隆房卿と懇意の間柄だった為、驚いてすぐに隆房卿に知らせた。もっと驚いたのは隆房卿である。検非違使別当である自分の屋敷に強盗一味が隠れているかもしれないからだ。だが屋敷の中をくまなく調べてみても、特に変わったところはない。家来が追った者の血痕は、屋敷の敷地内では北の対の車宿(くるまやどり)の辺りに残っていた。北の対には女房の部屋が多い。とすると、屋敷で召し使っている女房の中に強盗をかくまっている者がいるのではないか…怪しんだ隆房卿は女房たちを残らず集め、空いた部屋の中を捜そうとした。ところが、大納言という上臈女房が風邪を理由に部屋から出て来ようとしないのだ。
「怪しいことを言う。具合が悪いのなら誰かにおぶさってでも出て参れ。とにかく全員を部屋から出させるのだ」
大納言の君は自分の部屋から連れ出された。果たして、部屋には血の付いた衣装が隠してあった。床板をはがしてみると、高そうな調度類と昨夜の強盗が着ていた衣装が押し込まれていた。覆面もある。どうやらこれで顔を隠して夜な夜な強盗を働いていたらしい。自分の屋敷の使用人が盗賊の一味だという事に大変衝撃を受けた別当殿だったが、ただちに役人を呼び、大納言の君を投獄した。
その後大納言の君は顔もあらわに京の都を引き回され、この若く美しい女強盗を一目見ようと都じゅうの人々が集まったとか。




第434段 中納言兼光検非違使別当の時腰居の盗人内問事


中納言兼光卿が検非違使別当だったとき、下層庶民同士のちょっとしたいざこざがあった。家財道具のちいさな釜を、隣に住む腰居(=歩いたり立ったりできない人)に盗まれたと訴える者がいた。結局腰居の家から釜は見つかったのだが、腰居は、
「手で這わないと動けない私ですのに、釜を盗んで手に持ちながら逃げることなんてできませんよ。ぬれ衣です。誰かが盗んで私の家に置いていったに違いありません」
と弁明する。確かに腰居の言い分は正しい。だが被害者が、
「こいつが絶対盗んだんです!」
そう言い張るので、検非違使別当が直々に取り調べることとなった。ところが双方とも「自分が正しい」と言って聞かず、平行線のままいつまでたっても解決しそうにない。そこで別当兼光は一計を案じた。
「二人の言い分は判った。ところでだな、この腰居の話を聞いているとなかなか不憫ではないか。この際、盗まれた釜は身体の不自由な腰居にやってみてはどうじゃ」
別当の裁きに文句が言えるはずもない。被害者はしぶしぶうなずいた。腰居は大喜び、はれて我が物となった小さな釜を、何と自分の頭の上に置き、手でいざって帰り始めたのだ。
「あっ、あの格好を見てください!私の釜はやっぱりこいつが盗んだんです!」
被害者が叫んだ。
手で持てないなら頭に乗せて。腰居の悪知恵は露顕し、取り押さえられてしまった。




435段 正上座行快、海賊を射退くる事


弓使いで知られた正上座という僧侶が若かった時、三河国から熊野への旅の途中、伊勢国の伊良胡あたりで海賊に遭遇した。
海賊どもは正上座の乗る船に近づき「積み荷の米をよこせ」と脅す。正上座は取り次ぎの者をやって、
「この米は熊野神社に差し出す神聖な御米じゃ。渡すことなど出来ぬ」
と追い払おうとした。すると海賊どもは、
「熊野へ差し出す御米だからこそ、へりくだってこちらから声をかけたのじゃ。普通なら問答無用で奪っておるわ!」
と叫ぶ。武装していた正上座は船の舳先(へさき)に進み出て、
「どうしても、というのならかかって来い!」
と言った。頭に血が上った海賊の一人が飛び出してきて、正上座と「やあやあ我こそは」と名乗りをあげ始めた。海賊の船には多くの仲間がおり、彼らもやかましく名乗りをあげる。正上座がまず矢を放った。海賊はしゃがんでその矢をやり過ごした。が、すぐに立ち上がったところを次の矢に射抜かれてしまった。眉間を正確に射抜かれ、海賊はどう、とうつぶせに倒れてしまった。この矢次ぎの速さに海賊たちは皆驚き、
「いったい誰が矢をうっているのじゃ」
と騒ぐ。
「知らぬのか。強弓で名高い鎮西八郎為朝(源為朝)と血を同じくする正上座行快(ぎょうかい)とは我のこと。この辺りに出る荒くれどもは、おそらく熊野(神社)の下っ端の輩であろう。今のはほんの小手調べ。さあ次はどうしてくれようか」
と勇ましく笑う。これを聞いた海賊どもは、
「初めからそうおっしゃってくだされば、誰が襲おうなど思うものですか」
そう言い、大急ぎで回れ右してこそこそと逃げ帰ってしまった。




436段 後鳥羽院強盗の張本交野八郎を召取らるる事


後鳥羽院が在位だったとき、交野八郎という名の悪名高き盗賊団の首領がいた。あるとき、この八郎が今津(兵庫県西宮)に出没したと聞き、西面の武士たちを派遣させて捕らえようとした。
ところが、今上(後鳥羽院)はこの八郎の大捕物を見てみたいと思いつき、なんと今津までお出かけになられたのだ。だが、噂に聞こえた盗賊一味の首領だけあってしぶとく抵抗し、大暴れして捕らえられない。これを見ていた今上は、みずから櫂(かい)を取り、「捕らえよ」と大声で命じた。するとそれまでさんざん抵抗していた八郎は急におとなしくなり、ようやく取り押さえられた。
その後八郎は、今上の別荘の水無瀬離宮まで連行され、改めて今上と対面した。そこで今上は八郎に、
「おまえほどの悪名高き盗賊が、どうしてやすやすとつかまったのだ」
と問うた。八郎は、
「私に挑んで来る者は数え切れないほどですが負けた例(ためし)はございません。今回も西面の武士なぞ恐るるに足りませんでした。ですが、今上がお出ましになり、あのとてつもなく大きく重い櫂を、まるで扇をもてあそぶように片手で軽やかに扱われ、我を捕らえよとお命じになるそのお声、そのお姿を見た途端、逆らう気が失せてしまったのでございます。この御方にはとてもかなわない、私の運もこれまでだ、と」
と答えた。八郎の言い分に非常に気をよくした今上は八郎を許し、身近に召し使ったという。






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