■ 小 夜 衣 ■


<その六>



さて、按察使大納言のお屋敷では、来月入内予定の姫の準備に追われていましたが、父君の大納言は、山里の小夜衣の姫をちゃんとお迎えすることも忘れていませんでした。姫たちが、屋敷のどたばたに遠慮してしまうのではないかと心配していましたが、山里から出ることを決心してくれて、大納言はホッとしています。山里へのお迎えには、大納言の子息である弁少将と侍従が使者として立たれました。この二人の息子は、今北の方と直接血のつながりはなく、先妻(小夜衣の姫の母君ではない)との間の息子たちです。
山里の家では、心の準備はとうにしていましたが、いよいよ小夜衣の姫がこの家から離れるとなると、やはり悲しいのは当然のこと。尼上も、
「世間を捨てた尼でも、あなたと共に過ごした年月、どれほど慰められた事でしょう。娘(小夜衣の姫の母君)の形見とも思い暮らしてきましたのに…離れ離れになるというのはこんなに悲しいものなのですね。あなたと離れて、これからどうやって生きていきましょうか」
と泣きます。小夜衣の姫も、これが永遠の別れであるかのような気持がしてさめざめと泣き、泣き濡らした袖から顔も上げられません。


住みなれし 古巣をすてて 鶴の子の 立ちわかるべき 心地こそせね
(住みなれた古巣を捨てるなど、とてもそんな気になれません)


尼上の返しは、


もろともに 住みし古巣に ひとりゐて なれにし友を 恋ひやわたらん
(古巣に一人残った私は、いつまでもあなたを恋い続けるでしょう)


袖の雫が川になるほど涙を浮かべ、歌を交わす二人の姿。しかしいつまでもこうしてはいられません。悲しみをこらえて、尼上は姫の髪に別れの櫛(くし)をさしてあげました。こぼれる涙をそっと拭きながら、小夜衣の姫はお迎えの牛車に乗ったのでした。
姫君付きの女房として、山里の家から乳母の少納言・その娘の小侍従・右近の君・少数の女の童などが付き添います。普段から東雲の宮が山里の家の修理だけでなく、女房たちの衣裳やこまごまとした生活用品などに気を配っていたので、女房たちの装束も目劣りするものもなく、立派な都入りとなりました。
小夜衣の姫は気丈にも別れに耐えていましたが、いざ牛車が門を出ますともうだめです。家の中では尼上や女房たちの、
「ああ、これからどうやって暮らしていけばいいの」
「肩を寄せ合って慰めてきたのにねえ」
という泣き声が、いつまでもやみませんでした。


小夜衣の姫が大納言邸に到着しました。
車を寄せて今北の方がさっそく対面しましたが、小夜衣の姫のあまりの美しさに、北の方はもちろんのこと、控えている女房たち一同もびっくり、皆目を丸くしています。
今北の方は対面する前、
「しょせん山住みの猿同然の娘。我が姫が一番よ」
と思っていたのですが、朝露を含んだ女郎花のごとき姫の風情に、
「これは儲けもの。我が姫の女御参りに使えるわ」
と内心大喜びです。
幼いときから山里の小さな家で暮らしてきた身にとって、この大納言家はすばらしく豪華で眩しいほどです。大勢の女房たちの控える姿に、慣れない小夜衣の姫はどうしていいかわかりません。まるで別世界にいるような戸惑いを感じるのでした。
お祖母さまはどうしているかしら、東雲の宮さまからの手紙も来ているに違いないわ…と考えるにつけ、悲しさが胸に込み上げてたまりません。
夕暮れのもの悲しい空を眺め、晴ればれとしたお屋敷にふさわしい明るい表情など、とてもできない小夜衣の姫なのでした。
父君の大納言は、なにかと気づかってくれます。対面するたび、ムリに笑顔をつくろうとしている姫を、
「慣れない屋敷で…祖母の尼上が恋しかろうに」
と気の毒に思い、父親らしくこまやかな配慮で世話するのでした。その一方で、今北の方は、
「入内する我が姫の付き添い人としてぜひ」
と心の中で決め込んでいるのでした。
「ご覧のように、入内する姫を任せられる女房が見あたらないのですわ。この私も、内裏に居着いて姫をお世話するわけにもゆきませんし。小夜衣のお方も、この邸で慣れない生活をするよりは、いっそ後宮で宮仕えをなさったほうがよろしいではありませんか。我が娘にとっても小夜衣のお方は異母姉妹。ですから、腹心の上搶蘭[として、女御にお付けしてもよろしいでしょう?」
という今北の方の申し出に、大納言は言いました。
「尼君は悲しまれるだろうなあ。あの姫にしても、ついこの前まで山深い里で静かな暮らしを送ってきたのだ。宮中で大勢の人たちとつきあえ、と急に言われても途惑うだけだろうに」
「まあ。小夜衣のお方は意外にも、普通の都育ちの人より器量よしですわ。見た目や風情が申し分ないのに、それを利用、もとい、生かさない手はありませんわ。せっかくもって生まれた美しさを邸の片隅で埋もれさせるなんて、もったいないとは思いませんの?とにかく、我が姫のためにもよくお考えくださいませ」
今北の方の真意がようやくわかりました。大納言は悩みます。
「我が姫の付き添い女房としてか…。それで山里から引き取るのにあんなに賛同したのだな。だが北の方の言い分も正しい。山里やこの屋敷の片隅に閉じ込めておくには、もったいなさすぎる姫の美しさであることだ」
大納言の考えが変わるのは、あっという間でした。
ことの次第を、小夜衣の姫の乳母に伝えました。
「こうしてみてはどうか、と今北の方が提案しています。宮中の様子を見てみるのもいい経験ではないかと。この屋敷に引きこもってつれづれをもの思いで暮らすのも気の毒。もし、母が存命であれば、きっと宮仕えさせたいと願ったでありましょう。気が進まないのは承知していますが、思い通りにならぬのが世の常。これも前世からの因縁なのですよ」
小夜衣の姫は、父君の言う事に小ざかしく返事するなんて…と黙ったまま。乳母の少納言が、
「山里に長く生活しておりますと、そのような華やかな場所で暮らしていくことなど想像もつきませんが、ほかならぬ父君さまの仰せならば、どうして反対いたしましょうか」
と代わりに返事をします。
後宮で暮らすことなど想像すらしなかっただろうに、なんともお気の毒な提案をしてしまったなあ…と、大納言は胸が痛むのでした。



かわってこちらは東雲の宮。
宮は、小夜衣の姫をこっそりかくまう場所を準備したので、いつものとおりお手紙を山里の家に送ったところ、お使いの者が「大納言邸へ引っ越されたそうです」と手ぶらで戻ってきましたのでびっくり。
「なんだって!?そんな話は聞いてないぞ」
あまりの間遠(まどお)にこの私を見捨てたのか?それほどまでに思いつめていたのか?どうして事情のひと言も言わずに…頭が混乱して、茫然自失の東雲の宮です。
「父君のもとへ行ったなら、もう二度と逢えないのだろうか」
途絶えがちな逢瀬のときはできた我慢も、二度と逢えないと思うとこの身が引き裂かれそうです。琴の音だって、いずれ改めて聞く事ができようと信じていたのに、それも叶わぬ夢となってしまいました。
魂が半分ぬけだしそうな心地で何もする気になれないのですが、このまま引きこもってばかりだと、関白家の心配ばかりする両親がうっとうしく、ようやっとの思いで関白家に出向きますと、これまたおおげさすぎるほどのもてなしぶり。妻のいる華やかな場所は、傷心の東雲の宮にはまぶしすぎて、静かにくつろぐこともできません。
妻と対面しても、小夜衣の姫と比べずにはいられない東雲の宮。
「気高く上品で、いかにも権門の家に守られた深窓のお姫様と、かたやわびしい山里育ちの可憐な姫。気位高くどっしり構えた妻よりも、愛情こまやかに和ませてくれる山里の姫の方が、私は心が安らぐんだ。妻の前ではちっともくつろげない。ああやはり私には、小夜衣の姫が必要なんだ…」
婚家の、妻の息苦しさをはっきり自覚した東雲の宮は、自邸にこもりがちになり、誰とも顔を合わさないようになってしまったのでした。


頭の中は小夜衣の姫のことばかり。悶々とした日を送っている東雲の宮です。少しでもなぐさめになるのなら、山里の老人でもいい、姫のことを語り合いたい、真心をわかってもらいたい…そうは思ってみても、権門の家の婿君になった今では、そうそう気軽に出かけてゆける距離ではありません。
たったひとくだりの返事もなしに私の前から消えてしまった、この恨めしい気持をどこにぶつけたらよいのでしょう。
宮は人に言えない思いのありったけを、白くあたたかな色あいの手紙に書き尽くします。


『ひとすじに おもひすてぬる 心をば いかが恨みの すゑなかるべき
(わたしを嫌いぬいて捨てていったあなたに対して、恨み言のひとつも言ってよいですよね)


さりともと 契りし事を むなしくて ありしばかりを かぎりなれとや
(なにがあろうとも共にいようと誓ったのに、裏切るのですか?あの夜を最後に) 』


これ以上のものは書けないだろう、と出来ばえに満足した宮は、「必ずや小夜衣の姫にお見せしてください」と山里にこの手紙を送りました。
山里の尼君は、さっそくその手紙を大納言家にいる小夜衣の姫に届けます。宮の思いのありったけを込めた文面に、みるみる涙があふれ出る姫。
「ああ、恥ずかしがらずにちゃんと事情を伝えればよかった。こんなことになってしまって、何という情けない女だとがっかりされたことだろう。申しわけなくて、とてもご返事できないわ」
今さら事情を説明するのも気がひけて、返事が書けません。
来世までも一緒に…と誓った言葉だけが、姫の心の救いなのでした。



亡き母君の面影を宿す小夜衣の姫を見ていると、女君(小夜衣の母君)のもとに熱心に通っていた頃が懐かしくてならない大納言です。
「そういえば、母君もたいそう琴の上手だった。尼君が、孫娘にも同じように琴を伝授していればよいが」
大納言は、山里から引き取った姫の琴の爪音がどんなものか知りたくなって、月の明るい晩、姫のいる部屋へ出向き、琴を勧めてみました。
息子の弁少将などに笛を吹かせ、なんとかその気にさせようとしても、姫は恥ずかしがって手も触れようとしません。
「尼上はお教え下さらなかったかな?そんなことはないはずですよ」
と父君が強く勧めますと、姫はたいそうつつましやかにかき鳴らし始めました。派手にならないように、ひかえめに弾いていますが、その爪音はたしかに母君と同じすじのもの。しかも母君以上におもしろく魅力ある音色です。
「雲の上まで響くような妙音とはこのような音色を言うのだな。まさに名人の域と言ってもよかろう。これほどとは思いもよらなかった。容貌も才も、最上流の姫君と比べても何の遜色もない。それに比べて、来月入内する我が家の姫ときたら…ああ、あの姫の準備に奔走している私がなんとマヌケに見えることか。今上も、もの足りなさにガッカリされるだろうよ」
聞きなれない琴の音に惹かれて、今北の方も小夜衣の姫の部屋にやってきました。
「まあまあすばらしいですわね。我が家の姫も、長年琴をお教えしていますが、こんな音色で奏でられませんのよ。良いお師匠がこの屋敷に来てくださって助かりますわ。来月入内する我が姫のために、ぜひその音を伝授下さいな」
と大喜び。おまけにこの今北の方は、何事にも優れた小夜衣の姫を、新女御の付き添い女房にして、万事仕切らせればうまくゆくわ…とたくらんでいるのでした。



こうして忙しく日々は過ぎ、とうとう按察使大納言の姫の入内当日になりました。たいへん豪華なおしたくです。数日前に今北の方が小夜衣の姫のもとへやってきて、
「このお屋敷ですることもなく退屈に過ごされるよりは、思い切って宮中に出仕なさってはどうですか。気分も華やぎますよ。もしあなたさえよければ、このたび入内する我が家の姫の母代(ははしろ)として姫のお世話をしてくださったら、私たちも安心できるのですが。琴などもお教えくだされば、今上も喜ばれることでしょうし。
と言うことで、付き添いのほう、よろしくお願いしますわ」
などと言って、強引に決めてしまったのでした。小夜衣の姫の装束はもちろんのこと、ともに従う女房たちの衣裳その他まで、抜かりなく用意してしまったので、小夜衣の姫に、否やを言う隙(すき)はないのでした。
「いつのまにこんなことに…思いどおりにならないのが世の常とはいえ、華やかな宮中での生活なんて気が重いわ。でも、父君もそれがお望みなのかもしれない。ここに居ても、私はやっかいものなんだもの。逆らうことなんてできないわ」
とすっかりあきらめ、されるがままになっているのでした。


大納言夫妻は、何年も前からこの入内に我が家の命運をかけてこられましたので、どうしておろそかにするでしょう。世の中に、こんな豪華なおしたくがあろうかと皆が感嘆するほどで、女御付きの女房たちも、信頼のおける選りすぐりの美女たちばかりを三十人ほども用意し、またそれら女房付きの女の童・下仕えにも気を配り、衣裳の色目から薫物まで、少しでも今上の関心を惹くようにと、何から何まで最上品をそろえたのでした。
それらはみな高麗・唐土の由緒あるものから今様の斬新なものまで趣味のよいものばかり。それはそれは華やかな女御参りとなったのです。
さて、入内当日の夜になりました。たいそう華やかで品格のある参内でしたので、今上は、このたびの新女御にとても期待をかけていました。
「どんな人であろう。とびきり美人との評判だが」
今上は、さっそく新女御のいる御殿にお渡りになりました。
なるほど、相当心配りをしたと見え、控える女房たちは粒ぞろいの美女ばかり。その中に、ひときわ目立つ容貌をした人がいました。扇で顔を隠してはいますが、華奢な体つき、可憐な風情が夜目にもはっきりわかり、髪のかかり具合も上品で、目立たぬよう部屋の隅に控えていても、目を見張るような美人だとひと目でわかります。今上は、
「いったいどういう素性の女房だろう」
と不思議な気持になりました。その後、新女御にも対面しました。噂に聞いていたほどの美貌の持ち主ではありませんでしたが、不思議な上搶蘭[を見かけたこともあり、そこそこ満足して帰ってゆく今上でした。
清涼殿へ戻られたあと、今度は新女御が今上のもとへ上がります。
「入内の日を本当に心待ちにしていましたよ」
と睦言を交わす今上と新女御。お気に召されたのか、夜明けの時刻が迫っても、なかなか女御を放してくれそうにありません。
女御をお迎えに上がった大納言の子息・弁少将と侍従は、
「姫をお気に召して下さればよいが…」
と心配していましたが、今上は女御にご執心の様子。大納言の息子たちはホッと安堵したのでした。
女御が下がっていったあと、さっそく今上から後朝のお手紙が届けられます。


『つらしとも まだ知らざりし 鳥の音を このあかつきぞ ならひそめぬる
(一番鶏の明けの声がこんなにつらいものだったとは…あなたと別れた暁に初めて知りました) 』


季節にふさわしい紅葉襲の薄様に、流れるような見事な筆跡は、とても口では言い表せないほどめでたいものでした。苦労して入内させた甲斐があった…と、付き添っている今北の方は感激しています。
「こんな見事なお手紙がまたとありましょうか」
「あまりにご立派すぎて、何とご返事してよいのやら…」
「そうですわ。こういう時こそ対の御方の出番ですわ。対の御方は、それはそれは風情のある手蹟ですもの」
「そうね。今上へのお返事にふさわしい筆跡といえば、対の御方をおいて他にはいませんわね」
対の御方というのは、小夜衣の姫のことです。ここ後宮では、小夜衣の姫は『対の御方』と呼ばれているのでした。
対の御方は内心、
(こんな晴れがましい手紙なぞ書いたことすらないのに、いったい何をどうすればよいのかしら)
と困惑しましたが、今北の方の強い勧めとあっては断るわけにいきません。
「ぜひお願いしますよ。あなたの手蹟にかなう女房は、だれ一人いませんもの」
対の御方は、今上がお喜びになるような言葉が思い浮かばず、気後れしながらも、


『さぞなげに まだしらざりし 鳥の音を ならひそめぬる あかつきの空
(おっしゃるとおりですわ。こんなせつない、一番鶏の夜明けを告げる声を、私も初めて聞きました) 』


とだけ書いて、その場に置きました。それを包んで今上へのお返事とし、御使いの者への碌(ろく)として、立派な女装束に小袿を、作法にのっとって授けました。


新女御は梅壺を与えられましたので、これからは、梅壺女御とお呼びします。


御使いの者がたずさえてきた手紙をご覧になった今上は、その文字の墨の濃淡、流麗な筆の運び、当世風の若々しい筆跡にいたく感動しました。予想外に教養深い人なのかもしれない…と新女御を見直す今上。それに、あの華奢な上搶蘭[も気になるところだ…と思い、今上はその日の昼下がり、梅壺へお渡りになりました。
対の御方はこんなまぶしくも晴れがましい場所に気後れし、奥にいざって隠れてしまいたいのですが、今北の方が、
「逃げ回ってないで出て来なさいませ!」
と怒るので人前に出ますと、その姿は粒ぞろいの美女たちもかすむような美しい容貌。華奢でたおやか。目がくぎ付けになる今上です。
「ううむ、ただの上揩フ女房とも思えない。どういう素性の人なのだろう」
気になって仕方のない今上は、しばらくじっと見つめていましたが、ほどなくして女御と共に御帳台に入ったのでした。
御帳台の中で女御と睦まじくしても、今上はさきほどの女房がどうも気になって仕方ありません。目の前の女御は紅葉が夕映えに照らされたような、華やかで極上の衣裳を身にまとっています。けれど、先ほどの女房を見た今となっては、紅葉襲の袿も艶々とした衣も萩襲の華やかな小袿も、それほど女御に似合っているとも思えず、あの華奢な女房がしょんぼりと恥ずかしそうに、部屋の隅に控えていた姿の方が忘れられない今上なのでした。


それからというもの、あの謎の上搶蘭[の素性知りたさに、まめまめしく梅壺に渡る今上。夜はともかく、昼もその女房見たさに足繁く梅壺に足を運ぶ今上に、按察使大納言夫妻は大喜びです。
「こんなに御寵愛くださるとは、入内させた甲斐があったというものよ」
「願ったりかなったりですわね。この分ですと、おやや(御子)の顔も早々に見られるのではないかしら」
今上の真意は女御にないというのに、手を取り合って喜ぶ親の姿は哀しくも滑稽です。