×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。





   



■  小 夜 衣  ■


<その四>


さて、東雲の宮と関白家の二の姫とのめでたい婚礼に世間が大騒ぎしていた頃、ただ一人、女房である宰相の君だけが、小夜衣の姫のことを案じていました。
(世間がこれだけ大騒ぎしているのだもの、来世までもと誓った殿方が、身分のつり合った権勢の家の姫と結婚なさったという噂は遠からず山里の家にも伝わるだろうし、その時、この私が何も知らせてなかったら、どんなに恨まれることだろう)
と宰相の君はため息をつき、むごい事とは思いながらも、全てを山里の家の尼君と小夜衣の姫に打ち明けました。
「…とまあ、このようなわけでございます。けれどご心配なさいますな。世間と上手に折り合いをつけて渡って行かねばならないのが上流貴族の宿命。ここにおられる小夜衣の姫さまへの愛情こそが、東雲の宮さまの真実なのでございます。信じてくださいませ」
宰相の君の説得を黙って聞いていた小夜衣の姫は、けなげにも涙を見せまいと袖で顔を隠して耐えています。尼上が、
「卑しい身分の宿世などたかが知れていますが、このようなつらい話を生きているうちに聞こうとは思いもしませんでした。ですがよく考えてみますと、畏れ多くも高貴な宮さまがこのような卑しい家にお通いになるほうが常識にはずれたことだったと、ハッと胸を突かれる思いでございます。いつまでも嘆いていても仕方ありませんが、隠しおおせる話ではありませんし、私たちと宮さまの関係を、姫の父君の按察使大納言さまが聞きつけ、それが継母の北の方に伝わりますと、何とあざけられることやら…」
と泣きながらこぼすのももっともな事です。返す言葉も無い宰相の君は、
「宮さまは、けっして小夜衣の姫さまに愛情がなくなったわけではないのです。それだけは、それだけは信じてくださいませ」
と言って帰るしかないのでした。


その後宰相の君は東雲の宮と対面しました。
「山里の家ではこう申しておりましたが、私の不用意なうわさ話がもとでここまで話がこじれ、尼上に返す言葉もありませんでした」
「逢えなくなってからかなり月日が経っているだろう。いくら恨まれても弁解のしようがないよ」
東雲の宮はあれこれ思い悩みすぎて、日が暮れれば関白家の新妻のもとに行かねばならないのに、立ち上がる気もさっぱりおきません。
「遠い洛外であろうがどこだろうが、小夜衣の姫のもとへなら日が暮れるのも待ちきれずに、馬を飛ばしているだろうにな。草深い道をものともせずに」
まったく気のすすまない関白邸への訪問ですが、両親の気持に背くことも出来ません。新婚の背の君を待ち構えていた関白家では、東雲の宮を昨日にも増して大切にもてなします。名のある公達も大勢集まり、華やかな管弦の宴が始まる様子は、いかに新婦の父が新郎を大切にもてなしているかがわかろうというもの。それでなくとも今宵は新婚三日め。花嫁の父関白は、
「今夜は新婚三日めですな。夜が明けますと世間に認められた正式な夫婦として堂々と披露できまする。まことにおめでたいことで」
と顔を輝かせています。東雲の宮の方もそれは心得ていて、夜が明けても関白邸にとどまっています。几帳ごしに朝日が差し込んで、朝の光に照らされた二の姫は今が盛りの美しさ。身のこなしもあでやかさもまぶしいほどです。一方、山里の小夜衣の姫といえばただひらすら愛らしく清純で、柔和な美しさがにじみ出る姫。こちらが思わずかしこまってしまいそうな自信に満ちた二の姫の様子に、東雲の宮はくらくらと疲れを覚えるのでした。
二の姫のまわりに控えている女房たちも、実に見ごたえのある粒ぞろいの美女ばかり。衣裳の色合いにも工夫を凝らし、新婚三日めの露顕(ところあらわし。披露宴のこと)とあって、気合いの入れ方は相当なもので、衣の上質なこと、衣に描き散らした模様の美しさなどはとても言葉に尽くせないほどです。新婦の父である関白は、「何事も新郎の宮さまのお心に叶うように」と願っているので、庭の植え込みなども、嵯峨野の自然がそのまま植え込まれたのではないかと見誤るくらいの美しさ。室内の調度は言わずもがなでしょう。



その後も、両親の目や関白家の監視がきびしい事もあり、東雲の宮は山里の家を訪ねることが出来ないのでした。けれど、お手紙だけは絶えず差し上げるので、山里の家でも、
「来てくださらないとはいえ、愛情が途絶えたわけではなさそうですが、でも…」
と気を揉みながら過ごしています。尼上も、
「長生きし過ぎると、こんなつらい気持も味わうのですね。山深い住まいで勤行ひとすじに安らかに暮らしてきたというのに、こんな嘆かわしく煩わしいめにあって、数珠をどこに置いたかさえわからなくなって…耄碌(もうろく)が後世の妨げになるのでしょうか」
と嘆いています。姫は姫で、
「何もかも私のせいなんだわ。私の宿世が拙(つたな)いばかりに、お祖母さまにまでこんなつらい思いをさせてしまうのだわ」
と宮のつれない仕打ちよりも、尼君を悲しませていることのほうが、はるかに心の痛みになっているようです。
世間ズレしていない清純そのものの小夜衣の姫は、東雲の宮の愛の誓いを真剣に受け止めているのですが、夜更けに空を眺めたときなど、前栽の草木を柔らかく照らす月にますますもの思いがまさり、いつも以上に心細くて仕方ないのでした。
「同じ思いでこの月を見てくださっているのなら、何とかして来てくださってもいいのに…


さりともと 心のうちは 頼めども 待つにむなしき 数つもりけり
(必ず来てくださると信じているけれど、むなしい日々が積もっていくばかり)
独りでいるのはさみしすぎる…」



月日が経つのは早いもので、夏も暮れ、秋の初めになっても、東雲の宮は一向に山里の家を訪ねることができません。
「愛しい小夜衣の姫にどれほど恨まれていることだろう」
と枕も涙に浮くほど嘆き悲しむ宮。けれども、両親の心痛や婚家の非難を考えると、誰にも心のうちを明かせません。
望む女を手に入れられず、妙な成り行きからどうでもいい女と縁を結ばねばならないとは、自分の宿世もたかがしれたもの。今日こそ長年願っていた出家の思いを遂げよう、今日こそは、今日こそは…と、宮は毎日思いつめているのですが、両親の明け暮れの霊験新たかなご祈祷のせいか、どうにもままなりません。新妻のいる関白邸を訪ねる気すら起きず、うつろな面持ちで院邸の自室に閉じこもってばかりの宮を見かねて、母の大宮は、
「関白殿があれほど大切にしてくださるのに、何が一体不満なのですか。こんなに夜離(よが)れが続いて、あちらの二の姫に申しわけないと思わないのですか。今日こそお伺いするのですよ」
とやかましく言うと、返事に困った宮は、
「今日も気分がとても苦しくて」
と言い訳しながらもの思いにふけっているばかり。
秋の夕暮れ時、頼りなげにたなびく雲にわびしさを覚える頃、草むらの虫ももの悲しげに鳴き始めました。身体に穴があいて、秋風と共に松虫の音が通り抜けていくような切なさ。ああ、今頃は山里の家でも同じ思いで泣いているのだろうか…と宮は悲しくなり、


『 むなしくて 過ぐる月日の つらさをも 同じ心に 宿や待つらん
(むなしく過ぎてゆく日々がいかにつらいものか、山里にいるあなたも私と同じく、逢える日を待ってくださるのでしょうか) 』


と、お手紙を差し上げたのでした。
心情がそのまま手蹟に表れたような、こまやかな筆の流れ。見事な手蹟の手紙を受け取った山里の小夜衣の姫は、中身を見るや否や、涙で目の前が真っ暗になり、手紙の使者の「夜が更けてしまいますので、お早くお返事を」と言う催促の声も耳に入りません。ようやく、


『数ならぬ 身には待つ夜も なきものを おもひ絶えにし 心ならひに
(ものの数にも入らぬ私が、誰かの訪れを待ったとして一体何になりましょうか。あなたは私のことなどすっかりお忘れになって、私もそれに慣れっこになって…) 』


とだけ返事をしました。
東雲の宮は使者の帰りをいらいらと待っていました。返事を奪うようにして中を開けると、そこには小夜衣の姫の素直な心情が書かれています。
手蹟も表現の仕方も、いじらしく可憐な人柄をしのばせ、さっきまで呆けていた心もかき乱されるようです。あなた以外の誰に心を分けよう、忘れるなんてとんでもない誤解だ…と、胸が張り裂けそうな思いで返事を何度も見つめる東雲の宮。御前に控える女房たちは、
「手紙の使者のお帰りをじっと待っていらしたと思ったら、今度はお手紙の返事を下にも置かずに眺めていらっしゃるわよ」
「新婚早々からこんなではねえ」
「いったいどのような女に迷われている事やら」
「でもお気の毒でもあるわよ。ご自分の意思を通せないのって」
と耳打ち仕合っているのでした。


返事を受け取った翌日、とうとう我慢しきれなくなった東雲の宮は、有明の月がようやく山の端にのぼるような真夜中、山里の小夜衣の姫のもとへ出かけました。できるだけ人目につかないよう牛車ではなく馬で、供回りもごくわずか、服装もわざと粗末にして、京の屋敷を深夜に出発しました。
洛中から出るにつれ、立ちこめる霧に道も見えないほどです。けれど逢いたい気持はどうしようもありません。したたる露に下袴も濡れんばかりの萎え姿で、山里の家に到着したのです。
東雲の宮を出迎えた山里の家では、本当に久しぶりの宮のお越しにうれしく思う反面、
「権門の格式に釣りあった華やかな暮らしぶりをなさっている貴人に、くたくたの衣裳を着ている我が家の姫は、どんなにみすぼらしく映ることか」
とひどく恥じている様子です。
久しぶりに逢った小夜衣の姫もずいぶん面痩せたようで、今までにも増してすっきり清らかに見受けられました。もの思いの限りを尽くした小夜衣の姫があまりにもいじらしくて、逢えなかった数ヶ月をよくぞ正気で生きてこられたことよ、と東雲の宮は涙が止まりません。姫もこみ上げてくる思いに涙があふれ、抑え切れない泣き声をもらして泣いています。
声をあげて泣く姫に、「無理もない」とみずからの袖で姫の涙をそっと拭く東雲の宮。
「あれほど永遠を誓ったと言うのに何て薄情極まる男だろう、と憎まれても弁解のしようもありません。ですが、両親が無理矢理取り決めた縁談話。昼夜を問わない責めに、「否や」と言うことができなかったのです。
優柔不断でどうしようもない男と責められても仕方ありません。両親に中途半端に気がねしているうちに、言い訳できないほど間遠になってしまって…」
夜通し話し込んでしまい、はかなくも夜が明けてしまいました。
宮の従者たちが「早くご帰京を」と咳払いで催促するのですが、次はいつ逢う事が出来るのかと思うと、不安で不安で離れられそうにありません。
宮は朝日の差し込む障子を押し開けて、小夜衣の姫の手を取り一緒に端近くに出ました。朝のわずかな光が小夜衣の姫の美しさをいっそう引き立て、宮は、
「なんて清らかな姫だろう。この人以外は何もいらない。こんなふうに月や花を同じ心で一緒に眺めていたい。私の生きがいはただそれだけなのに…」
とため息をつくのでした。
空もどんどん明るくなり、帰京には決まりの悪い時間になりそうなのに、東雲の宮は姫の手を握りしめたまま、いつまでも離そうとしません。
宮はあれもこれもと姫に言い聞かせ、
「夜離れがあったとしても、私の真心をお疑いにならないように。誰よりも大切な愛しい姫。私を疑って泣くあなたのことを考えるだけで、私の胸は張り裂けそうです」
そう言ってようやく外に出ますと、夜明けの風がひんやりと頬を通り過ぎ、宮の心情をそのまま写しとったかのような心ぼそい空の景色。これでは別れの悲しみをまぎらわすどころではありません。


「おぼつかな いかにむすびし 草枕 なみだの露の かかる契りは
(泣くしかないようなあなたとの宿縁…どういうわけで結ばれたのか)」


東雲の宮はそう詠んで、なかなか帰ろうとしません。小夜衣の姫も、


「うらめしや いくよのすゑに 契りけん むすびもはてぬ あだし野の露
(あだし野の露のようなはかない身の上の私にとっては、逢えない日々が続いた挙句の果ての、あなたの誓いなんて…) 」


と返します。
いつまでもこうしていては、さすがにみっともない時間に京に戻る事になりそうなので、宮はしぶしぶ馬に乗って帰って行きました。
残された姫は、悲しい気持を尼上に見咎められてはますます尼上の病状が悪くなってしまう、と我慢しているのですが、宮と共に眺めた空に二人の涙が満ちているかのようで、昨日までは悲しみも紛れていた時もあったのに、久しぶりに宮に逢ってしまった今では、瞳も涙にふさがってしまいそうです。
山里の家の女房たちも、数ヶ月ぶりに見られた東雲の宮の美しい姿やふくいくとした残り香が半分うれしく半分つらく、主人の尼君や小夜衣の姫を複雑な思いで眺めているのでした。
一方、京の屋敷に戻った宮も、逢えない悲しみをこらえかねていた小夜衣の姫の姿が心に残り、まどろむことも出来ず、簀子(すのこ)の近くでいつまでももの思いにふけっていました。霧が淡くただよう垣根には色とりどりの花が咲き、山里の家の垣根に咲き乱れていた卯の花が思い出されてしかたありません。
庭の隅で咲いている朝顔に目が留まり、
「この花だって、美しさは朝のわずかな時だけ。あとはしぼんでゆくだけなのだ…」
と世の無常が思いやられ、「朝には栄華を開けども、夕べには無情の風に」など吟詠すると、あまりにすばらしい声が御前の女房たちの身にしみ涙を誘います。吟詠が両親の耳にまで届き、息子の心情を思うと父院も母大宮も胸が痛んで、
「権門の家の姫と結婚して、これでもう安心と思っていたのに。きっと山里の姫とか言う女のせいですわ。大事な息子がこんな鬱々と過ごすくらいなら、いっそしたいようにさせてやればよかったのかしら…」
と心配ばかり。
世間の普通の親も、同じように子供の事を心配しているのかしら、いえいえ子を思う親の気持は誰にも負けないわ、私たちが一番子供のことを愛し、心を砕いている…
『親ばか』という言葉がぴったりの、母大宮の言い分です。ご自分だけが「私ひとりがこんな思いをしている、子供の事を一番に考えているわ」とカン違いなさっているようです。