■ 小 夜 衣 ■


<その十六>


さて、幽閉の身からようやく解放された姫君たちは、父大納言と一緒の車に乗り、山里の家へと向かいます。道中、右近や小侍従が、幽閉されていた時の経緯を大納言殿につぶさに説明したのですが、その間じゅう姫君はずっと衣をひき被ったまま。思い出すのもつらい、といったところでしょうか。右近たちの説明を聞けば聞くほど、大納言は空恐ろしい気持ちになってゆきました。
姫君が行方不明になって以降も今北の方とは毎日顔をあわせ、時には同衾し、なのにそんな悪だくみをはたらいているそぶりなどまったく見せなかった妻。今北の方を妻とした自分自身さえも疎ましくなりそうでした。
山里の家へ到着し、一行はとるものとりあえず尼上と対面しました。姫の姿をとらえるなり、尼上はどれほど喜んだことか。手を合わせ、神仏に感謝すること以外もう何も考えられないといった様子で泣いています。数少ない女房たちも寄り集まって、「まるで夢を見ているようでございます」と喜んだり泣いたり。
長期にわたる幽閉生活のせいで、姫君はすっかり青白く痩せ細り別人のようでしたが、それがかえって上品さを増しているようで、優美な様子はちっとも損なわれていないのでした。
薄暗い小部屋に閉じ込められていた生活、生きる気力を失って何度も何度も死にかけた姫君のことなどを、右近や小侍従は夜通し語りました。
「ほんとうに、誰も信じてくれないような事件ですわ。民部少輔の妻がいなかったら今頃私たちは…あんな慈悲深く世話してくれる人などめったにいませんわ」
女房たちが語り合っている横で、大納言殿は、
「民部少輔のしでかしたことは大変罪深いものだが、その妻の尽力を考えると、無下に罰するのもどうであろうか。妻の方は、自分の夫が罰せられたりするのはおそらく願っていないであろうし、事件の処置は穏便にして欲しいと望んでいるであろう」
と考えていました。何せ、この妻がいなかったら姫は生きて帰ってこれなかったのですから。神や仏とともにこの妻を伏して拝みたい大納言は、妻に免じて民部少輔を咎めることはしないと決めました。



その民部少輔は、按察使大納言の厳しい追及を恐れて雲隠れしたままです。逃亡先の家で、大納言殿の「お咎めなし」という寛大な処置も知らずにおびえ続けていました。浅はかにも姫君たちの手紙を殿に渡した我が息子が憎くて仕方ありませんが、自分の子なれば怒りにまかせて殺すわけにもいきません。
「どうしてお客さんのことを軽々しく姫に話したのだ。手紙なんぞを受け取ったのだ」
と我が子をなじっても、
「だってお父さんもお母さんもいつだって、『お姫さまの言うことは何でも聞いてさしあげなさい』って言ってたんだもの。『お客さまはだあれ?』って聞かれたから答えただけだよ。お父さんだっ
て『お姫さまにこの手紙を渡しておくれ。お母さんに内緒でな』って言って、ぼくにいつもこっそりお手紙渡してたじゃないか。
ぼくはいつも言いつけを守っているだけなのに」
と泣いているばかり。どうしようもありません。
姫君が人生に絶望して弱りきったとき、この自分に身を任せてくれるんじゃないか…と、ひそかに期待していた民部少輔は、計画が台無しになり、くやしくてたまりません。
「ああ、この子さえ余計なことをしなけりゃなあ。これからどうなってしまうんだろう。どんなお咎めを受けることやら。しかしまあ、したこともないような横恋慕を、見るからに高貴なお姫さまに何故してしまったんだろうなあ。こうなった以上、もう二度と逢えないだろうし…」
高嶺すぎる花に恋してもどうしようもないのに、何の因果で恋の道に迷ってしまったのかと、民部少輔は後悔するばかり。天下の大納言家の姫を幽閉した罪を世間に非難されるより、どうあがいても絶対手の届かない女を見初めてしまった嘆きの方が、民部少輔にとっては大きな痛手なのでした。


悪事が夫に知られてしまった今北の方はといえば。
「知らぬ存ぜぬを決め込むこともできるけどねえ…世間にどれほど非難されようと、恨みのあるお妃に制裁を加えた権力者の女だって過去に何人もいたのだから。私だって娘のために、良かれと思ってしたことなのよ」
と自分を正当化しています。ですが、さすがに夫の大納言とさし向かいでいるには後ろめたさがあり、四条あたりのかつての我が家にそそくさと引っ込んでしまいました。
夫の大納言の方も、今北の方と共に暮らすのは恥と思っていましたので、当分自邸に戻るのはやめようと決めていたところに、
「北の方が四条のお屋敷に行かれました」との知らせ。大納言はホッとして自邸に戻ったのでした。
四条に引きこもった今北の方からは何の音沙汰もありません。大納言もお使いをやる気なぞありません。今北の方は昔住んだこの家の、浅茅が原に埋もれるような荒れ果て具合に、
「このまま誰からも忘れられてしまったら」と心細くてなりません。
「今上におかれては、梅壺への夜のお召しも昼間の訪れもすっかり絶え果ててしまわれ…女御はどうしておられるのだろう、私と同じように心細くてたまらないだろうに」
侍女からの報告を聞くにつれ、娘の梅壺女御が心配でならない今北の方です。
「後先考えずに『対の御方の拉致』なんかしなけりゃよかった。今上の思惑がどうであれ、一日中梅壺に居続けてくださってたのだから、あのままでいれば、
『今上さまは、昼は一日梅壺にてお過ごしになられて』
と梅壺の評判も体面も落ちなかったのに。
みんな私たちをあざ笑っているに違いないわ」
それもこれもすべて愚かな自分のせい。浅知恵の悪だくみは無かったことにして、以前に戻れたらどんなにいいだろう…願っても無駄なのはわかっていますが、今北の方はそう願わずにはいられないのでした。


今上もその頃、世の中すべてが疎ましく思えるほど、しょんぼりと過ごしていました。
「今となっては、対の御方の冷淡な態度さえ懐かしい…こちらがどんな優しい言葉をかけようと、熱い視線で見つめようと、色よい態度ひとつ見せなかったあの人が恋しくてたまらない。叶わぬ想いも私の宿命なのか。噂で聞くように、梅壺の女御の母上があの人をさらったというのは真実の話なのか。
それでも手紙を交わしていた男と連絡くらいはしているだろう…以前梅壺で『小夜衣』の手紙を私が手にした時の、あの人の取り乱し方と言ったらなかった。行方知れずと言いながら、実はとっくにあの人は無事保護され、『小夜衣』の手紙の男のもとで安心して暮らしているのではなかろうか」


 はかなくも 思ひたちける 小夜衣 かさねぬ袖の なにしをるらん
(むなしいと知りつつ思い募った私の小夜衣。交わしてもいない袖が何故濡れているのだろう)


…とまあ、こんな風に今上の心は千々に乱れ続けるのでした。
そうこうする内、今上は政務も何もかもが味気なくなり、すべてを丸投げしたい、日がな一日ずっともの思いだけで暮らせたら、と願うようになってしまいました。



無事救出され、ようやくなつかしい山里の家に戻った姫君ですが、つらく恐ろしかった出来事からすぐに立ち直れるはずもなく、鬱々とした状態が続いています。お付き女房たちの慰めもあまり耳に入らなかったり、自分が行方不明だったときの尼上の心労と自分を心労を重ね合わせてみたり。心の平安を取り戻し、晴れ晴れとした笑顔を取り戻せるのはいつになるのでしょう。宰相の君は、心ここにあらずといった状態の姫君を見るにつけ、「兵部卿宮も姫君をご案じ続けていらしたのですよ」と、宮が嘆き続けていた日々の様子を姫君に申し上げ、一日も早く姫君が元気を取り戻すよう気を配るのでした。その宰相の君も、
「父大納言殿の庇護のもと、ようやく落ち着かれたことだし、そろそろ宮さまにもお知らせした方がいいかしらね。姫君が山里の家に無事戻ってきたことを、いつまでも隠し続けるのはさすがに心苦しいわ」
そう判断し、兵部卿宮に、
「かくかくしかじかで、無事戻って参りました」
と姫君救出を報告しました。宮は喜びのあまり絶句。あまりのうれしさに言葉も見つからないほどです。そのうち何だかしみじみとした面持ちになってつぶやきました。
「ひどいぞ宰相の君。どうしてすぐに知らせてくれなかった。どれだけ心配したと思っているんだ。何日も何日も経ってから、やっと報告する気になりました、とはね」
「本当に申し訳ございません。まずは父君であられる按察使大納言にお知らせするのがスジかと。とにかく姫の身の安全を第一に動きましたので、それ以外のことは後回しになってしまい…どうかお許しくださいませ」
「しかし聞けば聞くほど女人の妬みというのは恐ろしいものだな。どれだけどす黒い嫉妬を抱えたら、そこまでひどい仕打ちを考えつけるのだろうねえ」
とただただ呆れるばかりなのでした。


「そうと知ったからには、とにかく山里の家へ。一刻も早く姫君にお逢いしたい。それと、今後大納言殿は姫君の心身を案じて頻繁にあの家に通われるだろうと思われる。そうなれば、姫との逢瀬も難しくなるだろうな。なんとか出し抜いて、こっそりと」
と兵部卿宮はとんでもない考えを胸に秘めながら、屋敷を出発しました。姫君が行方不明だったときの絶望感はどこへやら。道中自然と顔が緩み、美しく形の良い口元から笑みがこぼれてしまいます。こんなに晴れ晴れとした気分になったのは本当に久しぶりのことです。
「先触れを出したら、大納言に遠慮して絶対逢ってもらえない気がする。あの清楚で可憐な姫のお心の内は、私には手に取るようにわかるんだ。だって二人は運命で結ばれた恋人同士なのだから」
恋の熱に浮かれ気分の兵部卿宮は、音も立てずにこっそりと山里に到着しました。もともと人の少ない場所なうえに、小さな家の中では女房たちが話に花を咲かせてたいそうにぎやかなので、兵部卿宮一行の来訪など誰も気付いていないようです。
「本当にね、京の町中はもちろんのこと、山の中も谷の底もあらゆる場所を探したのでございますよ。この命が続く限りどこまでも、日本はおろか唐土(もろこし)までもお探しする覚悟でございました」
とかなり大げさな乳母の声が聞こえます。
「今北の方なんてね、『身分の低い男が、恋しさのあまり連れ去りでもしたのでしょう』なんておっしゃってらしたのよ」
「よくもまあ、しれっと言えたものよね」
「事が発覚した今ではどれだけ恥ずかしいでしょうね。いい気味よ」
「今北の方は、四条から本邸へ呼びもどされるのかしら」
「どうでしょうねー。ま、いずれにしろ、夫婦仲はとっくに崩壊ね」
女房たちの気楽な言い合いも聞こえてきます。
「今上さまも、梅壺方が眉をひそめるほど姫さまにおたわむれになられていたわけではありませんのよ。一度だけ、姫さまのご気分がすぐれなくて自室で臥せっていた時、お部屋の前までお越しになられた事がございましたが、お部屋に入ろうとなさることもなくすぐに戻られました。それをたまたま梅壺方の小弁の君が目撃し、事実をねじ曲げて今北の方にご報告し、今北の方はあんな恐ろしい方法で、姫さまを今上さまから遠ざけようとしたのだと思われます。命が朽ち果てるまで幽閉だなんて、よくも思いつくものですわ」
と右近の君の声もします。
兵部卿宮は、すっかりくつろいで夢中で話し込んでいる女房たちの様子があまりにおかしくて、
「なんと楽しそうに油断していることだ。あんな調子では、私がすぐそばで聞き耳立てて垣間見していることにもぜんぜん気付かないだろう。これなら簡単に忍び込める」
と期待に胸を弾ませます。
やがて夜も更けてきました。夜の早い老い女房たちはとっくに奥で寝ています。兵部卿宮がしめやかに戸を叩くと、
「だあれ?こんな時刻に」
と右近の君が半ば寝ぼけて戸を開けました。右近の目の前に立ちはだかるのは当世一の貴公子兵部卿宮。その宮が、「イヤとは言わせない」と言わんばかりに美しく微笑んでいます。
「どうした右近?私の顔をお忘れか?少しでも覚えているなら部屋の中に入れておくれ」
右近の君は何がどうなっているのかさっぱり。口をパクパクさせているうち、宮はおかまいなしに右近の横を通り、ささっと部屋の中に入って行きました。女房たちがあわてる中、宮は何でもないように几帳の間から中へするりと滑り込んでしまいました。
「まあまあどうしましょう。きっとずいぶん前からここに到着なさってたに違いないわ。はしたないおしゃべりも聞かれたでしょう。恥ずかしいわ」
我に返った右近たちは困ってしまいました。
几帳の中にさえ入ってしまえば、外で困惑している女房たちのことなぞ今の自分にはどうでもよいこと。宮の頭の中には、もう几帳の外の世界はありません。あるのは、宮の目の前で脇息に寄りかかり、おどろきの目を見張っている愛しい姫君のことだけなのでした。