■ 小 夜 衣 ■


<その十二>




座敷牢まがいの場所に軟禁され、孤立無援の対の御方たちですが、その薄幸の美少女ぶりにすっかり同情してしまった民部少輔の妻は、不自由な生活を強いられている御方たちの気を少しでも慰めようと、心のこもったお世話をするのでした。
ところが、御方たちをかいがいしく世話する情の厚い妻の態度に気づいた民部少輔は大激怒です。
「なぜそこまであの女たちに肩入れするのだ。けしからん。今北の方さまの計画が失敗してしまうだろう!あの女たちにのぼせ上がるのもいい加減にしろ。間違っても、女たちの脱走に手を貸そうなどと思うんじゃないぞ」
「人間ですもの、あんなお気の毒な様子を毎日見ていたら、同情もしたくなるというものですよ。それにまあ、あのお姫さまの様子をごらんなさいまし。血も涙もない荒くれ者だって、あのお姫さまのお姿をひと目でも拝んだら、おいたわしいと思わない者がおりましょうか。私の伯母が先帝の冷泉院にお仕えしていたご縁で、院の御所内の方々の、花の顔(かんばせ)をたくさん拝んできましたが、それでもここのお姫さまの方が抜きん出た美しさだと断言できますよ。朝夕の食事はおろか、薬湯さえ手を付けようとしないお姫さまを見て、あなたは何の同情心も湧かないのですか?」
あんな美しいお姫さまは見たことないと妻に言われ、そういえばさらって来た女たちの顔をロクに見たこともなかったな…と民部少輔は今さらのように思い出したのでした。
美しいといえば見たくなるのは当然のこと。民部少輔は女たちを閉じ込めている部屋へ足を忍ばせ、こっそり覗き込みました。
三人の女たちの中で、水をすすめられても拒否している女が我が目を疑うほど美しく、長い軟禁生活のせいか、そよ風にも耐えられぬほど華奢で清らかに見えます。
「なんとまあ、世の中にはこんな美しい人もいるもんだ。うつむいて泣いてばかりだが、もし何の悩みもなく微笑んでいれば、天女も恥らう美しさだろう。これなら、今北の方がお姫さまを恐れたのもうなずける。こんなお姫さまが女御さまの横にいらしたら、帝の御心がどちらに傾くかなんて明らかだ。並みの女だとばかり聞いていたのになあ」
男なら誰だって、こんな美女を我がものにして、朝夕見て暮らしたいものだ…民部少輔はそんな身の程知らずの、大胆でよこしまな恋にとりことなってしまったのでした。


その日以来、民部少輔は、
「一度でいいからあのお姫さまの笑った顔を拝みたいものだ」
と思うあまり、妻が食事をさし上げる際の取次ぎ役を強引に引き受けるなどするものですから、対の御方たちは、
「見慣れぬ男が近づいてくるなんて…ああ、恐いわ」
と怯えるのでした。
どうにかしてお姫さまの歓心を得たい民部少輔は、女たちが喜びそうな珍しいお菓子などを持っては、せっせとご機嫌取りに励むのでした。それを見た妻は、
「夫もあのお姫さまたちを気の毒と思ってくれたんだわ」
と喜んでいます。
けれど対の御方たちは、見知らぬ家に閉じ込められ、見たこともないいかつい男がすぐそばまで近づいて来て話しかけてくるのが何ともイヤでたまりません。夜もろくに眠れない日がもうどれくらい続いているのか、対の御方たちは数える気力も失っているのでした。外の景色もまともに見えない奥まった部屋には、月が眺められるような窓すらなく、板と板の間からわずかに漏れる月の光だけを日々の慰めとして、ひたすら神仏の加護を祈るのでした。
「全身全霊を賭けてお祈りしているのですもの。きっと観音様のお導きがありますわ」
あらゆる願をかけ、「お助けくださいまし」と祈り続ける対の御方たち。


かくばかり 闇路にまよふ 身なりとも 真如(しんにょ)の 月の光をぞまつ
(闇路に途方に暮れようとも、救いの手をお待ちしています)


知らずやは こころのうちの 闇はれて 雲居の空に すまん月かげ
(心の闇は消え去り、もとどおり澄んだ月夜のお気持ちに戻れることを、私たちは信じています)


右近の君や小侍従の君が、対の御方を元気づける歌を詠みますが、御方はといえば、
「ああ、後宮に残してきた乳母は今頃どうしているかしら…


くらきより くらきにまよふ 我なれど 真如の月の 光またれず
(闇路に迷い続ける私は、救いの光をいつまで待てばよいのでしょうか)


もう死んでしまいそう…なのに、ものを考える気持ちだけは残っているなんて」
とため息をつくのでした。


夜が明けては泣き、日が暮れては泣き、毎日涙にくれる対の御方たちでしたが、兵部卿宮のことを考えると、さらに情けない気持ちになってしまうのでした。
「宮さまにもう一度お会いできるのかしらね。あの美しいお姿を、もう一度拝することができるかしら」
「あれほどこまやかに愛情を示して下さったのに、その御こころざしをふり切って、父君のもとにお移りになられたのが、姫さまのそもそもの間違いだったのよ」
「そうよね。宮さまはもう姫さまと一緒に暮らすお屋敷まで用意するおつもりだったらしいから、なんの気がねもなくそこに移ればよかったのよね」
「そうよ、もしそうしていたら、こんな所に閉じ込められたりすることもなかったのに」
部屋の片隅では、右近の君と小侍従の君がささやき合っています。対の御方に聞こえないように話しているつもりでも、互いに愚痴合っているうち、次第に声も大きくなり、対の御方に丸聞こえになってしまうのでした。儒教思想の発達していないこの時代の主従関係はギブ&テイク。使用人は暮らし向きを保障されてこそ主人にお仕えするのもの。主人が落ちぶれると平気で別の働き口を見つけて出て行きますし、主人の面前で自分たちの愚痴や他人の悪口を言うのに何の遠慮も考えなかった時代です。ですから、主人の対の御方が聞いていても、まったく遠慮もなく平気で愚痴を言い合っているのでした。
女房たちに非難されても何も言い返せない対の御方。確かにその通りかもしれません。あの山里の小さな家で兵部卿宮の愛を素直に受け入れて、宮が引き取ってくださるのを待っていたら、今頃は身に余る光栄な生活があったかもしれない…右近の君や小侍従はそこに未練があるのです。
対の御方は、
(この世だけでなく来世までと誓ってくださった宮の言葉を信じないわけではなかったけど、本当に途絶えがちな訪れだった。おばあさまはそのことを嘆いていらしたのだわ。私の行く末を案じてくださったおばあさまが、父上さまのもとに私を送り出して下さったこと間違いはなかったわ。でも、宮さまに何の相談もせず、浅はかな考え方しかできない私の一存で山の家を出たことは、とても愚かなことだったかもしれない)
これがもとで来世までもと誓った縁が切れるのなら、二人の宿縁がその程度だっただけ…と思いますが、父上のもとに引き取られた後もひんぱんに寄こされた宮からの手紙のあれやこれやを思い出すと、
(何かのついでにでも思い出して下さるだろうか。後宮から突然いなくなった私のことをどう思っていらっしゃるかしら。
…宮さまとの出逢いは、私にとっていったい何だったのだろう。こんなみじめな宿世しかないことを思い知らされる、ただそれだけのための出逢いだったのかもしれない)
と宮を恨んだり、宿縁の浅さを嘆いたりするのでした。




さらわれた対の御方が兵部卿宮を想って重いため息をついている頃、兵部卿宮はどう過ごしていたでしょうか。
もちろん、片時も対の御方を考えない時はありません。どうやら
按察使大納言の妻である今北の方が、今回の失踪に関わっているらしい…とはいえ、対の御方の(身分低い)乳母の言い分だけを鵜呑みにし、超上流貴族の宮が動くわけには行きません。表向きは、関白の二の姫の婿君である兵部卿宮と、梅壺女御の女房である対の御方とは、何の関係もないからです。
「霊験あらたかな僧や不思議なものを見通す陰陽師がいれば…


行方なき 人の住みかを そことだに 告ぐるまぼろし いかで尋ねん
(お捜しの人はここですよと、教えてくれる者をどうにかして尋ねたいものだ) 」


ただひたすらそのことだけを願う宮。生きているのか既に亡き人となっているのか…最悪の事態の覚悟はしていますが、もうこの世に居ないのなら、愛しい人の胸の内を考えても意味のないことであり、そう思っただけでさらに涙がこぼれそうになるのですが、何のために自分が泣いているのか誰もわからないでしょう。だって宮と対の御方の縁は、誰も知らないのですから。皆にヘンに思われてはと、たった独りで耐えるしかないのです。かたわらの筝(そう)の琴を見れば対の御方の神がかった爪音を思い出し、声をあげて泣いてしまいそうです。
呆けたように自邸に引きこもっている宮に、父院と母大宮は、
「二の姫のもとへ顔をお出しなさい。関白殿は不愉快に思ってらっしゃいますよ。婿君は足に根が生えたのかと、内心お怒りですわ」
と説教の毎日。
「命短い憂き世なのに、どうしてこうも毎日説教されねばならないのだ」
とイヤイヤ関白邸に出向くと、冷たい感情をにじませた二の姫との対面です。夫の愛情は自分には向けられていないと、聡い二の姫は理解しているのでしょう。夫と妻の間に気まずい空気が流れ、おざなりな時候の挨拶さえする気になれず、宮の口から出た言葉は、
「こんなよそよそしい態度で妻に出迎えられるとね、あるまじき心(浮気)のひとつも自然と思ってしまうものなのですよ」
です。二の姫はぜんぜん悪くないのです。むしろどこの深窓の姫君にも負けないほど美しく、気品も十分なのです。けれど、対の御方の無垢な美しさや可憐さには及びもしない…兵部卿宮はそこがもどかしく、二の姫と共寝しているというのに、考えることは対の御方のことばかり。愛しい人は今頃どこでどう過ごしているのだろう、つらいめに遭ってやしないか、恐ろしい思いをしていないか…涙を流して寝返りを打つ夫を、隣で眠る二の姫はどんな思いで見ているのでしょう。
気楽になりたい、好きなときに好きなだけ声をあげて泣きたいと、兵部卿宮はますます自分の屋敷から出なくなってしまいまた。気の毒なのは二の姫です。
「背の君に嫌われているのは、きっと私自身に欠点があるから」
とひたすら自分を責めるばかり。姫の父君である関白殿は関白殿で、
「自慢の娘を何だと思うておられるのじゃ。少しもこちらへおいでにならぬ。夜離れがこうも続くなど、我が家に恥をかかせるおつもりなのか」
と身内に愚痴を洩らしています。父君の嘆きも自分のせいと思い込んだ二の姫は、我が身の恥ずかしさにいっそう泣き沈むばかり。かといって、宮のごくたまのお越しの時に日頃の悩みを打ち明けるわけでもなく、じっと我慢し、陰では、海人が海から上がったように袖を涙で濡らして暮らすうち、次第に精神的な疲労や悩みが積もり積もったのでしょうか、すっかり身体が参ってしまい、とうとう枕から頭を上げられぬほどの容態になったのです。
特にこれといった病気にもみえないのに、日を追うにつれて苦しそうにするさまから、最初お付きの女房たちは、
「ひょっとすると、めでたくも御懐妊では」
と期待していましたが、苦しみ方がどうもつわりとは違う…様子を見ているうちに二の姫はどんどん衰弱していき、薬湯さえも受けつけなくなってしまいました。父君や母君は娘の容態に驚き、加持や祈祷に大騒ぎです。
妻の実家がこんな状態ですから、兵部卿宮も顔を出さないわけにはいかないので、関白邸に泊り込みで姫に付き添っています。ただ、心の底から妻の容態を心配しているのではなく、それはあくまで表面上だけ。妻を看病していても、胸のうちでは行方不明になった対の御方のことを考えているのでした。
「山里の家とも長らく連絡をとっていないが、何か知らせでも来てないだろうか。ほんのわずかな手がかりでもいいのだが」
と妻の容態よりも行方不明の想い人の方が気になって気になって仕方ないのでした。