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狭衣物語


その十八

例年にない暑さきびしい夏のこと、ここ賀茂の社でも、斎院をはじめお付きの女房たちが、耐えがたいほどの蒸し暑さに息がつまる思いで過ごしていた。
かろうじて涼しい風が吹き始める夕方、女房たちは解放されたように端つ方に出て、東の山から月がのぼるのを、思い思い待ちわびている。そんな夕暮れ時刻のほの暗さに紛れるような狭衣の訪問だった。端近くで外の空気を楽しんでいた斎院は前触れなしに参上した狭衣に驚いて奥へ入ろうとするが、お付きの女房たちが動揺していてすぐには姿を隠せないでいる。
そんなあわてぶりが狭衣には微笑ましく、斎院が常よりも身近に感じられ、ますます恋心が募ってしまうのだった。

「こんな風にお訪ねできるのも、きっとこれが最後でしょう。今後はしてはならないことなのですから。・・・もう一度だけお逢いしたくて参上致しました。
既にお聞きおよびのこととは存じますが、私の宿世が思いがけないものだった事、私の宿命もここに極まれり、もはやこれ以上長生きできそうにありません。仮に長生きできたとしても、明日からはあなたをこの目で見ることはできなくなるのですから、私の命は今宵・・・そう、あなたを目にしていられる今宵以降は、死んだも同然と言えるでしょうね」
今にもはかなく消えてしまいそうなほど沈みきってつぶやく狭衣の様子に、控えている女房たちは、
「仲の良い御兄妹も同然の御間柄であられるから」
「さぞかし斎院のお暮らしぶりが心配であられるでしょうね」
「無理もありませんわ」
とため息をつく。狭衣兄さまの即位は神の思し召し、でももうこれきりお逢いできないのはたしかに寂しくなるわ・・・斎院は心の中でそう思っていたが、やはり言葉にはできなかった。黙ったままの斎院に狭衣は失望し、自分の心をそのまま写したかのようにぼんやり雲のかかった夜空を見上げ、「そなたも私と同じ気持でいるのか」と月に問いかける。しばらくすると、立ちこめていた雲も晴れ渡り、美しい月影が室内に差し込んできた。几帳から少し離れたところに居る斎院を、月明かりがくっきりと照らし出す。髪の生え際、豊かな流れなど、たとえ狭衣が長年の修行で菩薩になれたとしても、心を動かされるに違いないほどのたおやかな風情だ。この世に未練などないけれど、この斎院・・・源氏の宮とのことだけはきっぱりと思い切ることができない、いつでもいつまでも見続けていたい斎院なのに、もうこれきり逢えないなどどうして考えられようか。
「・・・私はこれからどうなっていくのでしょうね。

・・・めぐりあはん限りだになき別れかな空行く月の果てを知らねば
(もう一度逢う事なぞできるのだろうか・・・空を渡る月が沈んだら、どこに行くかもわからないのに) 」
顔に袖を押し当てて悲しむ狭衣の風情があまりにまばゆく、きまりが悪いほどだったので、斎院は几帳を引き寄せさせて、
「支障がなければ、今後も今までどおりにおつきあいしたいですわ。

・・・月だにもよその村雲へだてずは夜な夜な袖にうつしても見ん
(村雲のような邪魔ものに覆われないならば、毎晩でも月のようなお兄さまを袖に宿して眺めたいものですわ) 」
と言って奥に入ってしまった。
斎院のこの気休めのような一言も、かえって斎院を思い切ることが出来ない絆(きずな)となってしまいそうだった。
お付きの女房たちとも今宵限りでお別れだと思うと、狭衣はちょっとした話題さえもなつかしそうに語りかける。女房たちも、狭衣大将の即位という、この上なく珍しい慶事でありながらも、手放しでは喜べないさみしさ悲しさがあった。尽きぬ昔がたりにいつの間にか月も西に傾いてゆく。今上の養子となった今からは、もう軽々しい夜歩きさえもできない。いつまでも話し込んでここで夜明かしするのも不都合で、満たされない気持で退出した。夜が明けようとしていた。
賀茂の社からの帰り道、身分を隠すためにわざと粗末にしつらえた牛車の横を草を積んだ車が遠慮もなく行き交う。お供も最小限に抑えた狭衣一行のことを、だれも気がつくはずはない。こんな間近に下賎な者たちを見ることも今までなかったから、恐ろしさに身をすくめる狭衣だったが、恋草を積んだ力車を自分の思うがまま走らせている荷運び人たちがうらやましかった。身分低くとも、みすぼらしい身なりをしていようとも、それに気づかないほど呑気(のんき)そうに今様のあやしげな歌を大声で歌っている姿は、人生に何の心配事もなさそうだ。


『・・・七車積むともつきじ思ふにも言ふにもあまる我が恋草は
(思っても思っても思い尽きない、言っても言っても言い尽くせない源氏の宮への恋心は、七車分の草を摘んでもまだ尽きないことよ) 』


譲位の儀は八月二十日におごそかに行われた。以後、先帝を後一条院と申しあげる。
神仏からも愛されるような美貌才能あふれる若者とはいえ、ついこの間まで臣下だった者の即位・・・こんな珍しい御国譲り(みくにゆずり)に立ち会うことが出来るとは、と世間は大騒ぎである。何ごとにおいても狭衣という御方は普通人とは全く違う際立った風情をかもし出していたけれど、かつては自分たちと共に宮中へ参内し、共に遊び、共に行動した人物を、これからは今上と仰がねばならない・・・狭衣とつきあいのあった殿上人たちなどは、はっきり言って困惑しているに違いなかった。しかしまあ、見る目がすでに違っているせいであろうか、即位したばかりの狭衣の帝は、風貌も立ち居振る舞いも以前とは打って変わったような目覚しい威厳が加わり、狭衣の帝をひと目見ただけで、「どうして今までこの御方を畏れ多くもただ人扱いしていたのだろう」と、ひたすらかしこまるばかりであった。堀川大殿も狭衣の即位に伴って、関白の位を左大臣に譲り、新帝の実父ということで太政天皇の位、すなわち「おりゐの帝」の待遇となり、実の母である堀川上も、皇太后宮と呼ばれるようになった。
こんなふうにして、堀川一族が思いもよらない栄光に包まれたのも、前世からの約束だったのだろうか。それでも、御位を降りた後一条院鍾愛の御妹君である一品宮をおろそかにしてはいけないと、堀川院(太政天皇となった堀川大殿)は帝(狭衣)に変わらずいさめ続けていた。その一方で、堀川院は一品宮方にも「一日も早く新帝のもとに」と入内を勧めている。それは当然のことだろう、新帝が臣下であった頃からの、世にも認められた夫婦なのだから。しかし一品宮は、
「狭衣さまにお逢いしていたときでさえ、いやでいやでたまらなかったのに、どうして今さらおめおめと後を追って宮中に戻れようか。私たちの仲がどれほどこじれているかを、皆さまにわざわざ笑われに参るようなものなのに。
狭衣さまが即位なされた今が、髪を降ろすよい機会かと思っています」
と言い、その意思は固そうである。それを聞いた後一条院は、
「正妻であるそなたが入内しないとは何ごとか。あきれてものも言えない。
つまらない御心でいつまでも意地をはるのはお止めなさい」
と怒り、無理にでも入内させようと手配するので、一品宮は大層不愉快になって嘆く。
いよいよ入内する夜、一品宮は、これ以上狭衣帝の薄情を見たくないと思ったからか、飛鳥井腹の姫君だけを乳母たちを付けて宮中に差し出した。一品宮も宮中に参内すると思っていた女房や家人などは、小さな姫君ただひとりの参内に驚いている。狭衣帝は、
「またご機嫌を損ねておられる、まったく・・・。即位した私の姿を見ていただきたいと、少しは心を配って衣装も整えさせたのに。本当にあの御方は、度が過ぎて気が強く、かどかどしい御性格だ。こっちも逢うのがつらい」
と当てが外れてしまい、つい聞きにくいことまでもらしてしまう。だが口とはうらはら、心の中では一品宮が差し出した姫君・・・飛鳥井の女君との間に生まれた我が子を一人宮中に送り込んだと聞いて、狭衣は居ても立ってもいられない。ずいぶん長い間お会いしていないがどれほど成長されているだろう、たよりない身の上を嘆いて心細さに震えてはいまいか、と心配し、急いで姫のもとに渡り、対面した。
小さな姫君は、まるで雛人形がそこにあるかのように小さくなよやかで、不安そうな顔で座っていた。けれどその顔の、亡き飛鳥井の女君にそっくりなことといったら、狭衣がいとしさのあまり、人目もはばからず、涙で目の前が見えなくなるくらいである。
「姫、姫。本当にお会いしたかったですよ。一品宮が、この私にあなたの後見を託してくださったのです。私が大切におまもりしましょう。これからはこの後宮を我が家だと思って、のびのびと自由になさってください。ここにはまだ私のお妃さまがいなくて人も少ない上に、宮中自体が幼い人にとっては退屈な所かもしれませんが、好きなだけにぎやかにしていいのですよ。いつも私の耳にあなたの明るい声が聞こえてくるぐらい、楽しい気持で暮らして欲しいのです」
姫の御乳母たちにも今後のことなどを細かく指図し、その後、後一条院に一品の宮の一件を伝えた。後一条院は、
「なんとまあ、不愉快きわまる御振る舞いよ。そのようなわがままが身分上まかり通るとでも思っておいでか」
とたいそう憤慨している旨を一品宮方に伝えたが、宮は一度決心したことはどんなことがあっても曲げない性質なため、
「たいそう悩んでおられましたが、そのうちご気分がすぐれなくなり苦しそうにふせってしまわれまして」
と宮付きの女房を通して返事が来ただけだった。
内裏の方でも様々な儀式が一段落してから、入内の意向がないことに対して何度か苦情めいた手紙を送ったが、後一条院への返事と同様、病気の重いことを口実にして、宮本人からの返事もなかった。


引き取られた飛鳥井腹の姫君は、弘徽殿で暮らすことになった。
狭衣帝のいる清涼殿からもっとも近い局のひとつであるこの弘徽殿に、帝は毎日お渡りになる。公にはできないが、限りなく愛しい我が子に琴などの教養を丁寧に教え込んでいくうちに、姫はみるみる上達してゆく。まるで、土に清水がしみていくかのように、狭衣帝の教えることをすべて身につけてゆく。おどろくほど聡(さと)い性質のようだ。加えて、ほんの少し弾き鳴らしただけでも、なつかしく心惹かれる音色が漂う。狭衣帝は、自分の血を確かに受け継いだ音色をひそかにうれしく思った。教え甲斐のある、まことに将来がたのしみな姫であることよ、もし母君である飛鳥井の君が生きていれば、必ずや寵妃として入内させ、この姫と私といつまでも睦まじく暮らしていきたいものを・・・飛鳥井の女君の面影を宿す姫を見ているとさまざまな思い出が呼び起こされて、たとえようもなくせつない狭衣帝だった。


このように、一品宮の入内では不愉快で煩わしいことが続き、堀川の屋敷に残したままの姫君(宰相中将の妹)には長いこと逢えずじまいだった。
後宮に心をなぐさめる妃のひとりもいないのは何かと不都合であるし、正式に入内されるはずの一品宮はこちらに足を向けようともしない。そんな一品宮に今さら遠慮して、いつまでも愛する女人を他所に放っておくべきではないので、狭衣帝は宰相中将に「妹君を一日も早く入内させるように」との御使いを立てたが、宰相からは「どうも様子がいつもと違っておりまして、気分がすぐれず少し苦しそうにしております」との奏上。いったいどうしたことか、と気がかりでならず、夜が更けてもなかなか寝つけない。笛や琴を少し爪弾いたり、書物などを読んで寝所に入っても、ろくに眠ることも出来ずに夜が明けてゆくのだった。


月がくまなく照り渡り、辺りが一面に輝く夜、月影に惹かれた狭衣帝は端近に出て外を眺めている。即位前、斎院のもとに参内した折もちょうどこんな美しい月夜だった、と狭衣帝は最後に斎院に逢ったときの夜を思い出していた。あの「夜な夜な袖に(毎夜でもお目にかかりたい)・・・」と詠んだ斎院のなつかしい姿が目に浮かんで恋しくてならない。しばらくすると群雲がかかって、明るかった月を隠してしまう。そんな夜空を、狭衣帝は「斎院に逢うにもきっとこんな群雲のような邪魔者が入ることだろう・・・斎院の詠んだあの歌のように」と茫然と眺めるだけ。


『・・・恋ひて泣く涙にくもる月影は宿る袖もや濡るる顔なる
(あなたが恋しいと泣く私の涙で曇る月の光は、その光の宿るあなたの袖までも濡らしているのでしょうか)
あなたは今、どんなお気持でこの月を眺めていらっしゃるのかと・・・お逢いしたいものです 』


この上もなく優雅な御手蹟で書いた御文を、身近に使っている殿上童に渡し、斎院のもとへひっそりと送り届けた。御文を受け取った斎院は、
「お言葉どおりの美しい月夜・・・宮中ではましてやどんなお気持ちでこの月影を御覧なさっているかしら」
と御文を感慨深く眺めた。まことに今宵の月にかなった風流な手紙である。
「こんな風情あふれる御手紙に、代筆なんて申しわけないわ・・・

・・・あはれ添う秋の月影袖馴れでおほかたとのみ眺めやはする
(しみじみ物思いを起こさせる秋の月を、やはりしみじみとした気持で眺めています・・・私はあなたを恋うて泣いていますので、やはり袖も濡れています) 」

おくゆかしくほのかな手蹟で返事をしたためた。御使いに立った狭衣側近の殿上童は、菊の二重織物の袿を賜り、作法も優雅に、狭衣帝のもとに帰参する。殿上童の肩にかけた袿から、ほのかな斎院の移り香があたりに漂う。珍しいこともあるものだ、この袿は、斎院が直接触れたものに違いない・・・狭衣は、人目がなければ泣いているだろうと思うくらい、斎院が恋しくてたまらなかった。お文も、本当に親密な者に語りかけるようなやさしい歌で、まるで差し向かいで話をしているような気がする。じっと手紙を見つめてもの思いにふけるうちに、いつしか「丑一つ(午前二時)」と時刻を奏上する声が聞こえてきた。ああ、もうこんな時間になってしまった、気楽な身分だったときでさえ嘆いていたこの恋なのに、まったく身動きの取れない、こんな窮屈な身分になってしまったことよ・・・と狭衣帝はおのれの宿世を呪いたい気持でいっぱいだった。


このように、つれづれを淋しそうに持て余している今上を心配する殿上人も大勢いた。一品宮方と親しくしている人たちなどは、今上が沈みがちな日々を過ごしていることや、宮が入内なされば気も晴れやかになるでしょうに、など宮に代わる代わる申しあげている。けれど宮は、
「あの御方は元来がふさぎがちなご性質。寵愛なさっておられる姫(宰相中将の妹姫)がなかなか後宮においでになれないから、よりいっそうぼんやりと沈んでおられるのでしょう。ばかばかしいこと。私はなんの関係もありません」
としらけたようにつぶやくばかり。宮中からも絶えず御手紙の使いがやってくる。内容はいつも、
「いつまでも意地をはらずに後宮に入るように。情けないふるまいですよ」
いたわりのかけらもない、二人の仲を象徴するような味気ない手紙である。
一品宮は、こんなわずらわしい宿縁を引きずって生きてゆくのに耐えられそうになかった。たしかに、入内を拒否し続けるのは、今上の冷淡さを心の底から怨んでいるからであるが、そのせいだけではなく、亡くなられた母宮(女院)が弱りはじめたときのような気分の悪さが近頃続いているからでもあった。そろそろ命の先が見え始めているのではないかしら・・・宮は気分のはっきりしない時にふと感じる。そんな時、今上から御手紙が参ると、いつもと違ってなつかしくやさしい返事ができた。だが入内だけはしたくない、落飾して一日も早く尼になりたい、と強く願うようになっていた。


「(宰相中将の妹)姫さまのお具合が一向によくなりません。これはもしかすると、御懐妊あそばされたのでは」
いつまでたっても回復しないうえ、妊娠の兆しを認めた御乳母が、大宮(狭衣の母である堀川の上。今は皇太后宮の待遇)に相談する。大宮は、宮中に預けられている姫(飛鳥井腹)が狭衣の子だということは、ひそかに聞き知っていたが、現在堀川の屋敷で育てられている若宮が、狭衣と女二の宮の御子だということを未だに知らされていない。姫の御乳母の奏上に、大宮は心から喜び、
「まあなんてうれしい知らせでしょう。たしかに、姫がこの屋敷にお渡りになってからというもの、狭衣も怪しげな夜歩きをすっかりやめてしまいましたもの。もう帝とお呼びしなければならないのが少し淋しいことですが・・・臣下から帝へと、めずらしいほどの御宿世であられるうえに、女御となられる御方の御懐妊で、お二人が並々でない御宿縁で結ばれた間柄だということですわね」
と、院(堀川大殿。今は太政天皇の待遇で院となった)にもさっそく申しあげる。院も手放しの喜びようだ。屋敷あげての大騒ぎとなった。姫君の御懐妊は、内裏へも早々に伝えられた。今上はいっそう愛しさがこみあげ、逢いたくてたまらない。容態はどうなのか、悪阻で苦しんではいまいかなど気が気でない。しかし今は忌み月(九月)、祝い事は慎まねばならない月であり、今上は寵愛する姫に逢えないつらさを我慢するしかなかった。
ようやく十月になり、宮中の行事は多かったが、その間をぬうように宰相中将の妹姫は入内した。姫は清涼殿にもっとも近い局のひとつ、藤壺を賜った。これより藤壺女御と申しあげる。
久々に姫と対面した今上は、感激で胸がいっぱいだった。かつて、母君の喪に服して墨染めの粗末な衣装を着ていた頃でさえ、あの美しい斎院(源氏の宮)に勝るとも劣らないほどの様子だったのに、今は十月という季節の入内にふさわしく、目にもうるわしい錦の衣装に身を包み、よりいっそう見る価値のある女御となっての対面である。今上は、女御に逢えなかった月日が恨めしくさえ思う。仲睦まじく暮らすことになんの邪魔もなくなった今、今上はようやく現世の幸福を見つめることができた。
できたかに見えたのだが。
たしかに、藤壺女御が入内した当初は今上も心がなぐさめられ、この幸せがいつまでも続くかに思えた。しかし、いざそうなってしまうと、生来のどっちつかずの心癖(こころぐせ)が顔を出しはじめる。斎院の宮がそのままそこに居るかのような藤壺女御の美しい容貌、雅な立ち居振る舞い、あえかな気配・・・藤壺に渡るたび、あるいは藤壺が夜の御殿に上がるたび、今上は斎院を思い出しては目まいがしそうになる。
「このまま出家の願いも叶わず、斎院にも逢う事叶わず、私は終わってしまうのだろうか・・・」
藤壺の、いつまで見ても見飽きないほどの美貌を目の前にして、


『・・・かく恋ひんものと知りてやかねてより逢ふこと絶えゆと見て嘆きん
(斎院を恋う想いもわかっていた、逢えなくなることもわかっていた、だから自分はこんなにも嘆いているのだろうか) 』


とつぶやいてしまう。斎院なのか、あるいは藤壺なのか、どちらにも恋しているが、神に捧げられた斎院を想う心はやはり如何ともし難い。ひとつに決められずにいつまでもくよくよする困った性癖は相変わらずだった。しかし目の前で、悪阻に悩んでいる姫だけに愛情を注ぐことができるのは幸せだった。もし他に愛情を分け与えねばならない女御などがあったなら、どれほど煩わしい思いがするだろう。今までの二人の宿縁、そしてこれからのことを、今上は女御に朝に夕にささやき、そして誓うのだった。


今上は、臣下であった頃から「ぜひ我が娘に通わせたいものよ」と、数多の公卿・親王家から良き婿がねとして人気の的だった。それが即位後、
「臣下であられた時と違い、入内を承諾なさらないわけがないだろう。後宮は華やかでなければ」
「一番身分の高い一品宮さまが入内をご辞退なされた今、ひょっとしたら我が娘に一族の運命を賭けても良いかも知れぬ」
と有力貴族たちが色めき立ち、今上の御乳母(狭衣の乳母である大弐の君)である三位の君(大弐三位の君へ昇進)にお伺いを立てたりご機嫌取りにとあわただしくなった。その中にはもちろん、かつて狭衣がこっそり通った姫君もいたし、逢うほどではないにしても噂で心に留めて手紙を出したりした姫君も何人かいた。だが、どうしても逢ってみたいという姫などいないし、女という女は見尽くした気がするから今さら新しい女人に興味もわかない。早く早くと入内を催促するにも、政治的に選り分けることもできない。何より今上は、
「帝位には特に長く就いていようとは思わない。まあ思ったよりも長くいられるのなら入内も考えてみようか」
と口ぐせのように言い、まったくその気になれないようである。そんな今上の意向を三位の君の口から聞いた有力貴族たちは、
「ううむ、かつては我が娘のもとに通われていたと聞いたのに」
「ひそかにお心に留められているものとばかり」
といかにも口惜しそうだ。
「これほどの運を持ちながら、思うようにならない我が恋を持て余しておられるのだよ。そうでなかったら、かつて通った高貴な女人をこんないい加減なあしらい方で済ましはしないのだがね」
公卿たちのため息に、今上は心苦しそうにつぶやく。
「やれやれ、昔からの出家勤行の望みも恋の望みも、何ひとつ思い通りにならなかった人生だ。しかしまあ、女人から女人へ次々に渡り歩くような乱れ歩きもしなかった。つまらない人生と言われても仕方ない。なまじ新しい関係を持って無情な男と嘆かれるよりは、二、三年このままひっそりと過ごして、あとは全てを断ち切ってさっさと世を捨ててしまおう」
と心に強く願うのだった。


十一月は大嘗会の月である。華やかな五節の舞など様々な神事が行われるため、懐妊中の穢れの身である藤壺女御は宮中を退出しなければならない。今上は藤壺の宿下がりに大層難色を示した。
「少しでも姿が見えないと、心配でたまらない」
と今上は藤壺の退出をなかなか許さない。だが、やはりしきたりどおりに宿に下がっていった藤壺のあと、宮中には慰めになるような女御も居ず、今上は一人取り残されたような気分だった。


年も改まり、賀茂の祭の季節になった。祭の支度に世間はたいそうにぎわっている。宮中でも行事の準備になにかと忙しい。斎院の賀茂川原での御禊(ごけい)の儀や宮中から賀茂へ参内させる奉幣使(ほうへいし)など、取り決めねばならない事も山ほどある。今上は、万事しかるべく取り決められていくにつれ、かつて源氏の宮が初斎院になった時期のことを思い出していた。美しく結い上げられた髪とかんざしに縁どられた源氏の宮の顔、車の出発を待つ間、ずっと几帳のそばでおまもりしていたときの宮の気配・・・今は何もかもが懐かしい。祭用にたくさん扇が用意されたが、斎院自身が使う扇は、今上自らが特に心を込めて選ばせたものだった。扇だけではない、斎院自身が祭で使用する道具類は全て今上が細かいところまで手を抜かずに作らせたものばかり。調度類も格式ばった司所に用意させず、一流中の一流の職人に依頼して、すばらしく趣向を凝らしたものばかりが出来上がった。斎院自身が使用する扇を包み紙に収めたが、その包み紙には今上の手蹟で、


『・・・名を惜しみ人頼めなる扇かな手かくばかりの契りならぬに
(私に逢ったなどという評判さえ立つのがお嫌いなあなたとは、とても逢えそうにありませんが、この扇は「あう」希望を抱かせてくれますね。もっとも、こんな消息だけの「あう」ではなくて、直接「あう」望みですが) 』


としたためた。
院(父堀川院)が、目ざとくこの歌を見つけてしまわれるのではないか、と今上は一瞬考えたが、斎院恋しさに後先のことが判断できなくなったのであろうか、包み紙を取り替えることもなく、そのまま御使いの蔵人へ渡した。
祭り近いこととて、斎院の親代わりである院はもちろん斎院に参内していた。宮中より参った御使いの蔵人を、院は手あつくもてなしたが、贈られた扇があまりにも美々しく立派であるのが目に止まり、「公(おおやけ)のものにしては少々立派すぎるほどだ」と見とれている。もちろん、包み紙に書かれている我が息子の和歌にも気がついたが、はるか昔より狭衣が源氏の宮を恋い続けていることなど院は知る由もない。
「普通の挨拶の和歌とはいえ、胸に迫るものが伝わってくるようですね。今上の御歌を拝すことができますのは、この上ない幸せでございます」
と感激の涙を袖で拭きつつ、我が息子の手蹟をいとおしそうに眺めていた。
一方の斎院は、今上の歌の意味がわからない筈もなく、気恥ずかしいような心苦しいような、そんな気持でうつむいていた。「早々にお返事を」との院の催促の言葉に、斎院は仕方なしに、


『・・・あふぎてふ名をさへ今は惜しみつつ変わらば風のつらくやあらまし
(逢う(あふぎ=扇)という名まで惜しまれますわ。あなたさまが御心変わりなさってしまわれると、扇からそよぐ風さえつれないものとなるでしょう)  』


と、あたりさわりのない歌を返した。
御使いの蔵人が持ち帰った、斎院からの型どおりの返事を見て、今上は歌のつれなさにますます恋心をつのらせるばかり。賀茂の祭の当日も、近衛中将が賀茂社への御使者として参ってゆくのがうらやましい気持でいっぱいである。


『・・・ひきつれて今日はかざしし葵さえ思いもかけぬ標(しめ)のほかかな
(祭の当日は、この私だって葵をかざして賀茂社への行列に加わったこともあるのに、帝位についた今となってはまるで仲間外れの身だ) 』


と途方にくれたように呆然と外を眺めるそのまなざしは、一国の王としてもなお余りあるほどの気品と鮮やかな美しさが輝いていた。


賀茂の祭が終われば、いよいよ藤壺女御が臨月を迎える。