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■ 小 夜 衣 ■


<その十三>



どこがどうとはっきりしないまま、二の姫の病状はどんどん重くなっていくのでした。意識不明になることもたびたびあり、ご両親の関白大殿と母君は心配で心配でなりません。
「非常に強い物の怪の仕業かも知れぬ」
と高僧を大勢召しだして祈祷を行わせても、出てくる物の怪はいません。どんどん弱っていく二の姫に、さすがの兵部卿宮も心落ち着かず、名の知れた山の寺や神仏などに、手を尽くして求めた由緒あるものを奉納しました。
心痛のあまり人目を忘れて嘆く両親の祈りもむなしく、花がしおれてゆくように、とうとうある日二の姫は亡くなってしまいました。静かなご臨終でしたがご両親は胸も破れる思いです。母上は、
「あなたと共に死出の旅を」
と狂ったように泣き叫んでいましたがどうしようもありません。
姫の亡骸が一すじのはかない煙となり、鳥辺野の空の彼方へ消えてしまったあと、遺されたご両親は魂が抜けてしまったようになってしまいました。
老いた者を遺して若い者が先に死んでしまうのは、最大の親不孝ともいいます。大殿と母君は、もしや愛しい姫が地獄で責めに遭ってやしないかと、姫の魂を救済するために誦経を始めるのでした。
兵部卿宮の嘆きも大殿たちと同様です。
「なんの欠点もない、どこまでも晴れわたるようなご身分・人柄の姫だったのに…私の心の奥底に染み付いた人(対の御方)がもとで、今生の別れの瞬間まで互いの心を隔ててしまった。なんとお気の毒なことをしてしまったのだろう。男女の仲はこんなにうっとうしいものだと思い込んだまま、姫はお亡くなりになった。こうも短い命ならば、冷淡な態度も隠し、幸せな思いのままで過ごしてもらうこともできたはずなのに」
どう後悔しても今さら遅いのですが、手遅れとわかっていても、やはり悔いが残って仕方ありません。亡くなった我が妻を想って嘆くさまを見て、関白家の女房たちは、
「宮さまは、姫さまのことがお嫌いかと思ってたのにねえ」
「結局、宮さまの浮気なご気性は、すべてご自分がいたらぬせいと、姫さまがカン違いなされていただけだったのかしらねえ」
そうささやき合うのでした。


権勢家の関白家にふさわしい法要をしめやかに執り行う大殿ですが、本来ならば、若い人が老いた者を弔うのが自然な姿。本当なら自分の娘が老いた自分たちを弔ってくれるはずなのに…愛しい娘の七日七日の法事を行いながら、ご両親は涙が止まりません。人の世とは無常なもの。愛しい我が子を失う痛みに比べれば、この世の栄光など何の意味があろうか…現世の栄華を満喫してきた関白大殿とその妻は、娘を失った悲しみで一気に百年も千年も老けたようになり、床についたっきりになってしまいました。春の嵐に花は散り、秋の月が雲に隠れてしまうように、生きる者もいつかは必ず死ぬことは頭ではわかっていても、よもや我が子に先立たれるとは何たる不幸。こんな仕打ちに遭うのは自分たち夫婦だけだ、とてもこれ以上生きてゆけそうにない…と母上は生きる気力を完全になくしてしまいました。床に伏せたきりの母を案じて、娘の弘徽殿女御やご子息たちがいくら慰めも、母上は、
「たとえ苔むした冷たい土の下でもよい、姫と共にいられるなら」
と思いつめるばかりなのでした。


二の姫の死後、兵部卿宮は今さら取り返しのつかない後悔を味わっていました。短い味気ない夫婦仲ではありましたが、兵部卿宮にも何かしらの愛着があったのでしょうか、二の姫と共に過ごした枕や衾(ふすま)を見、染み付いた姫の残り香が日に日に薄れてゆくのを惜しむ日々を送っていました。
かの玄宗皇帝は、寵妃楊貴妃が亡くなったときに身につけていた簪(かんざし)が地面に散らばっていたのを形見として拾い集めたというが、そんなことをしても亡き人に再び逢えるわけでもなし、人の世は何と無常なものよ…と、涙が止まらない宮。
夕暮れ時の雲に紛れるように、夕餉の煙が立ち昇ってゆくのを眺めては、


なき人の かたみの雲は かつ消えて むなしき空を ながむばかりぞ
(姫の煙はすっかり消え果たというのに、いまだに私は呆けたように空を見上げていることよ)
袖の上に たえぬ涙の 露けさを 消えにしたまと おもはましかば
(袖の上に降り続く私の涙が、姫の魂だったなら…)


とひどく気落ちしてつぶやくのでした。格子も下ろさせずに外をぼんやりと見つめていると、宵闇に包まれた東の山から月が美しくさしのぼりました。ですが、今の宮にとっては、その晴れやかな月の美しささえつらく悲しいのでした。追悼の思いを込めてお経を唱えていると、高く低くゆるやかに広がってゆく声の美しさに、そばに控えている女房たちも涙をこらえることができません。喪が明けると、もうこの当代一の貴公子とも縁が切れてしまう、ああせめて姫との間に形見の御子のひとりでもいらしたなら、どんなにか慰められるのに…と、屋敷中の者すべてが涙に袖を濡らすのでした。




さて、対の御方たちが捕らわれている民部少輔の家では、御方の可憐さにすっかりのぼせ上った主人の民部少輔が、無い知恵をしぼり出そうとしていました。
「よくもあんなみすぼらしい妻と長年つれ添ったものだ。あの美しい姫さまを拝み奉り、毎日お世話できたら、なんとも張りのある人生になるだろうなあ。同じ生活するなら、そんな生きがいを持ちたいものだ」
どうにかして妻を追い出し、清楚で可憐な姫と暮らしたい民部少輔です。
「(按察使大納言の)今北の方も、『そなたの好きにしてもかまいませんよ』と仰ってたしなあ。あれはきっと、『逃がしさえしなければ、何をしようがかまわない』という意味なんだろう。とにかく、あの姫さまを我がものとしてお世話するためには、姫さまに同情している我が妻がなんとしても邪魔だ。こじつけでも何でもよいから難クセをつけて、さっさとこの家からおいだしてしまおう」
と考え、それからというもの、重箱のスミをつつくような小言やイヤミを言ったり激しく叱責したりして、妻につらく当たり始めました。
妻のほうでは、そんな夫の浅はかな考えを見抜いていましたが、表面上は何も知らないふりをしています。
「ここで逆らっては、姫さまにどんなことが降りかかるか…今は私しか味方がいないというのに。私がこの家を追い出されたら、誰が姫さまの部屋に出入りできるというの。身の程知らずの夫が我がもの顔でお世話しようと張り切るに決まっているわ。それとも、私がこの家から居なくなったら、姫さまたちが私を恨むかもしれない。「夫の邪(よこしま)な想いを叶えようとした」って。
困ったことになったわ。母を亡くして伯母のもとで育てられた頼りのない私を妻と呼んでくれた優しい夫だったのに、あまりに美しい人を見ると、男って人柄までも変わるのかしら。今の夫は私の知らない別人のようだわ。なんて情けない」
対の御方の様子を見に行くと、相変わらず袖を泣き濡らして突っ伏しています。妻は自分が悩んでいることもあり、絶望的な立場の御方に同情しつつ、
「あなたさまの苦しいお立場、物の数にも入らぬ私も本当にお気の毒だと思っております。何とかお逃がしする方法でもあれば…と毎日仏様にお祈りしているのですが、なかなか良い案が浮かびません。この部屋に来れるのは私だけですので、姫さまが消えてしまったとなると、あの恐ろしい夫に私が責められてしまいます。それでも敢えて姫さまをお逃がししたとしても、小さな我が屋敷とはいえ、女人が二、三人で動けば、屋敷の門で宿直している門番に必ず見つかって連れ戻されてしまうでしょう。
そうなりますと、今よりもっとひどいお扱いをされてしまいます。この身に代えてでも姫さまをお救いしたいとは思っておりますが、見つかって連れ戻された時のことを思うと…なかなか良い知恵を思いつけない私をお許しくださいませ」
泣きながら語る妻に真心を感じた女房たちは、
「今の今まで、神や仏にしかおすがりできないと嘆いていましたので、あなたの言葉が本当に頼もしく思えますわ。何とか脱出方法を考えて、一日も早くここから逃がしてくださいな。あなたさまの誠意、姫さまの御心にもしみているはずですわ」
と、とてもうれしく思い、密かに脱出の案を相談し始めました。



同じ頃内裏では、今上もたいそうお悩みでした。
「遅い。遅すぎる。ご実家にどんな事情があるにせよ、この時期までお戻りにならないのはおかしいではないか」
何かの事情があって、宮仕えをお辞めになったのだろうか…それではもうお会いすることすら叶わぬではないか…と、今上は落胆の色を隠せません。対の御方がいつも寄りかかっていた梅壺の真木柱をこっそり眺めては、
「この柱だけが愛しい人の形見だというのも情けない。


つれなさを 恨みしだにも かなしきに おもひ絶えぬる おもひをぞする
(愛しい人のつれなさを悲しんだ上に、さらに諦める痛みを味わわねばならぬとは)


真木の柱よ、君にいつももたれていた美しい人を、とうとう諦めなければならなくなったよ」
とつぶやいて帰ってしまいます。その一部始終を見る梅壺女御付きの女房たちは、
「やっぱり今上さまのお目当ては、うちの女御さまではなく対の御方だったのねえ」
「あーあ、今さらだけど、なんで今北の方さまに告げ口なんかしちゃったのかしら。これじゃあ人目も取り繕えないじゃない」
「そうよね。今までは一日中梅壺にお渡り下さってたのに、今じゃまるっきり音沙汰なしだもの。恥ずかしいったらありゃしない」
とがっかりするのでした。




さて月日の経つのは早いもので、関白邸でも二の姫の四十九日を迎えました。喪中の間供養を続けていた僧たちも、各々の寺へと戻ってゆきます。関白家の人々は、
「朝夕の念仏の声に慰められていたのに…さびしくなるのう」
と嘆いています。兵部卿宮も、喪が明ければこの家から自邸へ戻らねばなりません。関白大殿や母上に、
「あなたさまが居てくださったからこそ心の慰めにもなりましたのに、明日から何を姫の形見として生きてゆけばよいのでしょう」
と引き止められ、宮も涙があふれて止まらないのでした。
二の姫にお仕えしていた女房たちも、姫の生前は宮に気後れしてなかなか近づけませんでしたが、喪中の間は夜も昼も共に念仏を唱える毎日でしたので、今ではすっかり宮をお慕いしていました。その美しい貴公子がこの屋敷から去ってしまうのですから、皆声を震わせ泣きあっています。
「どこに居ようとも、この私の心が変わるなど決してありませんよ。いつまでもそなたたちと気持ちは同じなのだから。それを忘れないで下さい」
そう言って女房たちを慰め、夕暮れ時に関白邸を出発することとなりました。
屋敷のあちこちで泣きあっている人々の様子を見ると、宮は後ろ髪を引かれる心地がして、とても出てゆけそうにありません。
涙に濡れる袖を顔に押し当て出発なされたとの報告を受けた大殿たちの心境も、察するに余りあるのでした。
無事自邸に戻った宮に関白大殿から手紙が届き、その痛ましくも悄然とした内容に、お返事も出来かねる宮なのでした。
その一方で、自慢の愛息子の久しぶりの帰邸に大喜びの父院と母大宮です。
「あなたの帰りを本当に待ちわびていました。まるで千年も経った気分ですよ」
息子が面やつれしているのを気遣う母大宮。関白大殿と母上の様子を聞いた父院と母宮は、
「子に先立たれるとは本当においたわしい限りだ。我が子を思う親のつらさは、私たちにもよく理解できるだけになあ…」
と涙を流してうなずき合うのでした。


一時は二の姫の死で涙に沈んだ兵部卿宮でしたが、ひととおりの供養が終わりますと、やはり思い出されてならないのが山里の家のことと対の御方のことです。ほんのわずかな手がかりでもいい、何か進展はないだろうかと姉の中宮の女房の宰相の君に会いに行きましたが、
「まだ何も伺っておりません」
との返事。
何とつれない返事だ、私と姫の仲をとりもったきっかけの女房なのに、行方知れずの姫が心配じゃないのか…と半分八つ当たり気味の宮です。「どうにかして私と同じ気持ちで姫を心配している人と語り合いたい。それには山里の尼君しか…」との一心で、ある日の夕暮れ時、山里の家を訪ねることにしました。