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魅惑ボイス


秋の終わりの9月のとある昼下がり、斉信と公任は同じ牛車に乗り合わせていた。
澄んだ空にさざ波のような雲が広がり、冷たい風が往来を吹き抜けているのがいかにも晩秋らしい趣きである。朝晩の冷え込みに美しく色づき始めた紅葉が高い築地の向こうにずらりと並んでいるのが見える。その中を、二人を乗せた八葉車はゆるゆると歩む。内裏から退出した彼らを乗せた牛車は、よく手入れされた木々を惜しげもなく植える都一番の超高級住宅街、二条大路の北の少し入ったところを歩んでいた。もっとも、広大な住宅地も豪邸も、名門中の名門出身の二人には見慣れたものだ。公務からの帰り道、特に酒が入っているわけでもないのに、二人の会話ときたら「夜はどっちがしつこいか」だの「おまえのいちゃつきぶりは目に余るときがある」だの「表向きだけ淡白ぶって女人を油断させるおまえよりマシさ」だの、木々を錦(にしき)の色に染め上げる龍田姫も避けて通り過ぎてしまいそうな、つまり非常に下世話でくだらない内容だった。
「人だかりが見える。何だろう」
斉信が物見窓の外をのぞきながらつぶやいた。公任は窓の方に顔を向けはしたが、特に腰を上げたりすることはなかった。斉信の口調も表情も変わらずにいたため、通行の邪魔になるような小競り合いをしているわけではないと判断したからだ。
「ケンカか?」
「いや、そんな雰囲気では・・・うーん何をやってるんだろう、男たちがこぶしを突き上げている」
その言葉に公任もようやく腰を上げた。同じく物見窓をのぞきこむと、往来のわきに7、8人の貧しい身なりをした男たちが寄り集まって何かしきりにわめいているのが見えた。興味を持った二人は牛車を止め、男たちのほうへ歩いていった。立派な牛車が往来のわきに横付けされ、男前の貴公子二人が降りて来たものだから、膝までたくし上げた麻の袴に擦り切れた直垂という貧しい雑人風の男たちはびっくりしてぼう然と見つめている。
「やあ、お取り込み中のところを邪魔して申し訳ないね。私は左中将藤原斉信という者だ。こちらは」
「私は名乗らずともいい。ちょっと尋ねるが、こんな往来でこぶしを突き上げて、いったい何をしているのだね。決起集会でもしているのか?」
「そうなんです!よくぞ気がついてくれました!」
『決起集会』という言葉に即座に反応したひとりの男が叫んだ。さして深く考えずに言った公任のほうが驚くほどだ。
「旦那さまがた聞いてもらえますか!私らはこの近くに住んでいるんですが、今度私らの家が取り壊されてしまうんですよ!」
雑人の言葉に二人は顔を見合わせた。
「ひどい話なんですよ。私らは、東三条殿(道隆邸)の軒下の端っこに、そりゃあもうお殿さまの目にも入らないようにひっそりと身を寄せ合って暮らしているんですが、先日立ち退き命令が出されたんですよ」
「何でも、お殿さまのお姫さまが一時的に里帰りなさるための家を建てるためだとかで」
「お殿さまのところの家来が今度地上げ屋を連れて来るんです。二束三文で土地を買い叩かれて追い出されるに決まっています」
「私ら貧乏人にだって家族も生活もあるんです。ですから、何とかお殿さまに考え直してもらおうと、直談判と言いますか特攻と言いますか、とにかく主張を聞いてもらいたくて、ここで練習していたんです」
ああ、あれだな―――公任が扇で顔を隠して斉信に耳打ちした。
『あれ』とは、年明け二月に行われる法興院は積善寺でのイベントのことである。
一切経供養に女院をはじめ国家のほとんどの重鎮たちが臨席するという盛大な行事だ。それに参加するわが娘中宮のために、関白道隆公は東三条院のすぐ隣にピッカピカの新しい宮を新築するという。
「・・・関白さまも無情なことをなさるよなあ。隣にひしめく貧家や小家をぶっ壊して、二月一日から二十日そこそこしか滞在しない中宮のために家を建てるなんてさ」
「常識的に考えれば、お屋敷の一部を改装すれば済む話なんだがな。
まあ、何ごともゴージャスかつデラックスにしたがる性質の御仁だから」
寒空の下にはした金で放り出される下層庶民が気の毒でならないが、だからといって私たちがどうにかできることでは―――
「・・・少しでも良いように土地取引が動けばいいが。右京に追い払われないようにとか、家族が離ればなれにならないようにとか」
「公任の言うとおりだな。
ところで君たち、どんな演説の練習をしていたんだい?除目だって申文(嘆願書)次第で地獄から極楽になることだってある。よければ演説指南してあげよう」
「ああありがとうございます〜。
我々は〜!
この不当な立ち退きに〜断固として抵抗するぞ〜!
まじめに労働する〜貧しい庶民を排除するな〜!」

「うん。なかなか出だし好調だ。で?」
「・・・」
「それでおしまいかい?」
「無学なもので、きちんとした演説が思いつかなくて」
「そうか。それではこんな風に言ってみてはどうかな。
背筋と首ははまっすぐに、肺にめいっぱい空気と気合を入れて。


・・・ぅ我々はァ!!!」
恫喝にも似た強い口調に驚いた公任は、手に持っている扇を思わず落としそうになった。
「腹の底から出る息を全部声にするつもりで。肩を動かさずに。


このォ!
不当極まる立ち退き命令に対してェ!
断固として!断固としてェ!
抗議するゥッ!!」

こぶしを握りしめ、熱い口調で叫ぶ斉信。
「のどを響かせるんじゃなくて腹筋を響かせてね。


同じ人間にも関わらずゥ!
ぅ我々はァ!
ボロをまとい寒さに震えているのだッ!
コメの食べ方も忘れたぅ我々のォ!
小さな寝床までェ!
奪ってゆくつもりなのかァッ!!」

日ごろ朗詠で鍛え抜いた自慢の声量をアジ演説に使うとは、恐るべしな斉信である。
「右京の腐った土地にィ!
ぅ我々をォ!
追い払うつもりなのかァッ!!」

握りしめたこぶしをついにブン回し始めた斉信。本人はまったく気づいてないようだ。
「声の高低や緩急も変化つけた方が、迫力が増して良いね。


涼しい顔でェ!
隣家の庶民を蹴散らかしィ!
私有財産を増やすウ!
腐りきった権力家に対してェ!!
ぅ我々はァ!徹底抗戦するのだァー!」

容赦ないほど豊か過ぎる声量に、通行人たちが皆立ち止まる。超高級住宅の中の人にまで聞こえたら非常にまずいんじゃないかとヒヤヒヤの公任だ。
「口調は最後まで明瞭に。


このォ!困難を乗り切るためにィ!
この辺りに住むウ!
貧しい住人の心をひとつにしィ!
共に戦い抜こうではないかァーーッ!!」

あまりの迫力に、男たちの間から拍手がわきおこった。
「健闘を祈っているよ。あ、コメの食べ方も〜ってところはもっと哀れさを強調したセリフを足してやるといいかもしれない。カマドに火の気はなくコメびつには蜘蛛の巣が張り、とかさ」
「土間にワラを敷いて寒さに震えていると訴えるのも、関白公の同情を誘えるかもしれないぞ」
「公任も貧窮問答歌でひらめいたのか。私たち気が合うなあ」
「あ、ありがとうございますう!うまくゆくかどうかわかりませんが、とにかくやれるけのことはやってみます〜」


「即興でよくあそこまで思いつけたものだ。本気で感心した」
腕を組んでつぶやく公任に、「どうだか」と斉信が笑う。公任も笑った。
雑人たちにエールを送り、再び牛車の人となった二人である。
「関白公が、供養式に出席なさる中宮のためにお屋敷ひとつ建ててやろうと思われたのは、財力にモノを言わせた単なる遊び心からだと思うんだ。権力者の指先一つで追い払われる民衆があまりにも気の毒だよ」
「関白公が下級庶民のために考え直すとはとても思えない。残念だが、十分な手当てをもらって、一家離散の憂き目に遭わずまともな家に転居できるよう願うことしかできないな」


彼らの予測どおり、その二ヵ月後には瀟洒な二条宮が新造された。
建築にあたっての豪華な設備・行き届いた調度類・家柄も立派な女房たちの選出などは、斉信たちの耳にも届いていたが、あっという間につぶされた小家に住むあの雑人たちのその後はわかるはずもなかった。


(おわり)


2008/6/20


・元ネタは、枕草子『関白殿、二月二十一日に法興院の積善寺という御堂にて』


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