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■ 小 夜 衣 ■


<その十八>



帝の退位にともない、第一皇子の東宮が新しい帝になられました。次の新しい東宮には、兵部卿宮以外適当な人物が見当たらなかったので、特に反対の声も上がることなく兵部卿宮が立たれます。世に認められた正式な妻ではありませんが、山里の姫君はとうとう東宮の寵妃となったのです。一番喜んだのは、父親の按察使大納言でした。なんと言っても一族から国母を輩出できる可能性ができるわけですから。
「按察使大納言殿は運の強い姫をお持ちだ。もし大殿の二の姫が東宮(兵部卿宮)の正妻として健在ならば、日陰の召人(めしうど=お手つき女房)としての扱いしか受けなかっただろうが、その正妻もお亡くなりになり、今や東宮の寵愛を一身に受けておられる。これを幸い人と言わずして何と言おうか」
世の人々は口々に噂し合うのでした。しかもこの姫君、近頃すっかり体調を崩し食も細くなっていたのですが、それらはすべて御懐妊によるつわりのためだと判ったのです。悪阻に悩む姿も可憐な山里の姫君が、宮にはとても新鮮に映るのでした。
「昨日よりは今日、今日よりきっと明日の方が姫をもっと好きになっているだろうなあ。よくもまあ、一度でも姫のことをあきらめようなど愚かな考えを持ったことだ。それにしてもこのたびの帝の御譲位は…」
(御心の内を誰にも漏らすことなく、たったお一人で恋心に苦しみ続けた結果の御決断だったのかもしれない、我が身と比べるのも畏れ多いことだが、愛する姫の存在を言い出せぬまま引き裂かれ、生きる事さえどうでもよくなって親の言いなりに望まぬ結婚をし、不幸な結果に終わってしまった私には帝の苦しみがよくわかる…)
「譲位された帝は、これからもずっとあなたのことが忘れられないでしょうね。私はそのように拝察していますがあなたは?
ふふ、「御縁がなかった」の一言で片付けるのもお気の毒というものでしょうか」
恋の勝者の余裕の言葉に、どうして山里の姫君が「きっとそうですわ」などと思うでしょうか。あの優しい帝をないがしろにしたような言葉に、
「宮さまは、口に出すのも畏れ多い事ばかりいつもいつも仰います。まるで私を試すように。ものごとをきちんと考えない軽い女だからとあなどっておられるのが悲しゅうございます」
と言ってうつむいてしまいました。しかし宮にはそんなしぐさも何もかも、愛らしい動作としか目に映らないのでした。
山里の姫君のご懐妊により、ようやく今までの事情を知らされた院や大宮はどれほど喜んだことでしょう。
「俗世になんの生きがいも見出さなかった息子が、やっと生きる希望となる女君を見つけてくれたとは。しかも、我らの孫をお腹に宿しているとは何というめでたい宿縁か」
と姫のことを二つとない宝物のごとく大切にするのでした。


一方、東宮(=兵部卿宮)のかつての正妻だった娘(=二の姫)を亡くした大殿は、
「ああ、わが姫が元気でいてくれたらのう…ご寵愛の浅さ深さはともかく、東宮妃として何ら恥ずかしくない家柄なのだから、世間が納得するようなきちんとした形で丁重に扱って下さっただろうに…あまりにも短くはかない命だったことだ」
とため息の毎日です。東宮も折にふれては丁寧なお見舞いをしますが、大殿は宮の顔を見るなり恨みや口惜しさの涙があふれて仕方ないのでした。「東宮に恨み心なんてとんでもない」とはわかっているのですが、どこにでも生えている忘れ草(=子供)が自分の家には無いのが大殿には例えようもなく悲しく、
「子を思う気持ちほど悲しいことはありません。幼いときは早く大きくなれよと願い、大きくなれば最高の教養を身につけさせ、いずれは女御・后がねにと願っておりましたが、宮さまのたぐいまれなる美しさを見るにつけ、「わざわざ御所に差し上げずとも、この宮さまが我が姫に通って下さるだけで十分だ」と思い直すようになりました。
私にとっては自慢の姫でしたが、残念ながらあなたさまのご愛情は深いとは言えず…夜離れを恨み、「こちらが思っているほど、あちらは思ってはくれないようだ」とがっかりもし、たまにご訪問があると「ちょっとでも興味を持っていただけるように」と精一杯もてなし、すぐにお帰りになられた時は「このままでは世間の笑い者だ」とくよくよ悩み、毎日毎日何とかせねばと焦っているうちに、自慢の我が姫は死んでしまったのです。形見の御子さえも遺してくれずに。
私たち夫婦を慰めてくれるものはもう何もありません。泣き暮らしたところで誰も気にかけてくれる人もいません。ですから、亡き姫に縁のあったあなたさまを拝見しておりますと、まるで姫を見ているような気持ちになってしまいます。
こんな風に、我が子逢いたさに心は乱れ、あなたさまをお見かけするだけで涙がこぼれ。皆が私のことを間抜けな者と笑っているのがお恥ずかしい限りですが、ここまで親心を悩ませ続ける『我が子』とはいったい何なのでしょうか。もはや『我が子』ではなく、『恨むべき仇』となってしまったに違いありません」
と声を限りと泣き崩れるのでした。憔悴しきった大殿があまりにも哀れで、周囲の女房たちも、たった今二の姫が亡くなったような気持ちで泣き合うのでした。
ゆくゆくは東宮妃にもなり得た自慢の二の姫を亡くした大殿は呆けたようになり、関白としての日々の仕事もままならなくなっていくのでした。
東宮は、生前は一片の愛情も持てなかった二の姫でしたが、いなくなって初めて気づく感情とでも言うのでしょうか、ほんの少し歩み寄りさえしていれば、不幸になる人はいなかっただろうに、と亡き正妻の美点を思い出しては涙がこぼれるのでした。



さて、新東宮の決定後、次に人々が注目するのは東宮の正妃です。東宮の寵愛を受ける女君(山里の姫君)がいるとはいえ、世に認められた形で結婚した正妻がいません。妙齢の娘を持つ公卿たちは、
「大殿の二の姫亡きあとは、年齢も家柄も釣り合いのとれた我が家の姫と是が非でも」
と東宮の御乳母子の衛門の督に誘いをかけ、何とか東宮の興味を引き出そうとしますが、結果はさっぱり。ご懐妊中の女君に夢中の宮は他の女人との結婚なんて考えられないのでした。山里で見つけた姫君以外に特に好ましく思う女がいるわけでもなく、昔から何かにつけては色々な所で垣間見を楽しんできた宮は、
「最上級の女人の中にも山里の女君の清楚な愛らしさにかなう姫はいなかった。関白家の才色兼備の二の姫でさえ、かの姫の前では色あせて見えたよ。愛せないまま「ひどい夫」と恨まれ死なれたのが何ともつらかった。それを考えると、東宮としての体面だけで再婚するなんて、今はとても考えられないね」
と、とりつくしまもありません。
ところで、今回の事件をたくらんだ按察使大納言の今北の方とその娘の梅壺女御はどうしているでしょうか。女御付きの女房を後宮から拉致監禁したのが他ならぬ自分の母親だと発覚した後、女御はずいぶん肩身の狭い思いをしていたようですが、自分の方から宮中退出を願う勇気もありませんでしたので、自分がお仕えする帝が譲位したことに紛れて退出、そのまま自邸に引きこもってしまったのでした。父親の大納言は、心に深い傷を負った我が娘が不憫でならず、将来の幸せを約束されたも同然の御息所(山里の姫君)と同様に、こちらも見捨てることなく心からいたわるのですが、女御の母親・今北の方は四条辺りの昔の自分の家に閉じこもったまま。事件の経緯が世間にすっかり広まってしまいましたので、恥ずかしくて表に出ることができません。坂を転げ落ちるように暮らし向きもさんざん、行方不明の民部少輔に預けている自分の領地も知らない間に人々がむしりとっていくのが恨めしくてなりません。
その民部少輔も、京の町の片隅に逃げ込んでいますが、山里の姫君への恋慕が忘れられず、


「およびなき 雲のかけはし ふみ見ねど 涙浮き木に 袖くちにけり
(渡れない雲の架け橋のように、あの姫への想いは届かなかったけれど、私の袖は水に浮かぶ浮き木みたいに涙に濡れて腐ってしまいました)」


と詠んだのがおもしろおかしく世間に伝わっているのでした。
一方その民部少輔の妻ですが、今や夫をすっかり見限り、自分が救った東宮の御息所(山里の姫)のもとを訪ねますと、御息所や女房の小侍従、右近の君たちは、
「まことに、この妻がいればこその今の栄華なのですから」
と大切にもてなし、その身分に余るほどの待遇を与えました。情けあり勇気を持った行動が、結果的には民部少輔の妻の身も助けたのです。もしあのまま姫君たちを見捨てていたら、一庶民として埋もれていたに違いないでしょうが、幸せをつかんだ御息所がもっとも信頼する女房の一人としてこれから扱ってもらえるのです。
この妻とは血がつながっていませんが、民部少輔の連れ子も、大納言殿が、
「閉じ込められていた我が姫の手紙を橋渡ししてくれた子か。あの子は本当に絶妙のタイミングで手紙をくれたぞ。素直で機転が利く良い子じゃ。不憫な暮らしをしているなら召し出してやりなさい」
そう言って自分の小間使いとして可愛がるのでした。


いよいよ御息所の出産が近づいてきました。
御息所は、宿下がり期間中何不自由な過ごせるように玉鏡のごとく磨き上げた大納言邸へ退出していきました。見送る東宮にはこれから当分の間独り寝の寂しさ退屈さが待っています。
さて、宿下がりから出産、生まれた御子の世話に忙殺される予定の大納言邸の家政を取り仕切れる人が問題です。大納言の今北の方はあんな状態ですから家政はとても任せられません。ですが幸いなことに、姫君失踪の間じゅうずっと心配し力づけてくれた宰相の君のもとに大納言殿が通うようになり、ここにきてようやく落ち着いた家庭生活を送れるようになったのです。宰相の君の、御息所への献身ぶりはまるで本当の母親のよう。御息所も、本当に信頼できる人が母親代わりなので、心から安心して毎日を送れるのでした。
そうこうするうち御息所の陣痛が始まりました。母上(宰相の君)も父上(大納言)も祈祷のために名僧を大勢集め、上を下への大騒ぎです。東宮からの御使いがひっきりなしに来る中、夜中、たいして苦しむことなく無事に御子が生まれました。玉のような男の子です。大納言殿も知らせを受けた東宮もどれほど喜んだことでしょう。祈祷に参加した僧たちは、この手柄にたっぷり褒美をもらいホクホク顔です。
さっそく御所より若宮への守り刀が遣わされ、それをうやうやしく受け取る御息所の兄・弁少将の晴れ晴れした様子。産養いの儀にも、殿上人という殿上人が残らず駆けつけ、それはそれは盛大なものとなりました。


次代を担う新しい命の誕生で祝福される母子がいる一方で、同じ邸内の端では前帝の女御だった梅壺が鬱々と過ごしていました。御息所の暮らす辺りは一日中にぎやかで人々が大勢忙しそうにしているのに比べ、こちらは忘れ去られたように閑散として、梅壺はつらくて恥ずかしくてなりません。
「父上だって、将来が開けた御息所の方が大切に決まっているもの。あちらに集まっている大勢の人たちだって、私のことを何と噂していることでしょう。ああ。


つらしとも 人をばいかが うらむべき 身のうさのみぞ うきとしらるる
(他人を恨んでもどうしようもない、かえって我が身の運の無さを思い知らされるだけなのに) 」
梅壺の御乳母だって同じです。
「お育て申し上げた姫さまが、誰よりも幸せになれるようにと願ってきたのに、いつも部屋の隅っこで小さくなっていた人が東宮の皇子さまを産み、わたしの姫さまは生きている甲斐もないようなありさま。
どうしてあの時(対の御方に前帝が迫った場面)、娘の小弁や侍女たちの言葉を鵜呑みにして、そのまま今北の方に申し上げてしまったんだろう」
御乳母の愚痴に続けて「私のせいだわ」「この私に責任なんてないわよ」などと女房たちがぼやいているのもおかしな光景です。


新皇子の誕生を祝うさまざまな儀式は恒例どおり、かつ大変盛大に行われ、その後御息所は若宮と共に御所に戻られました。
御所での儀も例がないほどの贅沢さ、光る玉のように美しい若宮を可愛がる東宮の様子に、世間の人々は、
「今のところ他に有力な女御がいるでなし、なんとお幸せな御息所だ」
と言い合うのでした。



さて、新しい帝の治世は穏やかに過ぎていきましたが、ある時から帝が胸の苦しみを訴えるようになりました。たいした症状ではないと帝もおそばに仕える人々も楽観視しているうちに、症状がどんどん重くなり、皆が大騒ぎし始めたときにはすでに手の施しようがないほど悪化していたのです。
病気回復の祈祷など、さまざまに手を尽くしてみても一向に回復の兆しはなく、帝は日に日に衰弱していきます。今が見納めと覚悟した帝は父君の嵯峨院・母君の皇后(東宮の姉)と対面しましたが、
「我らを置き去りにしてなど…お願いだから逝かないでおくれ」
とひどく嘆きますので、帝自身も、
「親より先に死ぬ大罪を犯して、私は地獄へ旅立つのか」
そう嘆くのでした。
「御命を延ばすには、帝の位を降り、御髪をおろして出家なさると良いと、占いが申しておりまする」
と博士たちが奏上しますので、嵯峨院は、
「命には代えられぬ。ではさっそく」
そう考えましたが、おそばの人々が、
「二十歳過ぎのお若さでのご譲位など、あまりにももったいのうございます。ほんの少し剃髪なさるだけでよろしいではございませんか」
そう言って聞きません。たしかに帝は御容貌も心ばえも非常に立派な方ですので、譲位を惜しむ声はとても多いのです。
では近いうちに剃髪、その後譲位の儀を相談し、その際に新帝には現東宮が就き、新東宮には今の帝と中宮(左大臣の姫)の間の皇子を就け、と内々で定めようとしました。ところが帝の容態が急変、祈祷の効果もまるでなく、院は、
「惜しんで退位を遅らせたところで、亡くなっては何の意味もないではないか」
と泣く泣く帝の譲位を強行、ただちに出家させました。まだ若い青年の剃髪姿は痛々しいものがありましたが、受戒のおかげなのか、朦朧としていた意識がわずかに戻ってきた気配が出てきました。嵯峨院と母皇后は、尽きかけていた息子の命を仏が救ってくれたような気がして、安堵の涙が止まらないのでした。



新しい帝の誕生です。ついに兵部卿宮は東宮から帝位へ就いたのです。新帝は長年目をかけていた臣下への恩も忘れません。御息所の父親である按察使大納言は大将を兼任、その後大臣に出世しました。按察使大納言の息子、つまり御息所の異母兄弟である弁の少将と侍従はそれぞれ新中納言と宰相中将へ、それ以外の身分の低い人たち、すなわち、まだ兵部卿宮と呼ばれていた頃から忠実にお仕えしていた人たちはすべて何がしかの恩恵を賜ったのでした。
前帝の中宮が皇后宮になったあと、新帝の御息所が中宮に立つこととなりました。山里で埋もれていた可憐な姫君は、とうとう女人として最高の地位を手に入れたのです。人里離れた寂しい土地で育った姫君は、立派な家柄のお姫さまのような暮らしは知りません。父親の屋敷に引き取られてからは恐ろしい目にも遭い、命すら危ぶまれましたが、大変強く幸運な星の下に生まれた姫君はそんな逆境をはねのけ、見事に中宮の位に上りつめたのです。死にかけた姫君の脱出を助けた民部少輔の妻は、今や命の恩人としてすっかり信用され、命婦という結構な身分を頂いています。皆が皆、何とかこの命婦に気に入られ、中宮に取り次いでもらおうと必死の毎日です。その命婦の元夫の民部少輔は行方知れず。どこぞで法師になり下がったとか。かつての按察使大納言の今北の方のその後は、言わずともお分かりでしょう。
姫君の忠実な女房で、一緒に誘拐された右近の君は中納言の君に、同じく小侍従の君は内侍に、同じく姫の御乳母の少納言は三位の君にと出世しました。位が上がったことで衣装も何もかもが華やかになり、中宮の局は花が咲いたような明るさです。
そんな中、傷心の梅壺女御を気の毒に思った中宮は、何とか引き立ててあげようと、女御がもと住んでいた御所の梅壺に住まわせてあげました。梅壺の君は複雑な気持ちです。以前ここに住んでいたときは今上の女御という晴れやかな身分、今は中宮にお仕えする身分に成り下がってしまったのですから。
「お父さまが女御にして下さって梅壺を賜ったときは、『いつか皇子を、いずれは国母に』と私を頼みにしていたに違いないわ。なのに、物の数にも入らなかったあの姫が今や中宮、そして私はその中宮のただのお話し相手。人生って最初から決まっているものじゃないのね」
とため息の毎日だとか。
帝の最初の正妻だった二の姫を亡くした大殿は、
「自分はすっかり年をとったので関白職を引退したい」
と新帝に奏上するのですが、帝が、
「もう少し、私とともに政治を行ってください」
といって引退を許してくれません。おまけに大殿の息子たち、つまり故二の姫の兄弟たちにも身に余るほどの高い官位を授けたため、大殿は恐縮することしきりなのですが、
「長年関白職に就き、やるべきことはすべてやり尽くした」
と気持ちはすっかり燃え尽きてしまったので、ついに大臣(按察使大納言)に関白職を譲ってしまいました。考えてみればこの譲渡も自然な話で、大臣は中宮の父親で、かつ新帝の若宮の祖父に当たるのです。誰が見たって道理な譲渡なのでした。
その大臣の北の方、もと宰相の君と呼ばれた方は今では関白家を取り仕切る「北の政所」になられ、世間的にも大変重んじられています。かつての今北の方も猛々しい性根を抑え、もう少し大らかに過ごしていたら、みじめな境遇に堕ちなかったものを。


そうそう、幼い山里の姫君をずっと育ててきた尼上はどうしているでしょうか。我が孫姫が幸せをつかんだことで、病気もすっかり持ち直し、「人生まだまだ」と生き生きした日々を送っています。若いときは苦労もし、娘に死なれ孫は一時行方知れず。悲しい経験も喜びも見尽くし、惜しいとも思わなくなった命でしたが、生きがいだった孫姫が中宮という最高の栄誉を手に入れたことで、尼上はもう少し生きてみるのも良いかも知れない、と希望を持つようになりました。孫姫が産んだ若宮がいつの日か帝位に就き、自分の一族が末広がりに栄えていく。それを見届けたいと願う尼上です。


中宮はその後も姫宮・若宮と次々にもうけました。帝との前世からの縁がよほど深いのでしょう。あれから、女御や更衣が帝のもとに何人も入内しましたが、帝が真に愛するのは中宮ただ一人。「玄宗皇帝と楊貴妃の例もあるが」と世の人も噂し合うほどです。
帝と中宮の仲睦まじさが伝わるたび、嵯峨院は複雑な気持ちにさせられます。
「二人の愛情がこんなにも確かなものだとは…どうりで私にはそっけないそぶりしか見せなかったはずだ。帝位を投げ出したくなったのも、あの頃から対の御方(現中宮)の御運が上を向き始めたからなのだろう」
恋の迷いに取りつかれていた自分を反省する嵯峨院でした。


それから何年も経ち、帝と中宮の御子たちは皆美しく成長しています。女一の宮は東宮女御に、その他の宮たちもこれから幸せな御運が待っていることでしょう。帝は一の宮(最初に生まれた若宮)を次代の東宮に、と密かに決めておられるようです。


さて。
『くれぐれも、人に対しては思いやりの心で』
この物語はそれを教えているのですね。
お腹の中では何を考えているのか判らない油断できない人や、一方に取り入ろうとして他方を中傷する人は、現世でも生まれ変わってもきっとロクなめに遭いません。あの今北の方がいい見本です。
これで当代一の幸い人、山里の姫君のお話を終わります。
この物語を見聞きした人々が、すこしでも姫の御運にあやかりますように。




参考文献:中世王朝物語全集9「小夜衣」 辛島正雄(翻訳)笠間書院