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■ 小 夜 衣 ■


<その十五>



さて、夫に内緒で屋敷を抜け出した民部少輔の妻は、伯母君のいる家に駆け込み、「伯母がお仕えしている宰相の君に今すぐお目にかかりたい、連れて行って欲しい」と訴えました。尋常ならぬ姪の様子に驚いた伯母君は、大急ぎで車に乗りこみ、宰相の君のもとへ連れて行きました。
ようやく脱出の糸口が見え出しました。民部少輔の妻は対の御方の味方の一人、宰相の君にやっと対面することができたのです。妻は自分の家に何ヶ月も閉じ込められたままの対の御方の事情を話し、御方直筆の手紙を取り出して宰相の君に渡しました。御方たちの悲痛な訴えを読んでゆくうち、宰相の君はわなわなと震えだしました。妻は、夫から聞いた今北の方の卑劣な計画からただ今の暮らしぶりまで、事細かに宰相の君に打ち明けました。宰相の君はあまりのおいたわしさに言葉も見つかりません。確かに今北の方が怪しいと周囲の者たちはうすうす思っていましたが、確たる証拠も無く、今北の方本人も知らぬ存ぜぬを決め通していたので手が出ませんでした。それが、この妻の内部告発でようやく露見できたのです。
宰相の君は震える声で、
「そうだったのですか…私たちが必死でさがしていたここ何ヶ月の間、姫君はそんなにひどい仕打ちを受けて…どんな姿になってもいい、生きてさえいてくれれば、と祈り続けていましたが、意外にも近い場所にそんなありさまで…。ああでも教えて下さってどれほど感謝しても足りませんわ。あなたのような優しい方がそばに居てくださったことで、姫さまも生きる希望を持ち続けられたのでしょう。本当にありがとうございます」
としぼり出すのがやっとです。
「本当に、こんなに近しい縁故があるとわかってましたら、もっと早くお姫さまのご無事をお知らせできましたのにねえ。あんな薄暗い座敷牢のような部屋で衰弱していくさまが、見ちゃいられないほどでございますよ。こうしてお姫さまの無事をお知らせできたからには、一刻も早くあそこから連れ出して差し上げてくださいませ。あの家には、お姫さまの父君が方違えに立ち寄ることがあります。それを口実に、なんとかお姫さまを外に出せないものでしょうか。ヘタに小細工しますと、今度はこの私が今北の方さまに怪しまれてしまいます。後宮からお姫さまを拉致なんて恐ろしい計画を平気で実行なさる人が、この私にどんなひどい仕打ちをするか、考えただけでも恐ろしゅうございます。
私たち夫婦は今北の方さまには長年のご恩があります。お姫さまの一件以外では、そりゃああの方には良くしていただいてるんです。夫が今北の方さまの乳母子だった縁から、私たち夫婦は今北の方さまからずいぶん庇護をいただいてきました。ですから、私が告げ口したなんて知られたくないのです。だからといって、後宮からお姫さまをさらって監禁なんて非道が許されるわけではなし…そんなわけで、ここにこうして参上した次第です」
民部少輔の妻の話に、
「ありがとうございます。あなたもいろいろ悩んだでしょうに、この御恩は一生忘れませんわ」
と宰相の君は感謝しました。もう一度姫君の手紙に目をやりますと、あまりにもお気の毒な状況が書きつづられていて、涙なしではとても読めません。
「ここに長居はできません。いつ夫が帰ってくるかわかりませんし、もし何かカンづかれたら、お姫さまをお逃がしする計画が水の泡になってしまいます。何でもよいですから、お姫さまを勇気づけるお手紙を書いてくださいませ。大急ぎで」
と妻が急かしますので、宰相の君は『必ずお救い致します』と手早く手紙を書きしたため、妻に託しました。
妻は手紙を受け取り、自分の家へ急いで戻りました。その足で対の御方のもとに直行し、宰相の君から預かった手紙を渡しました。
御方たちは宰相の君の手紙を大急ぎで広げました。味方がいること、近いうちに必ずや助けにゆくことなどが書かれてあり、どれだけ姫君たちに生きる希望を与えたことでしょう。こんな数ならぬ身でも仏さまはお見捨てにならなかった…と姫君たちは感激でいっぱいです。


こうして、民部少輔の家のうす暗い部屋で皆が喜び合っている一方、姫君たちの居場所を知らされた宰相の君は、考え込んでいました。開いた口がふさがらないような、今北の方のたくらみ。はかなげで弱々しそうな姫君なのに、つらい仕打ちに長期間よくぞ耐えぬかれたことよ、と手をこすり合わせて神仏に感謝したいほどでした。
「事の次第を、まずどなたさまにお知らせすべきかしら。姫君に恋焦がれている兵部卿宮にまず知らせた方が…だめね。ヘタにご相談したら、頭に血がのぼって何をするかわからないわ。無理に屋敷に押し入って姫君を取り返そうとするかもしれない。女をめぐって格下の身分の男の家に侵入したなんて世間に知られたら、とんでもない笑い者になるわ。ここは山里の尼上にお知らせするのが第一ね。親御さまより深い愛情をお持ちの尼上ですもの、どれほどご安心なされることか。それと父君の大納言さまにも大急ぎで知らせなくちゃ。確実に取り戻せるのは、大納言さましかいないもの」
宰相の君は一刻を争うように山里へ出向きました。民部少輔の妻からあずかった姫君の手紙を尼上に見せ、姫の身の上に起きた事情をわかりやすく説明しました。
宰相の君の話を聞きながら、尼上はどれほど喜んだことか。言葉にならないくらい感極まり、涙が止まりません。同じく話を聞いている女房たちも大喜びです。
「姫がこの世に生きているのなら、一刻も早く会いとうございます。つらい目に遭っているのならば、一刻も早く助けてやってくださいまし、お願いです。父親の大納言殿ならきっと正当に連れ戻してくれましょう」
さっそく按察使大納言のもとに使いが走りました。使いは、
「たいへんなお話が。一刻の猶予もありません。今すぐ私と一緒に来てください」
と大納言を山里の家へ連れてきました。使いのただならぬ様子に大納言は「もしや姫のことで何か手がかりが」と思いましたが、山里の家に大納言が到着するなり、今か今かと待ち構えていた宰相の君や尼君が、姫の所在が判ったと興奮気味に説明しました。ほんのわずかな手がかりだけでもありがたいと思っていたのに、居場所だけでなく姫の手紙まであるとは。大納言は仏の加護に感謝せずにはいられません。したためられた走り書きを見ますと、かなり切迫した状況が察せられます。
「何ということだ。この私までもが我が北の方にまんまとだまされていたというのか」
「ぜひお力をお貸しくださいませ。もはや一刻の猶予もありません。このままでは姫さまは早晩には衰弱死してしまいますわ」
「ここ数ヶ月の間というものどれだけ心配したことか。なのに灯台もと暗し、北の方の乳母子の家に閉じ込められていたとは。しかしまあ、尼上には何ともお詫びしようもございません。あれほど大事に育ててくださったというのに、手放した途端さらわれてしまうなど…父親として情けない限りでございます。
とにかく急いで姫を救出しましょう。その民部の少輔の妻の指示どおりに『方違え』と称して出かけることにします」


大納言はさっそく動き始めました。先触れせずに民部少輔の家を訪ねたのです。
「おかしい、いつもの方違えでは、必ず事前に連絡が入るのに、ご訪問が突然すぎる」
あるじの少輔はどれほどあわてたことか。大納言は、顔色を失ってもてなしをする民部少輔をじっと見たり、姫の気配でもないかと家の中をぐるりと見渡したり。その間少輔の妻は、とぼけたふりして給仕しています。妻はこっそり、
「さ、お母さんは忙しいから、あっちのお姫さまのお部屋に行ってお相手しておいで」
と例の小さい子に言いつけました。
その子は言われたとおりに姫たちのいる部屋に参上しますと、右近の君たちが、
「おや、何となく母屋の方がにぎやかね。お客さまでもお越しなのかしら?」
そう訊ねます。子供は素直に、
「うん。按察使大納言ってえらい人が来てるんだよ。ぼくのお父さんのご主人さまなんだ」
と答えました。右近や小侍従の君たちは、
(ああ、とうとうこの部屋から出られるときが来たんだわ!)
と胸がいっぱいになりました。二人は子供に頼みました。
「賢い子や、お願いがあるのよ。今から渡すお手紙をね、その大納言さまにこっそり差し上げてちょうだいな。いい?お父さんやお母さんに絶対見られないように、こっそり渡すのよ?大納言さまのおそばにピタッとくっつく位にして渡すのよ?できる?」
「うん」
「えらいわ、とっても賢いわね。がんばって誰にも見られないように渡してね」
手紙を受け取った子供は、大納言がくつろいでいる部屋に行き、いつものように大納言にお行儀よく挨拶を申し上げました。
「おお、ほんの少し見ないうちにずいぶん立派な挨拶ができるようになったな。どこの若君かと思ったぞ。ささ、もっとこっちに来なさい、賢い子や」
大納言は目を細めて、笑顔で子供をそばに寄せます。その子が気を許しやすいように、いつもより一段と親しげに話しかけましたので、子供も手紙をすぐ渡せました。女房の言いつけどおり、誰にも見られず渡せました。待ちに待った大切な手紙です。大納言は広げて読みました。山里の家で読んだのと同じく、我が娘が助けを求める手紙です。
大納言は手紙を読み終わった途端、
「これは誰からの手紙か?どうみても行方不明の我が娘の手蹟だが」
と不快感をあからさまにして言いました。
「なんとも不思議なことではないか。この幼い子から今もらった手紙には、ここ数ヶ月間探し続けている娘が『この家に閉じ込められている、助けて欲しい』と訴えておるぞ。どういう事なのだ」
大納言の問いかけに、民部少輔は手にも背中にも冷や汗が流れ、言葉も出ません。
「この手紙がまことならば、どこにどんなふうに娘を置いているのだね?今回の方違えで娘の居場所がようやくわかった事は、まさしく神仏のありがたいお導きだと思われる。どういう事情で娘がこの家にいるのだ?おまえがさらってきたのか?第三者がここに預けたのか?ただごとではないぞ。詳しく言いなさい」
きびしい問い詰めに、少輔は生きた心地もしません。子供が手紙を大納言に渡す直前に見つけてさえいれば、取り上げてさえいれば、事が発覚することもなかったのに…少輔は怖気づいて声も出せず、ひたすら平伏しているばかり。業を煮やした大納言は、
「もうよい。我が娘のいる部屋に案内せよ。今すぐにだ」
そう言い放ち、子供に先導させて、姫のいる部屋に足早に向かいました。


外の景色もまともに見えない奥まった狭い部屋に、姫と女房ら三人が身を寄せ合って座っていました。大納言は姫の姿を見るなり駆け寄り、
「姫、姫や。ああ、なんてひどい所に。よくがんばりましたね。この父が来たからには、苦しいこともつらい目ももうお終いですよ。今すぐ山里の家に帰りましょう。ああ、尼君がどんなにお喜びになることか」
と姫の手をしっかりと握りしめました。
「殿、お待ち申し上げておりました…!生きてこの家から出られるなんて夢のようで…!」
あとは涙で言葉にならない女房たちでした。
大納言は、姫たちが閉じ込められた部屋をあらためてぐるりと見渡しました。調度類のほとんどない殺風景な部屋。掃除も手入れも行き届いていない床、天井。奥まった部屋なので風通しが悪いせいでしょうか、埃っぽいかんじもします。こんな外もまともに見えない部屋に、我が娘が何ヶ月も閉じ込められていたかと思うと、大納言は姫が可哀想で可哀想で仕方ありません。それもこれもすべて、今北の方の仕業なのです。大納言は北の方の、ぬけぬけとしらを切りとおしている顔を思い浮かべ、やりどころのないうとましさを募らせるのでした。
父に握りしめられた姫の手はすっかり衰弱し、細く青白く死人のようでした。
(ああ、お父さまが来て下さった…もう死ぬことのみを考えなくてよいのだ、山里の家へ帰れるんだ)
姫は生きる希望がようやく見えだしたのでしょう、父の手をかすかに握り返し、ただただ嬉し涙を流しています。
再会を果たした一行は、部屋のそばまで寄せられた牛車にただちに乗り込み、山里の家を目指して出て行ってしまいました。


「まずいことになった。えらい失態をしてしまった」
民部少輔は、按察使大納言が姫君を閉じ込めている部屋に入ったのを確認するや否や、あわてふためいて今北の方のもとへ参上しました。
「一大事でございます。たった今大納言さまが方違えにお見えになり、かくかくしかじかでお姫さまを閉じ込めていたのが露見してしまいました。すべてはとんでもない事をやらかしてくれた、愚かな我が子のせいでございます。こちらに引っ立てて来ようかとも思いましたが、大納言さまのそばにずっとおりますものですから手も出せず…あの子はもう我が子とは思いません。煮るなり焼くなり好きなように処分して下さってけっこうです。私も我が身がかわいいですから、しばらくは身を隠すことにいたします」
少輔の報告に、今北の方は顔が青くなりました。
(仏心(ほとけごころ)を出して座敷牢に閉じ込めておくんじゃなかった、ぐずぐずしていないでさっさと殺しておけば悪事も知られずに済んだのに!)
と腹の底ではくやしくてたまりませんでしたが、
「バレた以上は、ああだこうだと悔やんでも仕方ありませんよ。あの娘と私は、なさぬ仲の間柄ですからね。そこのところは殿も十分理解しておられるでしょう。ともかく安心なさい。そなたは私が頼んだことを忠実に守っただけで、決してそなたの方から何かたくらんだとかではないでしょう?そなたは何の責任も負うてはいないのですよ?胸をはって堂々としていればいいのです。それにそなたは『自分の子のせいで』と申していますけど、あんな小さい子が何をどう仕組んだというのです。女房たちに言われたとおりに手紙を渡しただけのことでしょう?大人の言うとおりにしたのに罰を与えるなんて小さい子が可哀想というものですよ」
とゆったり構えて言いました。
「ひとまず自分の屋敷に戻りなさい。責任の無いそなたを、大納言が罰するのは筋違いというものです。何の心配もあるものですか」
そうは言っても、それは今北の方の理屈であって、自分に後ろめたさがないわけではなし…民部少輔は家に帰る気になれず、知りあいの家に隠れることにしました。そして隠れ家で、お姫さまへの恋心がはかなく散ってしまったことがくやしくて、いつまでも嘆き続けるのでした。