■ 小夜衣 ■


<その十一>



さて、親しい方々が茫然自失で心配する中、かんじんの対の御方は捕らわれたままです。どこともわからぬ殺風景な部屋に閉じ込められてから、もう何日も経ってしまいました。
尼君がどんなに心配しているか、これから私たちはどんなひどい目に遭わされるのだろう…と考えると、遠くにかすかな人の足音が聞こえただけで、三人は手を取り合って震えています。
「私、前世にどんな悪業をはたらいたのかしら。幼いときに母を亡くし、実の父と一緒に暮らすこともできず、唯一頼りになる人といえば、今日・明日をも知れぬ病気のおばあさまだけ。そんな物の数にも入らぬ私にも、思いがけない殿方が手を差しのべて下さったというのに、あまりの身分差が畏れ多くて、素直におすがりするなんてとてもとても…毎日毎日お越しを願って、そして裏切られ、気苦労で心も砕けてしまった。『雲の上の人が退屈まぎれに手折っただけなのに、愚かにも待ち続けているわ』とまわりの人に思われるのも悲しくて、後宮に出仕してみたはいいけれど、人目にさらされる毎日がつらくて…それだけでもイヤでならないのに、畏れ多くも今上さまのただならぬ御様子がもとで、同輩たちの冷たい仕打ち。何もかも前世からの宿縁なのかしら。それならば、いっそのこと全てを捨てても惜しくないわ」
髪を切り捨ててしまいかねないつぶやきに、そばで手を合わせている侍従の君と右近の君は悲しくてたまりません。差し入れの水にさえ手をつけずに横になる対の御方の背中越しに、
「姫君、命さえあればいつか希望も見出せますわ。一緒に神仏に祈ろうではありませんか。どうかお水をお飲みくださいまし。あなたさまを失い申しては、私たちは生きてはゆけませぬ」
と言って泣きあうのでした。
軟禁されている対の御方たちの世話は、この家の主人(今北の方の乳母子である民部少輔)の妻です。この妻はなかなか人情深い人でしたので、朝晩の食事の上げ下げなどで見る、姫の嘆きぶりやお付きの女房の様子にすっかり同情しているのでした。
(今北の方の話しぶりでは、帝をたぶらかして女御を悲しませる悪女かと思ったのに、目の前で泣く女はとてもそうは見えない、悪だくみなど考え付きもしないような美しい姿なのに…)
民部少輔の妻は、三人の捕らわれの女たちが気の毒でなりませんでした。


姫君失踪以来、山里の家の尼君はどっと病の床についたままです。どこを捜してよいやら手がかりすらつかめず、こんな悲しい目に遭うまで生き長らえた自分の命の長さを呪うばかりなのでした。
「今頃どこでどうしているのかしらねえ…もうこの世には居ないのかしら…もしそうなら、魂はどこをさまよっているのかしらね」
かぼそい声でつぶやく尼君。尼君の娘、つまり対の御方の母上が死んだときは、尼君が直接見取りましたので、まだあきらめもつきましたが、この姫の場合、神隠しにあったように行方知れずになってしまい、あきらめようにもあきらめられません。こんな気持ちを引きずったままでは日々の勤行もできるはずもなく、嘆くよりほかないのでした。


姫の乳母は閉じこもって嘆いていても始まらないと、少しでも心当たりのある場所を探し、山寺や神社、深い谷や峰などを訪ねては「どうか姫が見つかりますように」と神仏に祈るのでした。
もちろん、尼君の兄妹である僧都のもとへも参上し、姫の無事をお祈りします。こんなふうに毎日毎日あちこちの神社や寺を参拝して回っていますので、乳母は次第にやせ細ってしまいました。
あてもなく参拝しているので、何の手がかりもつかめません。
かくなるうえは、もう東国まで足をのばすしかないのでしょうか。


姫の実父である按察使大納言も、姫が失踪して以来、心配で心配でたまりません。山里の尼君があまりにもお気の毒で、出向いてお慰めしようかとも思ったのですが、自分が無理を言って屋敷に引き取った手前、尼君に「あなたが無理矢理引き取ったせいで、姫がこんなことに」と恨まれては弁解できません。ああ、こんなことになるのなら屋敷にお迎えするんじゃなかった、と後悔しているのでした。


一方、今北の方はといえば。
自分の計画どおりに事が運んだのでうれしくてなりません。
ところが、
「今上におかれましては、対の御方が姿を見せなくなって以来、梅壺にお渡りになられることもなく…たまにお立ち寄りになられては、
『対の御方はいつ戻られるか?』
とお尋ねになられるだけで…」
との報告を聞き、不愉快でなりません。
「対の御方を後宮から追放して、ようやく一安心と安堵していたのに。梅壺へのお渡りが途絶えると、実は今上さまは対の御方が目当てで梅壺に入りびたっていたのだと世人に思われるのも腹が立つ。あの女の母親も不愉快な存在だった。ああ、母子して私を苦しめることよ」
私と、私の女御によくも恥をかかせて、あの女をどうしてくれよう、でもいつまでも閉じ込めっぱなしでは、そのうち乳母子の監視の目を盗んで逃げるかもしれない…と監禁した姫の処置に頭を悩ます今北の方なのでした。



さて、最初のうちは、「対の御方は祖母君ご危篤のためご実家に下がられました」との言葉を信じていた今上ですが、それからずいぶん月日も経ってしまい、さすがに不審に思い始めました。
「お亡くなりになったにしろ、回復なされたにしろ、もうそろそろ参内なされてもよい頃だろう。対の御方はいつ戻るのだ」
とまわりの者に訊ねても、はかばかしい返事が返ってきません。
「あまりしつこく聞きまわると、女房たちに不審がられてしまう。


つれなくて さてややみなん うき人の 心のかはる 時しなければ
(私の気持ちは一向に変わらないのに、つれないあの人とはこのまま終わってしまうのか)


人目につくのをとても恐れていた人だから…」
会えないつらさに我慢できなくなっては梅壺に立ち寄り、
「どうして対の御方は参内しないのだ?使者を遣わすなり何なりして、参内を促しているのか」
とじれったく問い詰めても、梅壺の女房たちは、
「御使いはひまなく遣わしていますが、いつ参内できるか、はっきりした返事は戴いておりません。どうしたわけでございましょうか。おかしなことです」
ととぼけたように答えるばかりです。
「何か思うようにゆかぬ事態で、実家から出られないのだろうか…つかぬ事を訊ねるが、もしや対の御方には、出仕する以前に、人目を避けて逢う人でもいたのかね?」
勇気をだして女房に訊ねても、
「さあ私たちには…人の心は知り難いと言いますし」
と女御の乳母子の小弁の君が申し上げました。
(妙に含んだものの言い方だな。ひょっとすると、あのときチラッと見た手紙の持ち主が、何か知っているかも知れぬ。ずいぶん流麗な手蹟だったが誰なのだ。手蹟の上手といえば兵部卿宮がいるが。対の御方に奪い取られ、一瞬しか見れなかったのが返す返すも残念だ)
「よし、中宮へ参る」
対の御方が参内しない理由が知りたい今上は、どんな小さな手がかりでもつかみたい気持ちで、兵部卿宮の姉君である中宮のもとへお渡りになったのでした。


「まあ今上、どうなされました。このところよくお立ち寄り下さいますが、つれづれを持て余してお困りと察せられますわ」
明るい雰囲気の中宮御殿にお渡りになられた今上を、女主人の中宮があたたかく迎えます。
「ええ、ええ、まさしく仰るとおりですよ。つまらない、本当につまらない。なのにあなたはちっとも声をかけてくださらない」
まるで八つ当たりしている子供のセリフです。対の御方が後宮から姿を消して以来、今上は毎日が灰色、体の中をすきま風が吹いているような寂しさを感じているのでした。
「今上は対の御方に御執心であらせられましたから、このたびの宿下がり、お寂しいことでございましょう。なんでも祖母君がご危篤だとか。おいたわしいことでございます」
「そこらへんがどうもはっきりしなくてね。なかなか内裏へ戻って来ないうえに、梅壺の女房たちに問いただしても曖昧な返事しか返ってこない。もしや彼女には、実家で恋忍ぶ人でもいたのだろうか」
「美しい方でございますから…それにしましても、何やらよからぬ噂を耳にいたしました。今上の、対の御方への御心ざしが、あまりにもあからさまなので、梅壺女御の母上が、目障りな対の御方に何か仕掛けたのではないか、と」
「何を言われる。人にとやかく言われるような情けをかけたわけではありません。対の御方は楽器の名手ゆえ、合奏などして楽しんでいただけなのですよ。それを『あからさまな御心ざし』などと、何もそこまでねじまげなくとも」
あわててごまかしますが、図星を指されて胸がバクバク鳴っています。できるだけさりげなく、あたりさわりのない話をしたあと、さもふと思い出したかのように、
「おお、そういえば最近兵部卿宮がすっかりご無沙汰ですね。
俗世へ何の関心もなさそうな風情だったのが、関白の二の姫との結婚で、ようやく目覚められたか。二の姫通いに執着して、内裏に顔を出すのを忘れていると見える」
と肝心の話を切り出しました。
「いえそれが…二の姫のことに関しましては、前々からうわの空だったのですが、最近ではますます通うのを嫌がっているようだと両親が嘆いておりますわ。親不孝は罪が重くなるといいますのに」
「ふむ、興味がない、と。それはきっと、隠れた本命の恋人がいるのではないかな。男がうわの空になるのは、女人に心を奪われているときくらいですよ。なにもかも恵まれた宮に迫られて、拒み通せる女人などいないと思うが、そんな宮がうわの空だとは、おかしな話だ。いったい何が原因で、うわの空になっているのか不思議でなりませんね。おお、そういえばつい先日、『兵部卿宮は恋人ができて、二人きりで籠もっている』と誰かが言っているのを耳にしましたが」
「さあ、そんな話は聞いていませんが…いつものとおりに物思いがちに過ごしているようです。困ったことですわ」
姉君らしい心配をする中宮なのでした。


それから何日かして、東雲の宮が姉君の中宮のもとへ参内した時、中宮は、
「今上がこのように仰せでしたが、秘密の恋人がいらっしゃるのですか?」
と単刀直入に宮に訊ねました。
「そんな女人がおりましたら、この世が憂いなど誰が思いましょうか。何かおかしな噂でも耳になさって、今上は、この私が対の御方を取り隠したと勘違いしておられるのではありませんか。
思いもよらぬことを仰せになられる。世間では今上を、『あんなにお通いだった梅壺に、すっかり飽きてしまわれて』と皆が言い合っているというのに。
対の御方が姿を隠したのは、私のせいではありませんよ。きっと梅壺女御の母上の、今北の方が何か知っているに違いありません」
「対の御方は本当においたわしいこと。ご実家の祖母君のことでは、さぞご心痛でしょう。今上も御方の楽の上手をたいそう褒めておられましたよ」
「まこと対の御方の楽の音色は、いまだかつて聞いたことがないほどです。あのように何事につけても優れている方は、なかなかいらっしゃらないでしょう。今上のご愛情が深くなったのも無理ありません。今北の方が「対の御方の教養を我が女御にも」とでも考えたのでしょうが、対の御方と並べれば、梅壺女御の容姿なぞ勝てるはずありません。按察使大納言殿は、対の御方の失踪をどう思っておられるのでしょう。今北の方が虚言を吹き込んでいやしないかと心配でなりませんよ」
そのあと東雲の宮は、対の御方がいなくなって以来の今上の嘆きぶりを中宮から聞きましたが、
(対の御方が行方不明になったのは、畏れ多いことながら全て今上が悪いんじゃないか。人目も気にせず『御方、御方』としつこく召し出そうとするから、お付きの侍女たちに気づかれて、今北の方に告げ口されたんだ)
とくやしくてなりません。しかし対の御方を心配する気持ちは同じ。どうお過ごしだろうかと、宮は今上のもとに参上しました。


「やあ宮。すっかりご無沙汰だね。結婚して妻の家の居心地があまりに良いものだから、てっきり忘れられているかと思ってたよ」
人も少なな穏やかな昼下がり、脇息にもたれていた今上は、御前に参上した東雲の宮にそう声をかけました。
「は。鬱々とした気持ちに最近拍車がかかりまして…家を出るのもおっくうになってしまった次第でございます。いつ死ぬかわからないようなつたない身に、余計な縁(=結婚)なぞ何の意味がありましょうか。ただただ出家することだけを願う、そんな毎日を送っています」
「ふうむ。何が気に入らなくてそんな心境になったのだね。これ以上はないくらい立派な家の妻を娶ったというのに、まだ満足できないと言うのだな」
とりとめもない世間話をしているうちに日も暮れてきたので、宮は御前を退出したのでした。
東雲の宮が退出したあと、今上は、
「宮が御方を隠したんじゃないかと密かに疑っていたが、あの様子ではとてもそうは見えない。御方の失踪は、本当に梅壺女御の母君の仕業なのだろうか」
とため息をつきます。なぜなら、もし本当に今北の方の仕業であるのなら、原因は多分自分にあるからです。対の御方への恋心を隠していたつもりだったのが、いつのまにか周知のこととなり、激怒した女御の母君が邪魔者は消せと言わんばかりに行方不明にさせてしまったのですから。
私のせいなのか、生きているのだろうか、もう一度逢えるのだろうかと考えるにつけても、今上は口惜しくてなりません。


 逢はずして わかるる中の 契りこそ げにいにしへの うさもしるられ
(契ることなく別れることとなった彼女なのだ、前世での縁の浅さも思い知らされることよ)


それ以来、もう梅壺そのものに興味を失ったかのように、今上の足はすっかり遠のいてしまいました。ときおり誰かを探すように梅壺をのぞいては、深いため息と共に立ち去ってゆく今上。
その背中を見送る女御は自分自身がたいそう恥ずかしく、
「なんてみっともない立場なんだろう。女房たちも内心笑っているに違いないわ。ああそれより、父君と母君がどれだけ困っているかしら」
と悲嘆するばかりなのでした。



対の御方が軟禁されて、もうだいぶ日にちが経ってしまいました。
(いつまでこのままなのだろう、あるいは一生をここに閉じ込められたまま過ごさねばならないのかしら…ああ早く死んでしまいたい。仏さま、後生ですから今すぐ私の命を取り上げて下さいませ)
祈ったところでなんの効験もありません。
(おばあさまは無事なのかしら…もしご無事なら、私のことを心配して下さっているかしら。父君も…ああだめだわ、今北の方がウソの報告をしているに違いないわ。私にけしからぬ落ち度があって行方知れずになった…そう説明している気がするわ。そうして父上に嫌われ、そのうち私の存在すら誰からも忘れられ…ああそんなのイヤ…)
そう考えただけで死んでしまいそうな気持ちです。
一方、対の御方たちがここに閉じ込められて以来ずっと食事の世話をしている女(主の民部少輔の妻)は、毎日御方たちに接するうち、いつしか悲嘆にくれる美しい御方の味方になってしまいました。
(なんておいたわしい。こんな可憐な女郎花みたいな人が、何をどう悪だくみできるっていうの。今北の方さまは本当に恐ろしい方ね。風にも耐えられそうにないくらい儚(はかな)げな人に、なんてひどい仕打ちを考えつくんだろう)
とはいえ、主人筋の命令ですから逆らえるはずありません。
「神さま仏さま、どうかこの方たちをお救い下さいませ」
と祈るしかないのでした。それを聞いた対の御方は、
「私をさらった悪党の一味にまで同情されてしまうなんて…なんて情けない我が身なの。ああ本当にいますぐに死んでしまいたい」
と目の前が絶望で真っ暗になるのでした。