それぞれの矛盾


行成だ。
あいも変わらず忙しい毎日だが、諸用に振り回され己を磨く時間もないなどとほざくようでは、一人前の貴族は勤まらない。自分のことを無能とは思わないが、努力を怠るようであれば、すぐに足元をすくわれ、信頼を失うのは想像に難くない。ハイ・ソサエティで生き抜くためには、慢心せず、うわさ話に割り込まず(耳だけ立てろ)、面会を怠らず、借りたものははよ返せ、と師輔殿が書いている。多少息苦しい気もするが、まったくそのとおりだ。書に親しみ知識を蓄積し、信心の心を忘れず、日々精進することで、自分を引き立てて下さった俊賢様へのご恩返しにもなり、ひいては後世に名を残せる希望も持てるだろう。
私は常にこのようなことを心がけている。まあ、多少宮中の女官や女房には気のおける人物と思われてはいるようだが、…侮られるよりはずっとマシだな。


このように、日々身のまわりを清潔にして仕事をこなしている私だが。
もうひとりの蔵人の頭…相棒といっても過言ではない人物は、すすんで潔白さを求めてはいないようだ。だからといってドス黒い生活に浸っているわけではない。有職故実は他の殿上人に比べて抜きん出ているし、どたん場の状況判断もマネできないものを持っている。節会公事の際の押し出しは華やかで目立つこと宮中一だ。文句のつけようのない人物だが、私の目から見れば多少…イヤ、相当女人と関係を持っているようだ。『〜ように見える』だけならいいのだが。水面下での動きは以前から有名で、みめよい女房が出仕したとの噂をどこからか聞きつけては、うまいぐあいに対面の機会を持って自分をアピールし、良い印象をもってもらうことの努力を怠らない。
とにかくマメな男だ。あのマメぶりには本当に頭が下がる。『千のほめ言葉を持つ男』という異名は、あながちおおげさではないようだ。
その斎信が、最近荒れた生活を送っているらしいと気がついたのは、何がきっかけだったろうか。そっち方面の数をそれほどこなしてない私でさえも、はっきりとわかるくらい、乱れた夜の生活を送るようになった。毎夜、後宮女房のどこかの局に入り浸っていると思ったら、某宮家の上臈女房のもとに出没。しばらくそれが続いて今度は某大納言の上臈女房に通いだしたりする。とにかく『空き』がない。しかし狙いどころは見事で、いずれの通い所も才色兼備でプライドの高い女房ばかり。後腐れなくつきあっているようだし、二股はかけてないようだし、職務には差し障りなくきちんとこなしているので、こちらとしてもまあまあ安心していられたのだが、ある日、「鴨川の遊び女の小屋から出てきた頭の中将を見た」と、同僚から聞いた。それから、うらさびれた西ノ京のあたりを、徒歩で動き回る斎信を目撃したうわさや、某大納言の下臈女房のところにお泊りした話(ザコ寝の相部屋だ!)などが、次々と私の耳に入るようになった。
斎信。さすがに下臈女房はマズいだろう。頭の中将が下級女房に手を出したとあっては、そこの屋敷の上臈女房の怒りを買うに決まっている。かわいそうに、その下働きの女房、いたたまれなくなって屋敷から宿下がりするそうじゃないか。しかももう飽きたのか、一度も訪ねて行ってないって…。


「漁っている」という言葉が、今の斎信には本当によく似合う。もちろんホメ言葉ではない。一体彼に何があったのか。普段の彼とはまるで違う色好みぶりを、不審に思っている同僚も何人かいるようだが、直接本人に問いただした者はいないらしい。
私自身も一度も斎信を問いつめてはいないし、斎信の方からもこの話について何も打ち明けられた事はない。


斎信に、女の事で何かがあったんじゃないか。
なんでもないのに、急に女漁りに目の色をかえるとは、考えにくい。
プライベートなことに口出ししても、彼の事だ、うまいぐあいにかわされるに決まっている。せっぱつまってきたなら、そのうち彼の方から言ってくるかもしれない。公私にきっちりけじめをつけている以上、こちらから切り出すというのも失礼な話だ。
宮中で、自分の傍らにいる斎信には何の変化もみられない。陽気に話す笑顔も優雅なしぐさも、いつものそれだ。私の耳にまで醜聞めいたものが届いていることを、彼は知っているのだろうか。


斎信は何をそんなに血まなこになっているのだ?


ついにある日、斎信が公の場でこっぴどくふられた。
後宮の女御サロンに殿上人が何人か詰めていて、女房たちと談笑していた時の事。
何かの話から、小野小町に入れ込んだ深草少将の百夜通いの話に発展した。「男の情熱を数字で試すとは」など結構盛り上がっていたらしいのだが、女房の一人が突然、
「…そちらに端然と座っておられる頭の中将さまは、百夜通わせようとした小野小町のお話をどのように思っておられますか?『ひとりの女に続けて百夜など、愚かなこと』と深草少将を蔑んでいるのでしょうね。あなたさまなら、『毎夜違う女を百人斬り』できますもの。
このわたくしを、何番目に斬るおつもりなのでしょうか」
とするどい声でいい放ったそうだ。実際その上臈女房を7日ほど前からくどいていたのだが、聡い女房は斎信のこのところの乱行ぶりを知っていて、衆人の面前で斎信を拒絶したのだ。彼女の女房仲間がちょっと前に斎信に食われて捨てられており、復讐も兼ねて恥をかかせた、というところか。
緑薫る風が心地よかった廂の間が、一気に暗く冷たい北風が吹き込んだようになった。自分の評判を犠牲にして、公衆の面前で斎信にヒジ鉄をくらわせた女房は、そのまま奥の方へ入ってしまい、斎信はといえば、終始無言でその女房を見つめていたらしい。
すっかり座がしらけてしまい、というよりその場にいる斎信にかける言葉がなくて、否応無しにおひらきになった。
そんな話を聞いた。


「やあ行成。ひ・さ・し・ぶ・りっ」
先触れがあってしばらくしてから斎信が几帳の向こうから顔をのぞかせた。
斎信が我が家に来るのは久しぶりのことだ。
「いらっしゃい…って毎日宮中で一緒じゃないですか」
「君ん家に遊びに来たのが、だよ。…といっても20日ぶりくらいかな」
そう言いながら、用意された円座に座り込む。
ずいぶんとご機嫌だ。顔を見ると、なんだか少しほてったように赤い。
「斎信…飲んでるでしょう」
「えへ、わかる?やっぱ」
めずらしいこともあるな。ここに来る前からほろ酔いかげんだとは。
「家で少々ね。一人で飲んでても退屈だから、相手してもらおうと思ってさ、ほら、つまみ持って来たよ」
手にぶら下げていたカゴの中に、干し魚がいくつか入っていた。
「飲むのはかまいませんが、あと少し、これを読み終わるまで待ってもらえますか」
その間斎信は、なにかつぶやきながら鏡を見たり、厨子の中をのぞいたりしてヒマをつぶしている。
用がなくても来る事はしょっちゅうだが、話したいことがありそうなそぶりはカンの鈍い私にでもわかった。ひょっとしたら、ここのところのご乱行の原因がわかるかもしれない。では早いところ読書をきりあげてしまおう。


「急に押しかけて悪かったな。読書の途中だったんだろう?」
「いつもはそんなことおかまいなしに押しかけてくるのに、今日はまたずいぶんとしおらしい物言いですね。なんだか斎信じゃないみたいですよ」
あれから、読んでた本の内容がさっぱり頭に入ってこなくなった。斎信の存在が集中力を散らす。いつもはそんなことはないのだが。
認めたくはないが、私は斎信が悩みを打ち明けてくれるのを、ずっと待っていたのだろうか。
目の前に、彼がもってきた干し魚がいくつかに裂いて皿のうえに置かれている。香ばしくあぶられたそれが、食欲をそそる。


酒を飲み交わしながら、とりとめもなく話をした。どうでもいいような話ばかりだ。お互いが、大事なことをきりだしかねて相手の出方を待っている、といったふうに、なんだか妙な空気が流れていた。
ついに私のほうが、くだらないお天気の話なんぞに時間を費やすことにしびれをきらしてしまった。
「…後宮で、ずいぶん手厳しい扱いを受けたそうで。日ごろの華麗な頭の中将さまが唖然呆然だった、と耳にしましたよ」
―――ああ、もう伝わってるんだ。そうか。そりゃそうだよな」
こら。ため息つきながら自己完結するんじゃない。
「公衆の面前でなじられたのに、あまりこたえてないように見えますね」
「言われた私より、言った本人のほうが、あとでつらい思いをしてるんじゃないかなあ。サロンを引き立て女御さまを盛りたてるのが仕事の女房が、とりまきの男を衆人の中でこきおろしたわけだから、女房としては失格なわけだ。そこまで追い込ませてしまった、それが気の毒でねえ。悪い事をしてしまったと、返す言葉が見つからなかったよ」
追い込ませてしまったって、どういうことなのだ。女房の方が、斎信に入れ込んでいたということか?


「…女とはおそろしいな、行成」
「?」
「女のカンは、本当におそろしいものだよ…」
その沈んだ声に、私は斎信が見た目以上に精神的にまいっているのがわかった。口では平気なフリでも、やはり衆人の中でなじられるのは、おそろしい気になるものなのだろう。気の毒に。


―――最初はね、よく似ている人を好きになればきっと忘れられると思ったんだ。顔立ちの似ている人、心ばえの似ている人…違う、と感じたらすぐに乗り換えた。でもね、とてもよく似ていても、一部分でも違う面を見てしまえば、たちまち醒めてしまう。それでね、今度はまるで似てない人を好きになればあきらめられる、と思ったのさ。姿かたちも性格も、全く正反対なら比べようがないからね。比べる気持ちが起きなければ、そのうち忘れられる、とね。もう次から次にさがしたよ。でもだめだった。なんでこんなムダな時間を過ごしているんだろうって、逢瀬の最中にそんなことばっかり考えてさ。それも失礼な話だよね。
あの女房もね、無理やり押し倒そうとする私に、
『私の向こうに誰を見ておられるのですか、私は私以外にはなれませぬ』
と泣いていたよ。
最低だな。皆の前でなじられても仕方ないことを、私はしていたわけだ」


突然あふれだした言葉を不審に思い斎信を見ると、泣きそうな顔で私の方をみつめていた。こめかみから首筋にかけて、だいぶ朱に染まっている。
酒の入った瓶子(へいし)を振ると、軽い水音がした。
「斎信、飲みすぎですよ。私はそんなに飲んでいないのに、なんなんですかこの減り具合は」
「ええー提供してくれたぶんを飲んじゃだめなわけ?そんなしぶちんなんだな行成君は。あーしぶちんしぶちん。行成君はしぶちんちんだ〜」
そういいながら斎信は、ごろんと床の上に寝転がってしまった。両腕を顔の上に乗せたので、もうどんな表情をしているのかはわからない。


さっきの告白。
斎信には、とても、とても強く想っている人がいるようだ。
「忘れたい」って、あきらめなければならないような人なのか?どこか夫婦仲のよいところの北の方なのだろうか。そうでなければ、どこに頭の中将をいやがる家がある?何も問題はないはずなんだが。
斎信らしくない発言だ。何事にも攻めの姿勢で乗り越えていく彼が、この弱気さはどうだ。


そのまま彼は寝てしまったようだ。顔を覆っていた腕が、ズルズルと床に落ちた。


私が女人であれば、と思う。
もし私が長く美しい髪を持っていて、どこかにひっそりと隠れ住んでいる姫君だったら、同じように探し出してくれるだろうか。その「忘れられない」人を忘れてくれるだろうか。形の良いその唇で、私に愛の言葉をつむいでくれるのだろうか。


じつにくだらない想像をしてしまった。私は男だ。女人であったならなどと、万に一つの可能性もない。ありえないことは考えるだけムダだ。
彼のはずれかかった烏帽子をととのえてやる。楽にしてやろうと、首の部分の単(ひとえ)をゆるめると、酔った熱い吐息が手にかかる。


私も少し酔ってるのかもしれない。きっとそうだ。
でなければどうして女人に嫉妬などしようか。


(おわり)


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003/5/7




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