狭衣物語


その七


すさまじきものは師走の月とはよく言われるが、見る人見る時間が違えば、また格別なものとなる。狭衣は、明け方の寒気に澄み渡る師走の月を見ているうちに、どうにもこうにもたまらなく心細くなり、居ても立ってもいられず、乳母子の道季(飛鳥井の女君をさらった道成の弟)を伴って、女二の宮のもとを訪ねた。
御門の管理する人もいないのか、いとも簡単に邸内に入れてしまう。庭を見渡せば、古びた深山木に吹き付ける風の音がおそろしく、雪の降り積もるさまは、人目も草も絶え果てて、これが同じ都のうちかと思うほどである。
狭衣の来訪に気付く気配もなかったので、特に呼びつけ案内させることもしないで、黙って奥に進んだ。中門まで来て、狭衣は、
「初めて女二の宮をかいま見たときから悪夢のような契りまで、忘れてしまいたいことばかりだ。女二の宮が世を捨ててしまわれたのももっともなことだよ。尼にならざるをえなかった己が身を見るにつけても生まれた御子を見るにつけても、私のことを恨まない日はないだろうな。私がこれほど複雑な思いで二の宮を案じているなんて考えもしないだろう」
とつぶやく。誰か起きている人はいないものかと、邸内の気配に聞き耳を立ててみるが音もしない。格子や戸が木枯らしに吹かれて、狭衣を誘うかのように音を鳴らす。昔のようにもう一度お姿をと思えば、とてもこのまま帰れそうにない。鍵がさしてないところを探して、風に鳴り止まない戸の音にまぎれて中に入っていった。
格子を少し押し上げると、御殿油がほのかに灯っているあたりが女二の宮の御座であろうと思われた。狭衣が想い描いていたのと寸分違わず、脇息にもたれて打ち沈んでいた。女二の宮は、格子の音がしたのも木枯らしのせいと思っていたのに、ふいに柔らかな人の気配がしたと思ったら、男が、それも、忘れようにも忘れられない憎らしい香りと共に忍び込んできたのがはっきりわかった。夢の中だけでも忘れられれば、と願うほど恨めしい男がすぐそばまで来ている、そう思うと二の宮は、気が動転して、単衣以外は全部脱ぎ捨て、御几帳の中から急いで滑り出ていってしまった。
狭衣は逃げられないように急いで重なっていた衣装を押さえたが、御袿や袙が手に残るばかりでもぬけのからだった。室内の様子もたった今まで二の宮がここにいたようで、残り香などもそのままで、あと一歩だと思うと狭衣はうらめしくてたまらない。二の宮の、夜毎の涙を吸っている枕を見ると、

『・・・衣の袖を片敷く独り寝に、あなたは幾夜泣き明かしているのだろうか。流す涙で枕が浮かびあがるほどに』

とこらえきれずにつぶやく。
女二の宮は、逃げはしたが部屋からは出るに出られず、すぐそばに隠れているのが気配で知られてしまうのではないかと息を殺していた。母大宮が、はかなくなられた際の狭衣の薄情さを思い出すにつけても、二の宮は涙が次から次へと溢れてくる。
もうすぐ夜が明ける。狭衣は、いつまでも二の宮の御帳台で呆然としたままでは、恋に狂った男の例として物笑いの種になりかねない、とあきらめ、ようよう起きあがろうとすると、ふいにかわいらしい赤子の泣き声がした。
(女二の宮と狭衣の子)若宮が目を覚ましたのである。その声に女房たちが次々起きだして、「誰か灯りを」など騒ぎ始めた。狭衣は、どうしようもなくただじっとしているほかなかったが、「忍び甲斐もなかったうえに、このままでは二人にとって、つまらぬ浮名が立ってしまう」と、闇に紛れてここを抜け出す手段を考えていると、奥の方で女の身じろぐ気配がする。二の宮の妹の女三の宮だった。以前の自分なら女三の宮のもとへ逃げ込んだかも知れないが、二の宮との一件ですっかり懲りた気がして、闇と木枯らしに紛れて何とか寝所から出た。若宮のかわいらしい泣き声がまだ聞こえる。このたびの帝と大宮の御子が、本当は自分の子であったとは知らなかったが、これからその御子を宮中で見かけるたびに、帝の御子として扱わねばならないと、狭衣は複雑な気持になる。いつまでも聞いていたいが、あまり長く立ち止まっていると誰かに発見されてしまうだろう、しかしこれほどまでにうまく取り繕われた大宮の深慮に改めて感心した。薄暗いうちにようやく退出できたが、二の宮の枕の涙が目に焼きついて眠れそうになく、帰邸した狭衣は御手水を使ったあと、仏前で早朝の勤行をしながら心の乱れをまぎらわしていた。


その頃、源氏の宮もいつもより早く起きだして、夜の間降り積もった雪を見ていた。狭衣が渡殿から対屋を見ると、すっきりとした身のこなしの家人が数名、雪まろばしを始めている。白い袿や袙だけの女童たちもいる。寝起き顔の女房たちのしどけない姿もそれぞれに趣があり、「足跡をつけるのが惜しいほどの雪だこと」「富士の山のような雪山をつくりましょう」などはしゃいでいる。狭衣は自室を出て源氏の宮の住まいである対屋の方へ行き、障子のすきまからそっと様子を見ると、几帳なども全部片付けられ、源氏の宮は柱のそばで脇息にもたれかかり、雪まろばしを楽しそうに眺めていた。故皇太后宮の服喪中のこともあり、落ち着いた枯野重ねに吾亦紅(われもこう)模様の上着という、地味な衣装ながらすばらしい着こなしである。狭衣は源氏の宮の美しさをかいま見て、ああやはりこのようなまたとない人だからこそ他の女人に本気になれるはずもなく、自分をもまわりの人をも破滅にさせてしまったことよ、と後悔する。
雪山を題材に和歌を詠む女房も多く、狭衣も、

『思い焦がれて燃え続けるわが身こそが富士の山であることよ』

と一人そっと詠んだ。
その後の勤行に身の入るはずもなかった。


しばらくして、源氏の宮のもとに東宮よりお文がきたと聞き、狭衣はやましい嫉妬心から再び対屋へ行くと、母堀川上(母斎宮の上。堀川大殿第一夫人的存在のため、以下堀川上とする)も来ていて、お文を見ていた。
お文の使いは東宮亮(とうぐうのすけ)で、居並ぶ女房たちにもてなされている。
東宮のお文は氷がさねの薄様で、雪をいただいた呉竹の枝につけられていた。「なんて趣深いお文でしょう。これは直接源氏の宮にお返事を書いていただかねば」と母堀川上が言う。狭衣はその言葉に不満だった。源氏の宮は遠慮していたが、母宮は強く勧める。狭衣は、
「源氏の宮の手蹟はとてもお美しい、まして今回はお相手が東宮であられる。いったいどのような華麗なお手蹟を東宮にご披露されることやら」
と皮肉めいて言うと、母宮は、
「狭衣、あなたは源氏の宮が、筆をとるのを遠慮するようなことをおっしゃるのねえ。それならあなたが代筆なさいな」
と笑われる。
東宮のお文は、

『・・・あなたの入内を期待し始めてから、一体どのくらいの年月が経ったのでしょう。この呉竹の葉に積もる雪のように、消えゆく思いで待ち続けているのです』

とあった。墨枯れした、じつに流麗なお手蹟だ。
「このように見事な和歌のお返事など、わたしにはとてもとても・・・」と狭衣は言いながら、

『・・・待たせている、と仰せですが、これからこの先もお待ちくださいますか。いつ死ぬかもわからない我が身でございます』

との歌を詠んで、それをそのとおり源氏の宮に書かせた。お文をしたためている源氏の宮の、朝日に照り映える雪消の光のような一点の曇りもない清らかさ。この美しさがいずれ東宮のものになるかと思うと、とてもこの世にいられそうにない絶望感に打ちのめされる狭衣だった。
「御使いのかづけ物はこれがいかがかと・・・」の老女房たちの声にまぎれて狭衣は御硯を引き寄せ、先ほどの東宮からのお文の端くれに、

『・・・そうとも、一縷の望みもない私でさえ長い間恋い続けた挙句、末の葉の雪のように消え果ててしまったのだ』

と書き付けた。まあまあ満足のいく身分ではあるが、東宮よりは今一つ劣った身分に生まれたということは、前世での修行が不足だったということなのだろう、東宮が思いのままに源氏の宮とお文を交わし、ついには妃として迎える羨ましさ・・・狭衣は、東宮が妬ましくて妬ましくて仕方がなかった。
「源氏の宮。私の書いた歌は興ざめだとは思いませんか」
と端くれに書いた歌をお見せになるが、源氏の宮は置いたまま見ようとしない。仕方がないので狭衣は自分の書いた部分をこまかく破り捨てたのであった。
親も女房も知らないが、ありったけの想いをこめて狭衣は源氏の宮に恋心を尽くしている。無理強いにでも契ろうと思えば叶わないこともないが、親たちの心配するのがお気の毒でもあり、心のままに乱暴をすれば困った事態になることはわかりきっているので、本心を隠して過ごしている。
その一方で、女二の宮のもとに忍び込んで以来、二の宮への想いも一層まさって、何とかして尼姿を拝見したい、直接お話したいなど、不埒なふた心を持つ狭衣であった。


それからしばらくして、筑紫に下っていた狭衣の乳母子である道成が、国司に任ぜられるとのことで、正月に京に上ってきた。道成は狭衣に対面して、大宰府からの道中の興味深いことなどを、おもしろく物語る。そのうち、入水した道成の女君の話になったが、どうもこの道成、この女君が狭衣の想い人である飛鳥井の女君とは知らないような話ぶりである。
「昨年の五月に太秦にお籠りした際にかいま見した女でして・・・なんとかして女の素性を知ろうとしまして後をつけてお供の童を問いつめましたところ、この女は、帥の中納言の娘であるということがわかりました。ふた親とも亡くなっており、女は乳母を頼りにしていたようです。蔵人少将とやらが(素性を隠して通っていた狭衣のこと)時々通っていたようですが、私と乳母が示し合わせまして、筑紫行きの船に乗せたんです。道中女は泣きどおしでした。近くにも寄れず、手も出せずじまいでしたよ。そのうち折れるだろうと楽観していたんですが・・・霜月(しもつき)の晦日(つごもり)、備前国の某港に停泊した際、家人たちが『誰かが海におちたぞ』と騒ぎ始めまして、それっきり行方が・・・狭衣さまが下さいました御扇を女に与えていたのですが、その扇に女の手蹟で最期ともとれる和歌が書き付けて落ちていたのです。どうも、その、蔵人少将の胤を腹に宿しておりましたようで。最期まで抵抗されたのもそのせいでしょうなあ。私の方がずっとよいはずですのに」
道成のこの話に狭衣は顔色が変わるほどの衝撃を受けたが、表面上は強いて何事も関心なさそうにして、
「そうかい。それはずいぶん情の深い女人だったんだね。そこまでかたくなに想われるとかえってうっとうしいと、その蔵人少将とやらはうんざりしていたんじゃないのか」
と言葉少なに言う。
あの物忌みの夜、無理にでも飛鳥井の女君を訪ねていれば、懐妊したことも知り、こんな後悔するような事態にはならなかったのに、と口惜しくてたまらない。もし知っていれば、たとえ女君の出自がそれほど高くなくとも、父大殿や母堀川上は、大喜びでその御子を引き取っただろう。どうして自分は、前途ある人を投身させたり出家させたり死なせてしまったり、様々な人の人生を目茶苦茶にしてしまうのだろう、これも前世の因縁なのか。しかし私の愛人とは知らなかったとはいえ、道成が女を盗み出して、私を悩ませるのはやはり許せない
――
後悔と、高貴な人にありがちな高飛車な思いで複雑な狭衣であった。

次の日狭衣は、
「道成、わたしがおまえに与えた扇を返しておくれ。女君がなんと書き付けたのか見てみたい」
と言った。道成は、「女の形見になってしまいましたので」と断ると、
「おまえとその女人の関係は、疎々しかったのだろう?強いてその扇を形見とする義理などないんじゃないのか?それとも何か?昨夜の話はウソで、その扇を偲んで泣くような間柄だったのかい」
と、さりげなくだが無理強いする。
「狭衣さまにウソなど申しません。『わたしと連れ添いたいのなら、今は手を触れないで欲しい』と女に言われたのです。誓って本当のことです」
と道成はあわてて言う。狭衣は、本当に道成が女君に手を出していないことがわかり少しホッとした。
道成が扇を返却して退出したあと、狭衣は端近くに出て空を眺めた。空が少し霞みがかって月がおぼろに見えるのは、涙があふれているせいか。
御前にはべっていた女房たちが下がったあと、狭衣は扇を持って月の光にあてて和歌を確かめる。涙の流れたあとのある文字。今を最期と海を覗き込んだ様子や心の内がありありと目の前に浮かび、悲しいという言葉も足りないほどだ。
『きっとこの扇がわたしのものと知っていたのに違いない。わたしの家来に連れ出されたと知って、どれほど悲しかった事だろう。哀れでたまらない。入水した場所を尋ねていったところで甲斐もないだろうが、せめて女君が飲み込まれた白波だけでも見てみたいものだ』
と願ったが、都の中でも思うままに外出できない不自由な身。光源氏の須磨配流でさえ今はうらやましい。

『・・・もしわたしが海人だったら、大海にもぐって必ず女君を見つけるのに』

そんな気分だった。
そのためか、狭衣は以前のように道成をそばで召し使ったり相談事を持ちかけるような親しいそぶりを見せることも無くなり、道成は扇の返却を申し出る事もできず、なぜ急に疎まれるような事になったのだろう、と複雑な気持で過ごすのだった。。


帝と故大宮の御子(本当は狭衣と女二の宮の子)である若宮の御五十日の祝いが近づいてきた。故大宮の服喪中とはいえ、どうして祝わないではいられようか。女二の宮の妹の女三の宮が、若宮を内裏にお連れして父帝に対面させる。もし、母である故大宮が健在であったなら、さぞ盛大にお祝いできたであろうに、と女三の宮は胸をつまらせた。
帝は若宮をご覧になり、「世の中にはこれほど美しい赤子もいたのだなあ」と、ご自分の晩年にできた御子だけに特別可愛らしく思われる。
「若宮の御母親がわりとなる二の宮や三の宮・・・二の宮は出家されてしまったが、女三の宮を狭衣に降嫁できたら。若宮の後見に、狭衣左大将ほどしっかりした人物はいまい。それに、狭衣がよその公卿の娘と結婚してしまうことは、口惜しいことよ」
狭衣をなんとしても身内に取り込んでおきたい帝であった。
五十日の儀式が始まり、帝が若宮のお口に餅を含ませる。目を覚ました若宮の笑う様子が狭衣左大将にそっくりなのを、帝は、
「狭衣は私と縁続きだから、このように似ることもあるわけだな」
と思われ、狭衣を召し寄せて、
「左大将。どうだねこの若宮の美しさは。まるで光をその身に持っているようではないか。妬ましいほどにそなたに似ているよ」
そう言って若宮の顔を狭衣の方に向けさせた。狭衣は、確かに自分とうりふたつの顔立ちの若宮に涙がこぼれそうだったが、めでたいお祝いの席での涙は禁物、心をこめたお祝いの言葉を伝え、御前を下がった。

狭衣は悲しくてたまらなかった。おのれの魂が若宮の袖の中にとどまってしまったように、可愛らしい若宮の面影が目に焼きついて離れない。くやしくて悲しくて、取り乱して倒れてしまいそうだった。

この五十日のお祝いの後、狭衣の頭から女二の宮のことが離れず、思いつめた事柄や他人には言えない事柄をこまごまと書き付けた手紙を、中納言内侍典侍を仲介にして女二の宮に渡してもらおうとしたが、二の宮は「私は出家した身。いまさら何を」と思い、中納言内侍典侍に対しても、よそよそしく扱うようになった。中納言内侍典侍は、「宮さまにこのように冷たくあしらわれる身になり、口惜しくてなりません」と狭衣にこぼす。狭衣は、そのように思われても仕方ないことをしたのだから、と反省する一方、なんとかしてお逢いできる機会がないものかと懲りずに考えている。
「ああ、あの入水した飛鳥井の女君が生きていたらなあ。身分が劣っていても、いつもながめて心を慰めることができるのに。いまさら言っても仕方の無いことだが・・・。賢明な判断ができるような、聡い心の持ち主ではなかったが、実に暖かみがあって可愛らしい人だった。思慮の無い、浅はかな人だったかもしれないが、本当にそばにいるだけで安らげる人だった。懐妊していたと聞くだけに哀れでたまらない」
あれこれと思い切れない狭衣であった。


夏になって、帝はご気分がすぐれない日が続いて病がちになった。
譲位をほのめかすようになり、退位後は出家して、嵯峨の小倉山のふもとに造営しておかれた御堂にて静かに勤行したいものだと思われる。次代の東宮になるべき一の宮(坊門上と堀川大殿の娘である中宮の御子)もおり、不安な事は何もないが、それでも堀川大殿は賢帝の譲位を残念に思う。帝は、御世代わりに心乱している中宮に、
「あなたはやがて東宮に立たれる御子の御母后であり、堀川大殿という、もっとも有力な後見にも恵まれておられる。私はまもなくさまを変えて、嵯峨にこもりますが、あなたは心根をしっかり持って、一の宮をお守りしてください」
と言い聞かせた。故大宮の御子である女宮(女一の宮・二の宮・三の宮)たちのことが気がかりで、帝はその方面の世話を、堀川大殿にくどいほどに頼まれる。
「女二の宮は出家してしまったが、身の行く末を私はずいぶんと気にかけていたものだ。斎院(女一の宮)はその職ゆえ、世間知らずで戻ってくることだろう。だが、女三の宮と若宮のことこそが一番心配だよ。女二の宮と狭衣の婚儀が破棄となった今、実は代わりに女三の宮を狭衣に与えようと考えていたのだ。婚儀後は、二人にそのまま若宮を託そうとも思っている。狭衣に、我が子と思って、どうか後見をお願いしたい」
「今上・・・私の目の黒いうちは、御子がたを決して見離すことはありません。命の限りお仕え致します。狭衣も、何事も悲観的な性質ではありますが、今上のたっての仰せをどうしておろそかにしますでしょうか」
など、お互い心にしみいる事などを語り合い、帝は頼もしく思うのであった。
「女三の宮をこちらにお迎えする準備を一日でも早くはじめて、帝に安心していただこう」
と堀川大殿は思い立ち、急いでお部屋の準備にとりかかる。
「今度は三の宮だと?・・・以前二の宮のもとに忍び込んだ時の三の宮は、気高さや奥ゆかしさでは、二の宮より劣っていたような気がする。二の宮は不満な点は何も無く、決しておろそかにできるような方ではないと思ったが、その点では三の宮はどんなものか、期待できないなあ・・・源氏の宮への恋慕を持て余して女二の宮をずいぶんと冷淡に扱ってしまった。子までなすほどの前世からの縁の深さだったのに。ほんの少しでもいいから二の宮に心のうちを聞いて欲しい。出家なされたのだから、それはもう無理だなあ。二の宮と三の宮は御姉妹なのだから、結婚したら、三の宮と私の睦まじい様子が二の宮には筒抜けになってしまうだろう。それは何としても避けたいことだ。三の宮には、ただおそばで仕えるような形にして契りを結ばないようにしよう。妻を持って安穏と暮らしている、と二の宮に思われたくない」
屋敷内が女三の宮をお迎えする準備で忙しい中、狭衣はそんなことを考えていたのだった。


その年の八月十日、嵯峨の御堂にて、帝は剃髪するとともに、位なされてしまった。これより嵯峨院と呼ぶ。普通の人の出家でも見るにつけ聞くにつけ悲しいものだが、ましてや帝の出家ともなると、万感胸にせまるという言葉も足りないくらいで、中宮などは取り乱して泣かないようにするだけで精一杯だった。
そんな姉・中宮を狭衣は慰めながら、中宮腹の一の宮が東宮に立たれたこと、その東宮の後見を、堀川一家に任されるめでたさなどを考えていた。
御譲位・新帝の即位の儀式などで忙しさが立て込み、世間が落ち着いてから狭衣と女三の宮の婚儀を行おうと、堀川大殿は考えていた。
嵯峨院は退位するとともに気分もすっかり落ち着き、女宮たちに対面するべく嵯峨の御堂に呼び寄せる。出家した二の宮には特に伝える事が多く、あわれ深い事柄などを心を尽くして話された。
女宮たちは、
「御逝去ではなく、御出家のお姿をお見上げできることを、何よりのなぐさめとして、最期の時には父院に遅れをとらずに死にたいものでございます」
と父嵯峨院に泣きつく。院は、以前の御治世の憂悶を思い出すことなくさっぱりと住みこなしていたが、一の宮と三の宮を帰らせた後、無聊のなぐさめにと、同じく出家した二の宮を留まらせ、嵯峨の美しい景色の中で勤行を共にする。初夜(午後六時〜八時)・後夜(御前四時〜六時)の念仏も、怠ることなく二人で行い、院は「後の世も共に」と女二の宮をなぐさめるのだった。


その頃都では、新帝即位後初めての大嘗会(だいじょうえ)の女御代を源氏の宮がつとめ、そのまま入内なさるであろうとのうわさに、狭衣が打ちのめされていた。