672段 禽獣魚虫、皆思ふ有るに似たる事


空飛ぶ鳥、地を歩くけものや虫けら、水泳ぐ魚の数は途方もない。人と話すことはできないが、その一つ一つには心があり、それぞれが皆思いを持っているように見える。




673段 右近少将広継、大宰府にて龍馬を得た事


失脚した右近少将広継(藤原広嗣)が大宰少弐として大宰府に左遷されてしまったときのことである。
10月ころ、大宰府の街中でひと声に続けて七声いななく馬を広継は高値で買い取った。大事に育てているうち、この馬が俊足の龍馬(名馬)だということがわかった。広継はこの馬に乗って、午前中は大宰府で職務をこなし、午後は何と都に戻って朝廷での政務をこなしたという。
大宰府と奈良の都は1500里もの距離があるというのに、この不思議な馬はまたたく間にそれを駆け抜けた。龍馬を操る広継はただ人にあらず、ついには神となって鏡神社に祀られたのだった。




674段 桓武天皇は政務の後は衣冠を脱いで鷹と遊んだ事


鷹狩りを好んだ桓武天皇は、政務を済ませた後は衣冠を脱いですっかりくつろいだ格好で、鷹司の鷹を庭に放してエサなどをよく与えていた。狩猟を好む天皇にとって、それは大切な癒しのひと時だった。時には自ら愛鷹の爪やくちばしを手入れしたという。家臣への褒美の引出物は、昔は宮中の鳥曹司からこれら高貴な鷹や馬が下されたのだった。



675段 延喜の野の行幸で帝の愛犬が失せ物を見つけた事


醍醐天皇が鷹狩りのため山野行幸したときのこと。
守護としてたずさえていた御剣の鞘じりにはめていた石づきを紛失してしまった。
「ああ何ということだ。由緒正しき宝剣の石づきが」
あちこち探してみたが見つからない。困り果てた天皇一行が高台から野原を見下ろしていると、天皇の猟犬が石づきを口にくわえて天皇のもとへ戻ってきた。宝剣は無事元通りの姿になり、天皇はたいそう喜んだという。有名な話である。
この宝剣は雷鳴の時にはひとりでに鞘から抜ける、ともいわれてる不思議な剣である。京極の大殿藤原師実はこの剣を「絶対に抜くな」と非常に畏れていたが、ある人に抜かせてみたところ、刀のみねの部分に、『坂上宝剣』と金字が打たれてあった。その後この宝剣は知足院藤原忠実に伝えられ、白河天皇に献上されたという。刀を抜いた「ある人」とは藤原忠実とも、また白河天皇に献上したのは師実とも複数が伝えられる。
醍醐天皇の同母弟・敦実親王はこの宝剣を片時も離さなかった。



676段 承平の世の頃、狐の大群が東大寺大仏を拝した事


承平の頃、東大寺の大仏の前で数百頭の狐が礼拝しているのに驚いた人々が狐たちの後を追いかけたところ、狐の霊が追っていた人に憑りついてこう言った。
「長年この寺を棲み処にしている狐です。御本尊(大仏)がもうすぐ焼けてしまうのがおいたわしくて皆で拝んでいたのです」



677段 競馬(くらべうま)に負けたことを苦に死んだ馬の事


永延元年(987年)5月9日、右近の馬場で競馬(くらべうま)の五番勝負があった。三番目の勝負は、左近衛府生・下野公里が乗り尻(騎手)の甲斐穂坂牧場生まれの葦毛の七歳馬と、右近衛府生・三宅忠正が乗り尻の同じ牧場生まれのつき毛の九歳馬である。
結果は左方の葦毛の勝ちだった。
翌日、負け方のつき毛が病気でもないのに涙を流しつつ死んでしまった。負けたことがよほどくやしく悲しかったのか。




678段 一条院の鷹をひじの検校豊平がよく調教した事


一条院が帝であった時、大切に可愛がっている鷹がいた。ただこの鷹はまったく鳥を捕まえようとしなかった。鷹司の鷹飼いたちが調教してもまったく埒があかない。困ったあげく、この鷹を粟田口十禅師の辻につないで往来する通行人たちに見せた。ひょっとすると通りがかりにたまたま物知りがいて、何かいい知恵をつぶやいてくれるかも、と期待したのだ。見張りを立ててじっと待っていると、いかにもな田舎侍が通りがかり、馬から降りて、鷹がつながれているのをしげしげを眺めまわして、
「何とまあ極上の鷹がつながれてるじゃないか。しかし惜しいな、正しく訓練されてない。いくら並外れた素晴らしい鷹でもこれじゃあ連れて帰れないなあ」
と言って去っていった。
それを聞いた鷹飼いが彼を呼び止め、
「もしもし、それはどういうことなのでしょう。たしかにあなたの推察通り、これは特別な、実は帝の御鷹なのです。どうです、あなたにその気があるなら、首尾よく調教して帝のお褒めにあずかってみては」
と誘った。すると彼は、
「調教は簡単ですよ。というか、自分以外この鷹を飼い馴らすのは難しいでしょうね」
と乗り気だったので、鷹飼いは彼の宿泊先などを聞いてから、鷹と共に天皇の御前に参上し事情を説明した。喜んだ天皇はその田舎侍を召して愛鷹を預けた。彼は腕に鷹を留めて退出し、思い通りに訓練したあと、再び宮中に参上した。
彼が紫宸殿の前庭の池の水際で待機していると、やがて天皇がお出ましになった。彼が池に砂をまくと、その音に反応した池の魚たちに鷹が興奮して勇み立つ。その様子を確認した彼が鷹を放すと、鷹はたちまち大きな鯉を池からつかんで舞い上がった。それを見ていた天皇や鷹飼いたちは愛鷹の見せる初めての勇姿にたいそう驚き、訓練の経緯を訊ねると、彼は、
「この鷹はおそらく母親が『みさご』でございます。母鳥の行動を学びながら成長し、その後父鳥の鷹が狩り方を教えるのです。皆さまその辺りをご存じなかったようで。みさごは水辺で魚を獲る鷹でございますから、まずそこからきちんと段階を踏んで正しく調教すれば、これより以降は一羽だって逃がさない素晴らしく優秀な鷹になりますよ」
と答えた。
天皇はたいそう感心して、願い事があったら何なりと叶えようと言い、彼は、信濃国ひぢの郡に屋敷と田畑が欲しいと答えた。ひぢの検校(=荘園監督)豊平とは彼のことを指す。彼が宮中警備のための大番役に就くため地方から上京したときの話である。



679段 御堂関白道長、神物の牛を畏れる事


御堂関白(道長)が儀同三司(伊周)の牛車に同乗し、ある所に所用で向かっていた帰り、くねくね折れ曲がるややこしい辻みちを牛が上手に歩くのに道長が感心し、
「これは並大抵の牛ではないですね。どこで手に入れた牛なんですか」
と訊ねると伊周は、
「祇園感応院に誦経のお布施として渡された牛を、ある人が私に下されたのです」
と答えた。伊周の返事に道長は驚き、
「神仏への供物の牛ですと。そうとは知らなかった」
と自分の車にあわてて乗り移った。道長はそのまま伊周と別々に帰ったとか。神仏に捧げられた牛を使うことを畏れたのだ。





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