■ 小 夜 衣 ■


<その八>



さて五節の当夜です。宮廷内の行事の中で、もっともきらびやかな催しものの一つである五節の舞の奉納には、公卿・殿上人が残らず参集し、舞が披露される豊明殿はとてもにぎやかです。
ほとんどの殿上人が集まっているわけですから、東雲の宮はもちろん出席しており、今上とともに舞を見る女御たちの付き添い女房として、対の御方も参加していました。
豪華な催しにふさわしく、あでやかな衣装を着こなした東雲の宮は、どこに居ても圧倒されるような美しさです。そんな宮を、御簾の向こうで見つめる対の御方。決して目で探していたわけではありませんが、花も紅葉も見劣りするような宮の美しさに、自然と目が吸い寄せられてしまったのでした。山里の家で別れて以来、初めて見る宮の姿に、対の御方はみるみる涙があふれ、これが夢なのかうつつなのか、周囲にいる大勢の女房たちの手前、取り乱さずに座っているのがせいいっぱいです。
こんなきらびやかな行事なのに、泣いているなんてヘンに思われるわ…と必死で平静を保とうとしても、胸がドキドキして抑え切れません。
一方の東雲の宮も、
「女御さまがご臨席だから、対の御方も控えの女房として召し出されているだろうな…梅壺女御はあの辺りか。御簾の向こうから私の姿は当然見えているに違いない」
そうわかっているので、顔色は冷静でも心の中は緊張と動揺でいっぱいです。
「…ご覧なさいませよ、東雲の宮さまのあの清らかなこと」
「拝見するたび、ますます光り輝くようなお姿になられることね」
「こんなあでやかで美しい人がまたとあるかしら。匂い立つ空気が御簾を通してこちらにまで伝わってきそうよね」
「でもね、水際だった美しさで何もかも恵まれた人ほど、現世の欲には無関心て言うじゃない?いつも思索めいてらして、もの思いばかり。あまりに落ち着き過ぎて、ご両親の院や大宮様は毎日案じておられるとか」
「もの思いって、出家遁世の願かけでも?なんてもったいない。どなたか宮の御心を溶かす女はいらっしゃいませんの?」
「先日、関白家の二の姫と御結婚なさいましたけど、非の打ちどころのない姫君らしいのに、宮さまはめったにお立ち寄りにならないんですって」
「まあもったいない。ならば代わりにわたくしが一夜妻…」
「飛ぶ鳥落とす勢いの関白家の姫君にだって、宮はご不満なのよ。あなたが相手にされるわけないでしょう。けど、どれほど高い望みを心に秘めておられるのかしらね」
「軽薄な方じゃないものね。こちらからその気のあるそぶりを見せても、うまくかわされるばかりだし」
「そうそう、そのつれない所がまたいいのよねえ」
御簾の中から女房たちが口々に宮を誉めそやしています。それはもうたいへんな人気ぶりです。
まわりの女房たちがやかましく批評するのを聞くのもつらく、対の御方はとうとう耐え切れずに奥に引っ込んでしまいました。
そこらじゅうにいるやんごとない公達の中でも、ずば抜けた風情の東雲の宮。対の御方付きの右近の君や乳母子の小侍従は、東雲の宮をまったく縁のない赤の他人として仰がねばならないつらさに、恨み言を言ったり泣いたりしたことを思い出し、私たちでもこんなにつらいのに、姫さまのご心中如何ばかりか…とたまらなく淋しくなるのでした。


五節の舞のあとは管弦の宴です。昼と間違えるような明かりの中、名だたる殿上人や女房たちが楽器をかき鳴らし、華やかに夜が更けてゆきます。そんな中、ただ一人東雲の宮だけがしょんぼりと座っています。
「今頃御簾の内のどこかにいらっしゃるのだろうか…。ああ、こんな機会はめったにないのに、騒ぎに紛れてこっそり姫の局を訪ねてみたいな。だが、後宮にすっかり慣れてしまって、私のことなんか忘れているかもしれない。今さらのこのこ訪ねて行って、『どちらさまでしたか?』なんてとぼけられたら、二度と立ち直れないよ…」
とあれこれ悩んでいるうちに宴も果て、皆が次々に退出していきますが、まわりの動きにいっこうに気づかない宮は、いつまでもその場に座ったまま肩を落として考え込んでいるのでした。
「いいよなあ気楽な人たちは。思う存分扇を打ち鳴らし笛を吹き鳴らして。


心から よそにへだてて 月影を 雲居の空に 見るぞかなしき
(距離を置こうとしていたのは私なのに、あの人は後宮の彼方…はるか遠い人と仰がねばならないのが悲しい)


私も何の悩みもなく、思う存分楽しみたかったよ」
憂い顔の東雲の宮はこの上なくなまめかしく、御簾の向こうで見つめる女房たちは、
「ごらんなさいましあの憂い顔。たまりませんわね。どなたを想って、いつもあんなお顔をなさるのかしら」
とささやきあっています。
一方、東雲の宮の吟誦する麗しい声は、宴果てて局に下がった対の御方の耳にも、かすかに聞こえてくるのでした。途切れ途切れではあるけれど、風が運ぶ懐かしい人の声に、対の御方は端近で涙するばかり。山里の家に宮が来るたび、くり返しくり返し誓った愛の言葉と真剣な瞳は忘れるはずがありません。
「宮さまの愛から逃げ出すように山里の家を出てしまった。そんなつもりはなかったとしても、あの方を裏切ったことに変わりはないのだわ…」
いろいろなことが頭の中をかけめぐり、対の御方は一晩中眠れず、翌朝も「気分が悪くて」と言いつくろい、今上のお召しがあるにも関わらず、夜具をかぶり臥せったままでした。
対の御方が参上せず、退屈を持て余した今上は、
「どうしたのだろう。どう具合が悪いのだろう。ハッもしや、あまりの具合の悪さに実家に退出、などということになったら…」
と不安にかられて、我慢できずにとうとう対の御方の局を訪ねてみることにしました。
そのとき、ちょうど間の悪いことに、梅壺女御の御乳母子である小弁の君という側近女房が、対の御方のお見舞いに局を訪れているところでした。
驚いた表情で畏(かしこ)まる小弁の君と、心中あせる今上、そして対の御方。
一介の女房ふぜいの局を時の帝が訪ねて行った現場を、こともあろうに女御付きの側近女房に見られては、大変まずい事態になり得る…と察知した今上は、できるだけそっけない顔で、
「対の御方の気分がすぐれないとか。お加減は如何か」
と簡単に言い捨て、清涼殿へ戻って行きました。
小弁は梅壺に参上して、対の御方の局での一部始終を朋輩女房たちに説明しました。
「ええ、常日頃から何だか様子がおかしいなあってうすうす感づいていたのよ。今日の今上さまを拝見して、それが確信になったわ。まさか、いつもこんなふうに対の御方の局にお渡りになってらっしゃるのかしら。まあ、あの美貌はそんじょそこらにはありませんからね、今上さまがご執心なさるのもムリないとはいえ、あまりにも目立ち過ぎると困った事態になりかねないわよ」
「そうよね。私たちも何となく気がついてたのよね。対の御方は琴の名手だから、それで尋常でないほどお気に召しておられるだけで、よもやそれ以上のお気持ちは…と思っていたのだけど」
「これからは、ちょっと注意してお二人を見張る必要がありそうね」
「あら『見張る』だなんて今上さまに対して畏れ多いわよ。くすっ」
ひそひそ話のつもりでしたが、噂話は次第に声が大きくなるもの。近くに座っていた女御の耳に女房たちのおしゃべりは届き、
「そんな、あんなにおとなしそうな人が…でも小弁は私の乳姉妹で見てないようなウソは言わないわ。対の御方という人は、打ち解けて接してはいけない人なのかもしれない」
と思いこんでしまったのです。
さて、困った立場に追いやられたのは対の御方です。
「今上のお越しを、「いつもこんな風に?」とカン違いしたのではないかしら」
とも、
「これがもとで、同じカン違いされるならいっそのこと…と、今上が毎回お越しになられたりしたらどうしよう…」
とも、あれこれ悩みの深くなる対の御方。それでも、参上しろとの今上のご命令を拒否できるはずもなく、いやいやながらも重い腰をあげて衣装を整え始めました。


再三のお召しの要請に、ようやく清涼殿に参上した対の御方を見るなり、今上は笑顔満開。御方をこれ以上ないくらい近くによび寄せ、いろいろお話なさいます。控えている女房たちが、
「先ほどまで、灯が消えたような淋しそうな御顔をなされてたのにねぇ…」
とささやきあっています。一介の女房への執心やみがたく、ひたすらご機嫌をとろうとしている帝の図とは、第三者から見ると滑稽(こっけい)なもの。けれど、おおらかで素直なご気性の今上は、気持ちを隠すというのが苦手らしく、ご本人は何気ないふうをよそおっているおつもりでも、周囲の者にはバレバレ…とまでは言いませんが、カンづく者もいるのでした。
対の御方のそばで、手習いをする今上。


なかなかに 室のけぶりを 立てそめて 心のうちは 燃えまさりつつ
(室の八島の煙のごとく、恋焦がれる煙が立ち昇るようになりました。心のうちでは前よりいっそう恋の炎が燃えているのです)


「立ち昇る煙は、周りの者にも見えているとお思いですか?」
返答できず、今上のお言葉に気づかないフリをする対の御方。そのそぶりさえ愛くるしく、しっとりと露に輝く女郎花のようで、格別な魅力に満ち溢れています。その可憐さに、今上は、
「とても平静ではいられなくなりそうだ。この愛らしさを前にしては、隠そうにも隠しきれるものではないなあ」
と夢心地になるのでした。



その後も、今上はせっせと梅壺に渡っては、つれづれのなぐさめに楽器を合わせたりなさいます。対の御方に筝の琴を弾かせ、今上自身は笛を吹いたりするのですが、お二人の合奏を快く思わない女御は、今上に琵琶を勧められても手もつけようとしません。仕方がないので、帝付きの中納言内侍という、琵琶の名手の女房を梅壺に呼び出し、三人で合奏します。それぞれの楽器の上手が奏でる音ですから、のびのびとした麗しさに時の経つのも忘れそうです。中でも、対の御方のつつましやかに奏でる姿、筝の琴への髪のかかり具合などがとても優美で、今上は、
「何という美しさなのだ。それに、鬼神も泣かせるかのような琴の音。どうしてこう、何もかもすぐれているのだろう」
と不思議でなりません。
琴の音とその美しさにすっかり惑わされた今上は、とうとう笛を吹くのを止めてしまいました。対の御方に近づき、その華奢な手を取って、
「こんな華奢な指が、天にも昇るようなすばらしい音を奏でる。いったい誰があなたに教えたのか。お教えくださいませんか」
とふざけたようにささやくのですが、瞳の熱っぽさは恋する青年そのもの。周囲の女房たちも、今上の思惑に気がつかなかった頃は、
「音楽がお好きな今上さまのことですから、対の御方とのお話にも張り合いがおありなんでしょうね」
くらいに思っていたのですが、疑いを抱いてしまった今では、今上の一挙一動に注意して観察するものですから、
「ああ、やっぱりねえ」
「だから言ったじゃない」
「どう見ても、単なる御心遣い以上のものだわねえ」
「そういえば、以前もあんなことが」
「いやあねえ、目の前に女御さまが座ってらっしゃるというのに」
「女御さまもおいやでしょうね。腹心の女房なのに」
「どろぼう猫って思われているかもよ。ふふ」
と柱の陰や部屋のすみでああだこうだと噂しあっています。
対の御方が一番恐れていたこと、すなわち、同じ梅壺付きの女房たちの口の端に自分の噂がのぼり、ああだこうだとやっかまれることが起きてしまったわけです。


「もうご存知ですか?この部屋の女房たちのおしゃべりを」
ある日、対の御方付きの女房の一人が、他の女房たちが遠くに控えているときにこっそりと耳打ちしてきました。
「女御さまの御前でありながら、遠慮もなさらぬ寵愛ぶり、と皆がひそひそ話しております」
対の御方は、ああ恐れていたことがついに…と激しく動揺するのでした。
「私たちがどうこうできる御方ではございませんし、何事も気づかぬフリで過ごすにも限界がありますわ」
「こちらは何にもした覚えはありませんのに、こんな後ろ指さされる立場になるとは、不本意でございます」
と乳母たちもどうしてよいのかわかりません。
(私は今上さまに思わせぶりな態度をとったことなど一度もないのに。こんなみっともない噂をお父さまがお聞きになったら、どんなにがっかりなさることか。いいえ、お父さまより先に、女房の誰かが今北の方さまに告げ口するほうが怖ろしい。今北の方さまのことだもの、私が今上さまをたぶらかした、と事実をねじまげて受け取るに違いないわ)
右も左もわからないのに、相談できるような人の居ない惨めさで、わが身が情けなくなる対の御方です。
「このままどこかへ逃げてしまいたい。どうしてこんなもの思いをしなければならないの…」
と自分の局に引きこもって泣いていると、
「こちら(清涼殿)へ参上しなさい」
との今上からの催促が矢のようにやって来ます。
「気分がすぐれませんので」
と何度お断りしてもいっこうに応じない今上は、その日のお昼ごろ、お見舞いと称して、何とまた対の御方の局へとお渡りになったのです。
先日のお見舞いでは、女御の乳姉妹である小弁の君と偶然はち合わせしてしまいましたが、今度は誰もいないようです。けれど、女房たちは底意地の悪い者や好奇心の旺盛な者ばかり。柱の陰や近くの部屋から、
「ほらほら、お渡りになるわよ」
「ちょっとでも機会があれば…ってカンジね」
と息をひそめて様子をうかがっています。