598段 二条院の御時、南殿に変化の出る事


二条院が御在位だった頃の出来事である。ある年の新嘗祭、五節の舞が行われた卯日の深夜、南殿(紫宸殿)の東北の片隅を、主殿司が歩いていたところ、背後から誰かに頸(くび)の辺りを押される気配を感じた途端、主殿司は気を失い、その場に倒れこんでしまった。その時、手に持っていた指燭(しそく)が衣服に触れ、指燭の炎が衣服に燃え移ってしまった。命だけは何とか助かったそうだが、いったい何者の仕業だったのだろうか。
南殿で行われた五節の姫たちの舞をこっそり見ていた物の怪が、行きがけの駄賃とばかりに主殿司を襲ったのだろうか。




599段 承安元年7月伊豆国奥島に鬼の乗った船の着く事


承安元年7月8日、伊豆国奥島の浜に一艘の船が流れ着いた。嵐にやられた難破船かと島民たちは思い、浜へ向かったが、その船は浜より80メートルほど沖合いに縄をおろしていて、よくよく見ると、船の中で鬼たちが縄を海底の石にくくり付けている。その鬼たちはざぶざぶと海に入り、なんと浜の方へと向かって来るではないか。恐れをなした島民たちは、その鬼どものご機嫌取りに粟酒をたくさん振る舞ったところ、鬼どもは馬が水を飲むが如く、がぶがぶと際限もなく無言のまま飲み続ける。
身の丈2メートルを超える大鬼たちは皆、髪は
夜叉のごとく、肌の色は地獄のように赤黒く、目は猿のように愚かで、蒲(がま)の葉を組んだものを腰に巻いているだけだった。鬼たちはそれぞれ身の丈より少し小さい木の枝を持っていた。島人の中に弓矢を持っている者がおり、鬼たちはその弓矢を欲しがるそぶりを見せた。が、島人が渡すのを拒否すると鬼たちは怒って鬨(とき)の声をあげ、持っている杖で島人たちを襲い始めた。弓矢を持っている者から次々に打ち殺されてゆく。そのうち鬼は身体の中からふうっと鬼火を出現させた。島中の家に火をつけるつもりだ。皆殺しを恐れた島民たちは、儀式に使われる神弓を取り出し、鬼に射かけようとすると、鬼たちはその神矢に恐れをなし、ざぶざぶと海に走って戻って行くではないか。船に乗り込んだ鬼たちは、海風に逆らうようにして沖に行ってしまった。
3ヵ月後の10月14日、島民たちは遭遇した事件の経緯を書いた国解(こくげ=地方から朝廷への上申書)を作成、鬼が落としていった帯とともに国司に提出した。
その鬼の帯は、今でも蓮花王院に宝物として収められている。




600段 東大寺の春舜房が上醍醐にて天狗にさらわれる事


東大寺の聖人(しょうにん)春舜房は、上醍醐寺出身の高僧だが、上醍醐寺にいた頃、法華経を書写供養(=如法経)し、とある名山に埋置したことがあった。その時、くすんだ柿色の法衣を身にまとったおそろしげな男がどこからともなくやって来て、春舜房の腕をつかんで背負い、あっという間に空高く飛び上がってしまった。足元に下界が広がる。見たこともないような世界の広がりに息を呑む春舜房だった。そのうち彼は見知らぬ山の中へ降ろされた。辺りをよくよく見ると、自分をここまで運んだ法師とよく似た男たちが何人もいるではないか。それぞれがみな好き勝手にわめいている。そうこうするうち、頭領とおぼしき一人が、
「尊い坊さまらしき御方なのに、なぜこのようなむさくるしい場所にお連れ申したのだ。即刻お返し申せ」
と声を荒げる。すると、春舜房をさらった男本人が目の前へ現れ、また背中へ背負ったかと思うと、青空の彼方までぐんぐん飛び上がり、彼を上醍醐のもとの宿坊に返したそうな。
これも天狗の仕業である。春舜房聖人はたいへん不思議な経験をされたことだ。




601段 近江守仲兼、東大寺付近で僧の変化に出会う事


近江守仲兼は、父の主殿頭(とものかみ)光遠朝臣が法住寺を造営していたとき、毎日父を手伝っていた。その時出会った怪異である。
仕事が終わったある夜の帰宅途中、東寺付近を通りかかった時のこと。供人がみな牛車の前へ集まり、車の後ろは誰もいなかったのに、星明りに紛れて見知らぬ法師が一人、いつの間にか車の後ろをついて歩いていた。牛車の中にいた仲兼は、後ろの気配に気がつき不審に思った。すだれをかかげて見ると、その怪しげな法師は白い鎧直垂(よろいひたたれ)を身に着けて、牛車の速度に合わせて歩いている。見覚えのある顔だった。よく思い出してみると、その法師は以前父親のもとで召し使われていた雑用専門の僧侶で、次郎という名の法師だった。
「おかしい。たしか次郎は、つい最近父上に勘当されて、屋敷を追い出されたはずだが」
さては逆恨みで自分を襲いにでもきたか、と思った仲兼は、車中に備えてある刀に手をかけ、前で歩く供人たちには何も知らせずに車の後ろから躍り出て、その法師に向かって詰問した。
「そなたは次郎だな。なぜ私の後を尾ける。用でもあるのか」
次郎、と呼びかけられた途端、その者はみるみる大きくなり、夜空に吸い込まれるようにかき消えてしまった。やれやれ一安心、と仲兼が安堵した瞬間、空の上から何者かに烏帽子を叩き落とされた。仲兼はむき出しになったもとどりを引っつかまれ、空中に持ち上げられた。仲兼は空中に向かって突き上げるよう思いきり刀を刺した。確かに手ごたえがあった。
「やったぞ」
と思っていると、ほどなくして仲兼はもとどりを離され地面に叩きつけられた。
地面に落とされた仲兼の白い朝服は、血で真っ赤に染まっていた。
さて、この恐ろしい出来事に何も気づかなかった供人たちは、主の乗っていない空っぽの牛車で、のんきにも予定どおり父親の屋敷へ向かった。到着後、牛車の中がもぬけの殻だと大騒ぎになり、ようやく辺り一帯が捜索されることとなったが、捜索隊が発見したのは、刀を握り、血まみれで死んだように気を失っている仲兼だった。
家来たちはすぐに担いで連れて帰り、数日に渡って祈祷を続け、ようやく気力を回復したという。
その太刀は当時の法王(後白河院)に献上され、今も蓮花王院の宝蔵に収められているそうな。






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