狭衣物語

その十九

いよいよ藤壺女御が臨月を迎え、出産間近となった。女御の安産を願って、堀川の屋敷はもちろんのこと、世間の人々も「安らかに御子を産み参らせますように」と、さまざまな祈祷を行っている。お産の兆しが見え始めてからは、里邸の堀川院では、入るすき間もないほどの大勢の人が詰めかけ、僧も普通の人も、世間に重んじられている人は全て集まっているのではないかと錯覚しそうな熱気である。内裏からの御使いもひっきりなしに行き交い、使者の往復する時間もじれったいという、今上の気持を表しているかのようだ。まだかまだかと待ちわびていると、
「御安産でございまする。光るような男子を産み参らせました」
との報告がようやく来た。今上のうれしさは大変なものであった。もちろん、女御のそばにつきっきりで出産の世話をしていた院や大宮は手放しの喜びようで、屋敷の中は大騒ぎだ。すべては女御の運の強さなのか。
一品の宮のもとからやってきた小さな姫君は、後宮にすっかりなじんでいるが、この姫こそが今上の第一の御子であることを世間の人は誰も知らない。
そんな人々が、どうして堀川に身を寄せている若宮が真実の世継ぎだと気づこうか。気づくはずもなし、また、決して知られてはならない真実でもある。
ゆえに、このたびの皇子誕生が今上の初めての御子だと思っているので、
「次代の帝は嵯峨院の若宮と既に決まっているが、いかにすぐれた宮であろうとも、今上に皇子がお生まれになった今では、今上の御心は皇子さまの方に移ってしまわれても仕方のないこと」
「昔どおりのご寵愛には戻らないかも知れぬ」
「予定通りに若宮が東宮に立たれたとしても、今上に第一子が御誕生になられたからには、御後見の勢いから言っても、御誕生なされた皇子さまが若宮を圧倒しなさるであろうな」
など、まだ東宮の立坊の時期でもないのに、世間の人は口々に聞き苦しくささやきあっている。嵯峨院方でも、
「まったく、世間の思惑も当たりそうだ」
と複雑な思いでいる。今上はこの噂をいかにも馬鹿げたことよと気にも留めていないが、堀川院方でも、後見している女御の産みまいらせた皇子に心が移ってしまうのは当然のこと。院や宮が手ずから皇子を寝かせたりあやしたり、いろいろ世話をしているうちに、
「なるほど、この皇子さまが若宮を圧倒して立坊するのではないかという、世間の思惑が現実になってしまうかもしれないなあ」
と感じるのも無理はなかった。女御をつききりで世話していた今上の御乳母の大弐の三位が、
「院も大宮も、たぐいないほどの御寵愛ぶりでお世話申しています」
と今上に奏上するのを聞きながら、かつての若宮誕生の頃の事を思い出した。
・・・若宮誕生の折は我が子とも知らないで、中納言内侍典侍がそれとなく知らせてくれた時から、悲しみのあまり思慮分別もなくなってしまった。出家した女二の宮のもとに忍び込んだ時に聞こえてきた赤子の泣き声。あの声は今でも忘れる事が出来ない。世間がどれほど騒ごうとも、やはり私にとっての第一の皇子はあの若宮・・・私と女二の宮との子だ。ようやくこころおきなく若宮の世話が出来るようになった今、女二の宮への思慕は今も昔も変わらないという証(あかし)を見せるためにも、これから先、たとえ素晴らしい御子がどれだけ生まれたとしても、やはり若宮は特別な存在、他の誰とも比べることなどできやしないだろう。しかし、今からこんなに立坊がどうのこうのと大騒ぎされているのを女二の宮が耳にされたら、どれほど胸を痛められることだろう・・・
せつない物思いにふけっていると、ちょうど折りよく、当の若宮が御前に上がってきた。今上は笑顔で迎え、辺りが光り輝くほどの美しい顔の若宮をすぐそばに呼び寄せる。みずら結いの清らかな御髪をかき撫でながら、
「堀川の院は、生まれたばかりの皇子を少々可愛がりすぎているようですね。もちろん、あなたのことを忘れたわけではないでしょうが、少し不愉快なほどですよ。大丈夫、この私がいます。私は誰よりもあなたが愛しい。
この私を信じて下さいね」
とやさしく言い聞かせる。若宮は少し涙ぐみながら黙って聞いていた。悲しいだろうに、泣きたいのを我慢している姿があまりにいじらしい。そんな若宮の髪のかかり具合や額つきが、かの夜、燈火のもとで見た女二の宮に生き写しで、今上も涙がこぼれそうになる。もう少し女二の宮に、我が子の行く末を思いやる御心があったなら、出家しようなどという軽はずみな考えは浮かぶはずなかっただろうに・・・と、女二の宮をみすみす尼にしてしまったことを悔やむ。
今上は硯を用意させ、筆を走らせた。


『・・・かなしさもあはれも君に尽き果てでこはまだ思ふものと知らぬを
(愛しい気持をどれほど注いでも、尽きることないあなたへの愛情なのですよ) 』


歌を若宮に見せると、悲しそうにしていた若宮の顔が光る笑顔に変わる。
照れたようにうつむいて若宮が書いた返歌は、


『・・・ことはりも知らぬ涙やいかならん我よりほかの人を思へば
(私以外の人をあなたが愛すると考えただけで、どうしてなのでしょう、涙が勝手にこぼれてくるのです) 』


というものだった。さすがに血は争えない、女二の宮によく似た手蹟のなんという流麗さよ・・・と今上はほれぼれ眺めている。若宮を限りなく愛しているが、かといって「真実は我が子」と発表すれば、面倒なことになるのはわかりきったこと。今上は若宮の立場が気の毒だったが、嵯峨院にも誰にも真実を打ち明けまいと心に誓った。


それほどの寵愛のない女御・更衣でさえ、御子が誕生すればしきたり通りに行幸は行われるが、ましてや最愛の女御に御子誕生ともなると、今上は久々に実の母上に会いたい気持も手伝って、七日の産養いが過ぎるとすぐに堀川院への行幸を行った。沿道では、この行幸の折にひと目でも帝の御姿を拝もうと、見物の車や立ち見の人々がごった返し大騒ぎである。久々に見る京の町の風景、臣下だった頃、たわむれに立ち寄った女人の屋敷・・・
なにもかもが懐かしい。今上は感慨深い気持でいっぱいだった。
今上が到着すると、待ちかねていた堀川の邸の人々は、女房も家来も全ての使用人たちが感極まって涙の出迎えをした。対面した母の大宮は、この喜ばしい行幸には不吉なほど涙を流して声もでないありさま。時の経つのを忘れるほど、親子水入らずで語り明かしたあと、今上は生まれたばかりの一の宮がいる部屋に出向いた。穏やかに寝ているその顔は、赤子ながらも(女二の宮腹の)若宮にそっくりである。若宮が誰より愛しいと、つい先日宮に誓った今上だったが、ここに寝ている赤子も私の大切な子、愛情の優劣などとても決め付けられるものではない、としみじみ感じた。
対面した女御は、まだ産後の疲れがとれないため、弱々しくほっそりとなっていた。絵から抜け出たような上品でなやましいその姿に、今上はいつまでもこのまま一緒にいたい気持でいっぱいだが、日暮れが迫り、後ろ髪をひかれる思いでしぶしぶ内裏に戻る。
無事に行幸が終わり、堀川院の別当や家司など、行事を取り仕切った功労者には、先例どおりに加階があった。



このように、今上の御世にとって限りなくめでたい慶事の中、ただひとり一品の宮だけは傷心にやせ衰えていき、胸が苦しく息も絶え絶えな日が続いた。あとはもう死ぬ運命、これが最後と、ついに一品の宮は髪をそぎ、尼となった。人生の最後の落ち着き場所に辿り着こうとしている一品の宮は、
「まだお若い。出家して仏の弟子になれば少しは回復なされるかも」
との周囲の心配もむなしく、尼となってからどれほどの日数も経たないうちに、と
もし火が消えゆくようにはかなく亡くなられた。
世間が一品の宮の死を悼む中、同じように今上も亡くなった一品の宮を偲んでいた。今となってはどうしようもないような過ぎ去った過去を懐かしむ心癖からか、今上は、あれほど深い溝で仕切られた二人の仲も、対面しても冷淡なやりとりに終始していたことも、全ては淡い霧の彼方の出来事、もう戻る事のない一品の宮は、私の思い出の中ではただただ気高く、自己をつらぬくそのお心は、だれ一人汚すことのできない崑崙の珠のような清らかなものであったよ・・・と、うしなった事にひたすた涙していた。
だが、亡くなった宮を心中気の毒だとは思っていても、退出していた藤壺女御が生まれたばかりの若宮を連れて宮中に戻ってくると、今上は「何度思い返しても仕方のないこと」と心にしまい込んで、愛しい二人と対面した。
「ようやく戻ってこられたんですね。あなた以外に愛を分ける女御もいない私のつらさがあなたにわかりますか?長い間、この内裏にたった独りだったこの私の気持が」
後宮に再び華やかな光が戻った。現世のこの幸福を来世でも同じ蓮(はす)の台の上で、と誓いを立てた今上は、寵愛する藤壺女御のもとで日々を過ごす。まるで世間の仲の良い普通の夫婦のように。
「御寵愛ぶりといい御後見の確かさといい若宮を産み参らせたことといい、藤壺女御の御運の強さは並み一通りではないことよ」
世間の人は、女御の幸福をもてはやした。
藤壺女御は世継ぎの君を産み、押しも押されぬ強力な後見もあって、めでたく中宮となった。



やがて一品の宮の四十九日の忌みも明け、夏も過ぎ秋も深まり、次第に紅葉が色づく季節となった。大原野の社や春日の社、賀茂の社や平野の社への行幸が順を追って行われる。美しすぎる容貌に、さらに帝としての威厳も加わり、並べるものもこの世には見当たらないほどの狭衣の様子に、お供の人々は少しでも近づきたいのであろうか、衣装や馬の飾りなどぜいたくを極めた者が多く、趣向を凝らした舎人や容貌のすっきりした馬副(うまぞい)など、すばらしく見どころのある行幸だ。
以前、若宮誕生の際に堀川院に行幸した時も、物見の車が多くて混雑した都大路だったが、このたびは公式行事のため、以前にも増しての大そうな賑わいだ。世にも稀なる美貌の今上をひと目拝もうと、行幸の行列が通る大路は人で埋め尽くされ、身分の上下もないほどの大騒ぎである。
大原野の社と春日の社への行幸は無事終わり、賀茂の社への行幸は、九月三十日に行われた。行く道に広がる草むらはみなすっかり枯れ果てているが、路傍の草の葉に置かれた露だけは、その昔臣下だった頃の、斎院へ自由に参内していた時となんら変わってはいない。ただ今の不自由な身分に比べたら、あの頃はどれほど自由に賀茂の社へ行って、斎院と対面できたことだろう・・・と今上はかつての幸福をなつかしがって物思いに沈んでいた。賀茂川を渡る時、輿(こし)を担ぐ人々の荒々しい声が、沈む気持を突き破るように聞こえてくる。今上は、
「・・・思ふことなるともなしにいくかへり恨みわたりぬる賀茂の川浪
(どれほど通おうとも斎院へのこの思いは叶うはずないのに、私はいったい何度この賀茂川を恨みながら渡ったことか)
悲しみで、この川に身を投げてしまいたいくらいだよ」
とため息をつく。
神に捧げられたる斎院を恋うて神罰をこうむってもおかしくないのに、神罰どころか帝位に就かせるとは、ありがたい神の御慈悲としか言いようがないが、唯一つ、恋しい斎院に逢えなくさせられたことだけは、畏れ多くもお恨み申しあげたいことよ・・・上賀茂の社で御祓いしながらも今上はそう考えていた。世継ぎの宮誕生の願ほどき、天下泰平祈願、御世の永きをいかに天照大神に祈ろうとも、内心ではさして帝位には興味も抱かず、永くも望まず、何一つ祈るもののない今上である。


『八島もる神も聞きけんあひも見ぬ恋ひまされてふ御禊(みそぎ)やはせし
(源氏の宮が斎院に立たれたときの私の祈りを、神は聞き届けられたでしょうに。私は、恋しさのみが勝るようになど祈りはしませんでした)
かつての祈願は、満願成就どころか、すべて違う結果となってしまった』


表面にこそ出さないが、祈願の間ずっと落胆しきっていた今上だった。


十月十日は平野の社への行幸である。様々な色をまき散らしたような紅葉に出迎えられながらの行幸は、木々の梢の風情もひとしおである。秋の澄み切った空気にまっすぐに立ちのぼる煙も、山のふもとに濃く薄くかかる霧も、何を見ても斎院を思い浮かべてしまう今上。今頃は賀茂の社も、見渡す限り色とりどりの紅葉に飾られていることだろう・・・そんな物思いに耽っていると、北山の峰から風がにわかに吹き出で、錦が日の光にきらめくように、紅葉が風に散ってゆく。
まさに絵に描いて留めておきたい美しさである。


『・・・神垣は杉の木末にあらねども紅葉の色もしるく見えけり
(いくら恋しくても今の自分はそちらには行けない。だから賀茂の神垣に色づく紅葉が、よりいっそう美しく見えることだ) 』


訪ねることが出来ないからこそ、ひときわ美しい色で自分を誘っているような賀茂の紅葉。賀茂のすぐ西で、日々斎院と差し向かっている船岡を眺めては心をなぐさめられ、それでも恋心は満足できず、いっそのこと大きく回り道して斎院のあたりに近づかないでおこうか、いやそんなことをしても魂は身体から抜け出して斎院のもとへさまよい出てしまうだろう・・・など、あれこれ考え込む今上。


『・・・それと見る身は船岡にこがれつつ思ふ心の越えもゆかぬか
(いつも斎院と向かい合っている船岡をうらやましいと思いつつ、こんなに恋焦がれているのにあなたのもとへ行けないこの身。焦がれる魂だけでも、この丘を越えて行けないものか) 』


このように、長年心に深く思い込んだ秘密の恋を忘れる事ができない一方で、第一の寵妃である藤壺の宮が自分の理想どおりの女人であることに満足していたし、帝となる運命だった自分の宿世のめでたさも並々ではないと感じていた。だが、どれほど満足していようとも、本心から望む源氏の宮を得られない焦燥感から、今上の心はいつまでたっても安らかになれるはずがないのだった。



弘徽殿に住んでいる姫君(飛鳥井腹の姫君)のことをいつも気にかけている今上だが、一品の宮が亡くなった後は、堀川院も大宮(堀川上)も絶えず弘徽殿を訪ね、姫君の無聊をなぐさめている。たいした器量の姫君ではないと聞いていた院であったが、噂とは反対に、隠すこともできない程の優美で可憐な姫君の容貌は、生母飛鳥井の女君の容貌もさぞやと思いやられた。院も大宮も、
「こんなにいじらしい姫なのに何ともったいない事だ。今まで生母の身分ゆえに軽んじることもあったが、若宮(女二の宮と狭衣の秘密の子)の元服の儀に合わせて、さっそくこの姫の裳着(もぎ)も考えねば」
と姫君の裳着を心配し準備することとなった。
裳着の儀式は公式なものではなく、堀川院のごく私的な儀式の扱いだったが、後の世のためしにもなるほど立派に執り行われた。常磐(ときわ)の里の尼君の娘の小宰相の君や乳母たちはもちろんのこと、故一品の宮の、姫君に対する見下げたような待遇に「どこかの馬の骨」と姫のことをささやいていた人たちも、堀川院が姫君を熱心にお世話するがゆえに、今ではこの弘徽殿の姫をもてはやすようになった。後一条院も、
「妹宮(一品の宮)の形見といえばもはやこの姫君だけ。心を尽くして目をかけてさしあげたい」
と急な裳着にも関わらず、非常に立派な衣裳・扇・薫物を、祝いの準備に合わせて姫のために贈り届けた。急だったとはいえ、世間の耳目(じもく)を集めた裳着が、申し分ないほど盛大に執り行われたことは言うまでもない。
藤壺の宮腹の皇子の御袴着(おんはかまぎ)もちょうど裳着の夜に行われ、元服・裳着・袴着と、さまざまな祝いの行事がひとつに重なって、そのめでたさをここに書きしるすことなどできそうにない。そんな中、女二の宮と狭衣の秘密の子である若宮が元服して髪を上げた時の、以前にまさる素晴らしさは、「一体前世はどこに居て、どんなお方だったのか」と皆をうならせるほどだった。若宮を見つめる今上の心は言わずもがなであろう。故一品の宮が人の数にも入れず、「素性がいやしい」と見下していた姫君の美しい装いを見ていると、はるかな昔、あの不愉快な威儀師から飛鳥井の姫君を救った情景が、なつかしい姫君との出会いの情景が今上の目の前に浮かぶ。
飛鳥井の女君に、成長した我が娘の姿を見せてやりたかった、と何とも口惜しい。女君との偶然の出会い、行方知れずだった小さな姫、その姫をずっと世話していた一品の宮、宮が亡くなってようやく私のもとへ戻った姫。思えばさまざまにはかなく過ぎゆく無情なる世だな・・・今上は思い乱れて涙がこぼれそうになる。祝いの日に涙は禁物。あわててこらえるが、やはり心の底ではしみじみとした悲哀が絶えることはなかった。


元服後、若宮を兵部卿宮と申しあげる。
飛鳥井腹の姫君は、一品宮の姫君として引き立てられた。


元服の儀式のあった翌日、兵部卿宮は嵯峨院に参内した。参内の当日、今上の御前で支度をしている兵部卿宮のめでたくすぐれた様子は、毎日の成長が今から楽しみなほどで、あまりの美しさに何か不吉なことでもありはしないかと今上は思うのだった。これほど美しい(我が子)兵部卿宮をご覧になれば、いかに情の薄い入道の宮であっても、まったくの無視はなさらないだろう・・・と、今上は今回ばかりは心強い。長い年月が経とうとも、本当に変わりのない冷淡なお心よ、おまけに私が帝位に就いてからというもの、交流する手立てさえなくなってしまった・・・今上はため息まじりに硯を寄せて、


『昨夜の若宮の元服の儀式、(親としては)たった一人、この私が見届けるはめになりましたが、たいそう感慨深かったです。

・・・年積もるしるしことなる今日よりっはあはれを添えて憂きは忘れね
(若宮の元服は、あなたと私の愛情が降り積もったあかし。今日よりはあなたも私に愛情を寄せて、昔の辛さを忘れて仲良くしてください)

めでたい元服の報告の手紙もご覧にならないようならば、他人の目から見てもひねくれた人と思われても仕方ないでしょう』


としたためた。書き終わった手紙を兵部卿宮に、
「いつものようにこっそりと入道の宮に手渡してください」
と持たせた。すっと自然に手紙をひき隠して、退出していった名残もなつかしい。
参内を待ちかねていた嵯峨院では、元服後の若宮を前にもまして華やかにもてなす。(表向きの親である)院に対して、兵部卿宮は父子の礼にのっとった挨拶を丁寧に申しあげ、その後、入道の宮に対面したが、真実を何も知らない兵部卿の宮は、母子の礼など当然するはずもなく、ただ単に伺候しているだけ。当たり前と言えば当たり前だが、もし真実を知る女房などがその場に居れば、哀しくも胸につまる光景に違いないだろう。兵部卿宮は、今上から託された手紙を入道の宮に渡した。入道の宮の心がひどく乱れる。元服したばかりの(我が子)兵部卿宮は本当に今上(狭衣)に生き写しで、対面しているだけでたまらなく恥ずかしくなってくる。こんなに面差しがよく似た若者を前にして、手紙の返事に優しい言葉などどうして書けようか。以前はただただむやみやたらと返事をせがんだ幼い若宮も、元服して一人前の大人の自覚からか、無理強いせずにじっと待っている。しかし心中では、「今日こそはご返事を、と頼まれましたのに。手ぶらで帰参すればどれほどがっかりなされることか」と思っているに違いない。
控えている女房の中では中納言内侍典侍が、二人の真実を知っているがゆえの涙を密かに流し続けていた。
結局、入道の宮からの返事はもらえず、内裏に戻った兵部卿宮が今上のお渡りになっている藤壺に出向くと、今上は端つ方に移って宮と対面する。
「どうであったか。院はそなたにねぎらいの御言葉をかけてくださったか?入道の宮は、大人になったそなたをどのようにご覧くださったかな?」
兵部卿宮に対して、表立って自分の子と名乗れないのが残念でならない今上。だが宮を思う愛情は、嵯峨院に決して負けてはいない・・・そんな今上の無私の愛情を、人の心がわかり始めた兵部卿宮は次第に理解しつつあった。受け答えなども年齢よりは大人びて、そばに控えている人が気圧されるほど立派で落ち着いている様子に、元服後は、寵愛する女人の住まいである藤壺に親しく立ち寄らせては何かと面倒なことになりはしないか、と今上は心配するのだった。従って、今までのように「さあ御簾の中におはいり」
と気安く声をかけることもしない。
「さて。先刻そなたに頼んだ入道の宮へのお手紙はどうなりましたか?」
「それが・・・いただけませんでした。はかばかしいお返事もなく」
「まあ、いつものことではあるが・・・しかし、何をどうやっても頑(がん)として動こうとしないお方ですね。あなたもわたしも、ひどい扱われようだ」
ひどくプライドを傷つけられた今上だが、目の前の我が子の母君だと思えばこそ縁を断つことなど考えられない。
「なおなお立ち返る心かな(どうしようもなく立ち戻っていく私の恋心)・・・」
一人つぶやく今上の声が、今は中宮となった藤壺の宮にほのかに聞こえてきた。藤壺の宮は、今上の本心が漏れ聞こえたようで、いいようもない寂しさに襲われる。
「今上と入道の宮さまは、やはりただならぬ御関係だったんだわ。

・・・たち返りした騒げどもいにしへの野中の清水水草ゐにけり
(とっくに途絶えている間柄なのに、あなたの心だけが高鳴っている。昔のあなたの愛しい人(野中の清水)はとうに出家してしまい、水が古くなって水草だらけ。昔のままじゃないのに)

ああ、どんなふうに愛情を交わしあったのかしら・・・」
手習いに書いた和歌は、あきらかに入道の宮への嫉妬の歌。藤壺の宮の様子がおかしいと、そっと近づいて歌を見た今上は、その手習いに墨(すみ)を黒々と何本も何本も引いて、
「なんとまあ可愛らしい気の揉みようをなさるお方だ。こんなに仲睦まじいあなたと私なのに。手習いで隠し立てなさろうとするとはひどい。そんな隔てのお心に、私を慣れさせないでください」
と訴える。先ほどの、つい漏らした言葉が藤壺の耳に止まったのだろう、入道の宮のことばかり考えていたから。敏感な藤壺のことだ、私の心中もそのうち見透かしてしまうのではないか・・・とため息をつく。


『・・・今さらにえぞ恋ひざらん汲みも見ぬ野中の水の行方知らねば
(今さら入道の宮を恋することはできないでしょう。一度も汲んでみたことのない野中の清水(入道の宮)が、どこへどう行くのか、将来のことなどわからないのに) 』


藤壺の宮の歌の横に、さらさらと書き添える。
「あなたが気を揉む必要など、どこにもないのですよ。あなたの素振りに、私までが胸騒ぎしてしまいました」
藤壺の宮は一応安心したようだった。今上は、うっかり人が聞きとがめるようなひとり言を反省した。だが、女二の宮(入道の宮)との過去の秘密の恋を懺悔(ざんげ)できる機会さえ許されず、ひとり言をもらすことすら許されないとは。
若かりし頃、あんなに慈しんでくださった嵯峨院が、鍾愛の皇女である女二の宮の夫にと、この私をそこまで信頼してくださったのに、ご意向に背くようなことをしでかして。考えてみると本当に間違っていた。色好みの事では、世間の男並みの気持さえ持たず、清らかなままで生き仏にさえなれそうだったのに、女二の宮のお姿を見たあの時から、すべてが狂い始めてしまった。こんな複雑な事情を藤壺の宮にいくら説明しても、理解してもらえないだろう。結局は、なにも打ち明けない方がよいのだ・・・。
今上は涙ぐんで、すべては自分一人が負うべき責め、と何もかも胸の奥にしまおうと誓ったのだった。