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狭衣物語



その十二

明けた今年。斎院がとうとう宮中にある初斎院から本院に渡御する。
堀川大殿がたいそう気を配って斎院の住居となる本院を磨いているので、今年の賀茂祭りは今から何となく様子が違い、例年に増して華やかなものが期待できそうだ。祭り当日の飾りは、それこそ馬から雑色にいたるまで「後の世の例(ためし)になる」のではないかというほどの念の入れようだ。
上流貴族は、物見車の葵の飾りつけや随身など気をぬかずに準備し、中流貴族なども車を置けるような場所を今から探しているありさまだ。貧しい庶民たちは田植えで汚れた着物をせっせと洗って当日に備えている。
斎院としての身分上の制限から、華やかな衣装・生活ができない源氏の宮ではあるが、祭りの当日は思う存分美麗にできる。大殿と堀川上は、当日の斎院の衣装を決めるのにどれほど迷ったことだろう。なにせ、唐わたりの綾錦も金銀の装飾も、源氏の宮にはまばゆいほどに似合うのだから。
女房たち数十人の乗る車や童たちの乗る透き車なども準備される。女房の姿を外に見せるために車の簾は上げられると聞いて、狭衣は、
「はっはっは。透き車に乗らなければならない女房たちは、なんとも照れくさいだろうよ。他の車も簾が上がると聞いている。れっきとした身分の上搶蘭[たちが、扇も許してもらえずに真昼間の大路を姿を見せて渡り歩くとは、泣きたいくらいの気持だろうね」
と笑っている。


いよいよ賀茂の祭り当日になった。
朝早くから堀川大殿は立ったり座ったりと落ち着かない。
「他人の時だって、行列が遅れて日が暮れてしまうのは気が気でないものなのに、ましてや今回は身内。ああ、気のせくことよ」
意外にも準備は滞りなくすすみ、女房たちがたいそう困惑した様子で透き車や簾の上がった車に乗り込む。「いやいや、仏の三十二相(注1)をみなさん備えているかのように輝いていますとも」と軽口が言えるくらい、大殿もようやく余裕が出てきた。後世の例になるように、と意識して用意された上搶蘭[たちの衣装、車の飾りなど、言葉で書き尽くせないほどである。
その中で少し小ぶりな美しい唐車が源氏の宮に用意される。狭衣と大殿は、源氏の宮がいる几帳の左右に待機していた。堀川上が、なにか忘れてはいないか、と気をもんでいる。几帳のすき間から狭衣がこっそりと見たものは、唐撫子の衣装に身を包み、きらびやかな釵子(さいし)を髪にさした、美しい斎院姿の源氏の宮だった。「これほど美しい女人を神に差し出すとになるとは・・・」と後悔してもし足りないくらいの狭衣だ。
やがて斎院を乗せた唐車が動き出した。大路には、一目見ようと重なり合った物見たちが延々に続いている。庶民はいうに及ばず、身分ある牛車などもびっしりと連なっていた。
賀茂の川原に到着した源氏の宮は、作法どおりに禊(みそぎ)の儀式を行う。列席者も楽人も、堀川家の勢力の強さを改めて世間に知らしめるような多さであった。しかし、賀茂の宮司が御祓いを行っているあいだ、狭衣が心の中で、

『・・・禊(みそぎ)する八百万の神も聞け我こそさきに思い初めしか
(やおよろずの神々よ御照覧あれ!私の方が先に源氏の宮を思いつめていたのだ!)    』

と、叫んでいたのは、誰にも聞き届けられるはずもないのだった。


本院に到着して、斎院は、自分がこれから後ずっと住むことになる本院を改めて見渡してみた。今までの広かった堀川邸とは違う、ひっそりとした住まい。いつもいつも見飽きなかった、堀川邸の広大な庭の木々や池はもう見られないかと思うと、たまらなくさみしい気持におそわれる。母屋の前を流れる遣水(やりみず)は有栖川(ありすがわ)というらしい。そんな名前を聞いて、斎院は、

『・・・おのれのみ流れやはせん有栖川岩守るあるじ我と知らずや
(有栖川よ、おまえだけがここを守っているのではないのだよ、これからは、この私がここの守り人になったのだから)  』

としょんぼりつぶやく。
本院到着後、堀川上があてがわれた部屋の方から、狭衣が斎院のもとへやってきた。絵にも描き留めておきたいほどの美しい斎院姿に、狭衣は、

『・・・榊葉(さかきば)にかかる心をいかにせんおよばぬ枝と思ひ絶ゆれど
(たしかに手の届かない所へ行ってしまったかもしれませんが、心の中ではどうやってあなたをあきらめればいいのでしょうか)  』

うらめしい口調の狭衣の歌に、斎院はうつむいたままだった。

斎院のもとへ、帝からの勅使がやってくる。使者は、一品宮と狭衣とのありもしない噂を吹聴した、あの権大納言の子である近衛少将だ。帝の御文を堀川上がご覧になる。


『・・・我身こそあふひはよそになりにけれ神のしるしに人はかざせど
(神のしるしの葵を皆、髪にかざしているが、わたしにとっての葵であるあなたは、もう私とは無関係になってしまったんですね) 』


葵がさねのたいそう美しい薄様に包んであった。
今日の晴れ舞台のために、堀川家では特別に十二ヶ月の色をつくり、その色で染めた衣装を女房たちに着させた。衣の袖口、裾には白金・蒔絵・螺鈿(らでん)を押し、輿(こし)をかつぐ者の着ている服装にも趣向を凝らし、世の例にもさせようとの意気込みで行った一大行事は大成功に終わった。
広大な一条大路も見物人たちのざわめきに満ち、えもいわれぬ香りに包まれる。
堀川大殿が御社にとどまれば上達部たちもそこにとどまって、土の上に円座などを敷き、牛車の中にとどまっている若い女房などと楽しく物語りなどして、たいそうにぎやかに華やかに夜は更けていくのであった。京の都ではまだ聞けないホトトギスの声もここでは聞くことができる。垣根を吹き渡る風も風情があり、そんな風景を見ていると狭衣はますます源氏の宮への恋しさが募ってゆく。
斎院の御殿はなにごとも先例重視である。御前にはたよりなさそうな屏風があるだけで、あまりにもむきだしなのが心配だ。少し強い風が吹けばいとも簡単に倒れてしまい、斎院が外から丸見えな状態になってしまう。心配した狭衣は、
「せめて斎院の御座所だけでも厳重にしてはいかがですか。これでは丸見えといってもいいくらいですよ」
とすべて見苦しい所を半ば強引に修理し始めた。
「まあまあ助かりますわ、大将さま。わたくしどものように年を取った者たちは、ここのあけっぴろげさには困っておりました。顔も姿も何もかもが見通されているようで」
など、女房たちはうれしそうに応えている。
晴れの儀式の主人公である斎院は、その格別美しくしつらえた室内の調度もかすんで見えてしまうほどのあでやかさで几帳の向こうに座っていた。
小さな葵を髪に飾っている。まことに、千年たっても見飽きることのない美しさだと、いつまでもそばにいて見続けたい狭衣だったが、これ以上身近にいては自分を抑える自信がない、ああやはり斎院決定の勅が下された時にさっさと出家していれば、このような物思いの苦しみも味わうことはなかったのに、どうして私はいつまでもぐずぐずと俗世に居続けるのだ・・・とたまらなく情けない思いでいた。

大騒ぎの賀茂祭りも無事に終わり、都はようやく落ち着きを取り戻した。


今上には多くの女御がいたが、格別に寵愛深いという女御はいない。まだ東宮だったときに入内した宣耀殿の女御には特にこまやかな心配りを示されるが、いまだ御子に恵まれないために后の位になる事ができない。
今上ももはや三十路。いまだに一人の御子も生まれないことを自ら嘆かれ、
「嵯峨院の若宮がいらしたであろう。あの皇子をこちらでお預かりしてはどうか。若宮は今、堀川邸におられるそうだね。上が目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりだとか。ただ人の状態でそちらで過ごしているよりは、私の手元で東宮として養育して差し上げたい」
そのように話されているのを嵯峨院も耳にされ、
「狭衣に、女三の宮の後見をしてもらうために若宮を預けたのだが。宮はこのたび斎宮になってしまわれたので、預ける必要もなくなったわけだな。
だからといって、あのときに狭衣が見せた誠実さを裏切って、手のひらを返すように若宮を取り上げてしまうのも気がひける。それに堀川は一番頼もしい後見者でもある。ことは次代の帝に関わる問題だ。この話は、堀川大殿の考えに任せた方が良いのかもしれん」
と考えた。
今上に御子が、しかも皇子がおられないことで、娘を持つ公卿たちは、いや普通の殿上人でさえも、自分の娘を更衣や尚侍などにして宮中に上がらせようとする。ただ一人の娘と思っていた源氏の宮が斎院となってしまった堀川大殿は、それがうらやましく、自分には本当に子供が少ないことよ、と嘆いていた。
ある日、狭衣は大殿にこんな相談をした。
「もともと嵯峨院は、女二の宮・三の宮を、この私に御降嫁下さるという御好意を示して下さいましたが、いろいろな事情より降嫁の件が中止になり、私の誠意もお見せすることができませんでした。もし今でも院がこの私に、御娘である姫宮の将来を託してくださるならば、どうでしょうか。堀川側で女一の宮の後見をして、宮を今上に入内・・・と考えているのですが。狭衣は頼りにならない者よ、と院に思われたままよりは、こうやって少しでも院の心配を軽くして差し上げたいのですが」
これを聞いた大殿は、ずっと若宮のお世話をしている狭衣の真心を見たようで、とてもうれしかった。
「なるほど。そなたの言うとおりだ。若宮の生活全般もそなたが引き受けているのは、なかなかできない誠実さだと常々感心していたし、私も最近では、源氏の宮の代わりに女一の宮をお世話できたら、と思っている。この邸を宮の里邸にできたらさぞかし華やぐであろうよ」
さっそく嵯峨院に、このことが伝えられる。嵯峨院が、大殿や狭衣の意志をおろそかに思われるはずもない。女一の宮のおそば仕えの者たちも皆、今までは、どうしてこうも大将は宮に対してつかず離れずのあっさりした態度で接しているのか不満であったが、なるほど、大将が宮を入内させるつもりであったならば全て合点がゆくというもの、と納得した。女一の宮本人は、自分は前斎院で神に仕えた罪深き身、本当は出家して仏道に専念したいが、妹の二の宮があんな形で髪を降ろしてしまい、自分までもが出家したいと言えば、父院はどれほど嘆かれるだろう・・・となかなか打ち明けられずにいた。そこへもって突然にふってわいた入内の話。雲の上の高貴な身分の人間は、なかなか自分の思い通りにはならないものである。
女一の宮は、これより弘徽殿と呼ばれることとなった。この局は昔、母宮のおられた局である。
さて入内後、今上の寵愛は格別深く、宮の気高く奥ゆかしい人柄を、ことのほかお気に召されたようである。後見している堀川側も弘徽殿を丁重に扱い、狭衣の兄妹のように親しみをこめてお世話する。そういえば、入道の宮(女二の宮)も、かつては母宮とともに弘徽殿で暮らしていたのだった。当時は開けることさえひどくためらわれた戸も、今ではなんの支障もなく歓迎して開けてもらえる。弘徽殿の室内の調度類もあのころと全く変わっていない。
几帳から、女一の宮のほのかな気配が伝わる。狭衣はそれを感じるたびに、やはり二の宮の方が気品も艶やかさもまさっていた、と思う。
「この局になんの遠慮もなく入れることが夢のようですよ。思い出の名残りを拾おうか、と訪ねてまいりました」
独り言のようにかすかな声でつぶやく狭衣。一の宮は、二の宮と狭衣の一件など全く知らないので、何の事を言っているのかわからない。だから、
「こうして私も昔馴染の弘徽殿に居ましても、なつかしい母宮や妹宮たちがいないのは悲しく思います」
としんみりと返事した。その気配がなんとなく二の宮に似ている。しかし顔立ちの方は、一の宮は我が妻の一品宮とよく似ているらしい。どうせ同じならば、一品宮よりこちらの一の宮のほうがよかった、といつもながらの後悔をし始めた。よくよく考えれば一品宮の冷酷な態度も、狭衣の所業が原因なのにもかかわらず。
このように、女一の宮には嫌われまいと忠実に弘徽殿をお世話したので、女一の宮は狭衣を誠実この上ないやさしいお方よ、と頼もしく思われるのだった。


しばらくして、女一の宮につわりの兆候が見え出した。お側仕えの者たちは、大変に重大、かつ、めでたいことであるだけに、事を慎重に運ばねばと、はっきりするまでは大殿にも今上にも申し上げなかった。三ヵ月になる前に、大殿には報告していたが、一の宮の体調が安定し、懐妊の事実が確定すると、今上にもようやくその旨が奏上される。今上の喜びようはひとかたではなく、狭衣も大殿も、自分たちの希望どおりに懐妊された、と安堵したのだった。
生まれてくる御子は今上の第一御子であることと、後見人が関白の堀川大殿であることから、もし男皇子が誕生すれば、東宮の地位は決定したようなものである。そうなれば、堀川家の安泰はこれ以上ないくらいのものとなるが、反面、あの若宮はどうなってしまうのか。表向きは嵯峨院と故大宮の皇子として育ってはいるが、真実は入道の宮(女二の宮)と狭衣の間にできたあの子は。それを考え始めると、狭衣はたまらなくつらい。なんとか日陰の宮にならないように心を尽くしたい。女一の宮の立場は、ますます重々しいものになってゆくだろう、それに比べて、同じご姉妹である入道の宮は、おいたわしい境遇になられたことよ、かつては嵯峨院の掌中の珠のような輝かしい存在であったのに、私が全て台無しにしてしまったのだ・・・と、いまさらながらに自分のしたことを悔やむ狭衣。表面的には何くわぬ顔で、一品宮としごく円満な家庭生活を送っているかのような態度を装い続けなければならないことがいやでいやでたまらない。未だに入道の宮を慕い続けていることだけでも本人に知ってもらいたい、一品宮とは最初から愛情なぞ無いことを理解してほしい・・・そう思いながら、入道の宮への歌を書きはじめた。


『・・・あくがるる我魂もかへりなん思ふあたりに結びとどめば
(出家したいと思うこの身は、あなたのもとへ帰ってゆくでしょう。あなたが私の魂を結び留めておくならば ) 』


手習いのように何気なく書きつけていると、宮の中将と呼ばれる人が狭衣の元へとやってきた。この人物は坊門の上(大殿の上のひとり)のご兄妹である故・式部卿宮の子だ。紫苑かさねがよく似合う風情あるたたずまいだが、彼には悩みがあった。妹のことである。なかなか良い相手が見つからず、将来を案じている妹がいる。
狭衣が手習いをしているのを見ると、書きつけられていた歌の横に、


『・・・たましいの通ふあたりにあらずとも結びやせまししたがひのつま
(あなたの大事な妻(一品宮)ほどでなくてもけっこうです、私の妹にほんの少しの情けをかけていただけませんか ) 』


「わたしにそんなことを頼んでも無駄な気がするけれどねえ。あまり長生きができそうにないから、早く出家したいといつだって思っているんだよ。なかなかその本意を遂げる機会が見つからないだけで、ね」
「姥捨て山の月ならばお心を慰められないでしょうが、美しい都の月の光ならば心も慰められようというもの。私の妹は、都で見る月の光にも勝る美女でございます。このような沈んだ歌など思い浮かべずとも・・・」
「君は、私が誰かに恋して悩んでいるとでも言いたそうな口ぶりだねえ。私にはね、執着したくなるような絆がないから世を厭うような口癖がついてしまったんだよ。知ったかぶりをして、私に想う人があるように言うのはやめてくれないか」
このお方の情人になれば将来は安泰だとは思うが、周りは最上位の女人たちばかり、妹は心労の種が尽きないに違いない、だが何とかして・・・と宮の中将は思い込んでいる。
つれづれ話を長々としているうちに、狭衣は宮の中将の扇に風情ある秋の野を描いて、端に歌を書き込んだ。


『・・・我が方になびけや秋の花すすき心を寄する風はなくとも
(私の方から意思表示しなくとも、妹君がなびいてくれればいいが)
・・・心には標結ひ(しめゆひ)おきし萩が花しがらみかくる鹿や鳴くらん
(口には出して言わないが、もしや男が恋を打ち明けていないか心配だ) 』


それに対して宮の中将が書き付けた歌は、


『・・・招くともなびくなよゆめ篠すすき秋風吹かぬ野辺は見えぬと
(なびかないでくれ妹よ、狭衣さまは女にはすぐに飽きるのだから)
・・・おしなべて標結ひ渡す秋の野に小萩が露をおかじとぞ思ふ
(多くの女人を独り占めしている狭衣さまのもとに妹はさしあげられませんね)』


「ははは。兄君のつまらない思惑だな」
こんなふうに、狭衣と宮の中将の駆け引きは続く。優雅な歌に紛らわせてはいるが、狭衣をその気にさせるのに中将はかなり必死だ。なにせ自分の妹の将来がかかっているのだから。
「まあ冗談はさておき、宮の中将。私は昔からあなたを頼りにしているのに、私の本心を見抜いてくれないんだね。竹取の翁のような美女を探し出してきて、私にこの世への執着をつくってくれないかな」
「いやいや、竹取の翁にも狭衣大将さまご希望の美女は探し出すことができないでしょうよ。お役に立つことができるかどうか・・・」
そんなことを言い合っているうちに、若公達が遊びに来て、美しい女房たちも集まりだした。狭衣はくさくさした気分を紛らわすために、漢詩などを作って夜を徹して遊び過ごした。


それから二、三日後、宮の中将の期待していたとおり狭衣から手紙がきた。
『ぶしつけかもしれないが、先日君が言っていた、竹取の翁が美女を探し当てたような話をもう一度聞いてみたいのだが・・・(それとなく妹君に)伺ってみたかね?』
とある。中将は、やれ自分の思うとおりに狭衣さまがその気になりはじめたな、とわくわくしたが、返事はすまして、
『それがなかなか・・・こちらも妹の目につくように、あなたさまのお歌が書かれたものを散らしておいたのですが、雲の上の狭衣さまが、自分のような目立たない小草など相手にされるはずはないと、いっこうにとりあってくれません。世間知らずなものでして、狭衣さまの雅なほのめかし方が、まったく理解できていないようでございます。しかし私がみるに、こうした妹の無関心ぶりは、ひょっとするとあなたさまの北の方(一品宮)に遠慮しようとしたからではないでしょうか』
としておいた。


九月になり、嵯峨院にて入道の宮が主催する曼荼羅供養(まんだらくよう)がおごそかに行われることになった。法華八講(ほっけはっこう)も行われ、準備のために堀川大殿も嵯峨院に忙しく日参している。朝夕交替して誦する僧なども入道の宮が厳選し、厳しい修行に耐え、声の特に良い者だけを選んだ。飾り付けなども、まるで極楽の幻を見ているかのようなすばらしく凝ったつくりにした。入道の宮はそれらを眺めていると、気分がさわやかになり、心も集中して仏道に専念できるように思えるのだった。
狭衣大将も父大殿と同様に、嵯峨院にて供養の準備に追われている。これが入道の宮にとって、気分の晴れきれない唯一のことだった。狭衣が若宮を嵯峨院に連れてくる。若宮は、表向き嵯峨院の皇子だということになっているからだ。真実は狭衣と入道の宮のあいだにできた子だ。この若宮が、嵯峨院のあちこちを遊び歩くさまは、入道の宮の心を動揺させるに十分であった。
十三日は八講の最終日である。明るい十三夜の月の光が、あたりをくまなく照らし、入道の宮は月に導かれて須弥山(しゅみせん)の頂上まで昇れそうな心地だった。花の時期は終わり、うちなびく薄(すすき)の穂先に降りた露が、重たげにきらきらと月光にきらめく。念仏の声に合わせるかのように、秋の虫の鳴き声があたりに満ちていく。その場に居合わせた人々は、今にも伽陵頻(かりょうびん)という鳥が極楽からここに舞い降りて、美しい声でさえずり始めるのではないか、と感じるほどの尊い一夜であった。
一連の行事が終わり、招かれた人々や僧たちが次々と退出していく。だが狭衣はここに残った。
大井川からの川霧があたりに立ち込め、どこからか水の流れ落ちる音がたどたどしく聞こえてくる。その水音につられるように、狭衣が法華経の一句を読み始めた。若宮が狭衣の声を聞きつけ、一緒にいたいとせがみ始めたが、乳母に「もうおやすみくださいませ」となだめられている。狭衣は若宮のそばに行って、なぐさめた。
「宮、私は今夜は帰りますよ。あなたは時々はここで、入道の宮のもとでお過ごしくださいね」
「入道の宮はいつもいつも仏さまの前で、むずかしいお経というものを唱えているよ。わたしを抱っこしてくれたことなんか一度もないよ」
「そうですか・・・それは少しおさみしいことですね。しかし私は今夜、しなければならない事があって、堀川邸に戻らねばならないのですよ」
「じゃあ待ってる。明日の朝一番にここに戻ってきてね」
うれしそうな顔でそう約束する若宮の顔があまりに可愛らしく美しく、狭衣は、このまま若宮が月の神にさらわれてしまわないかと心配して、「早くご自分のお部屋にお戻りください」と言うが、若宮はなかなか狭衣のそばを離れようとしない。それなら、と狭衣は若宮にこっそりと、
「それではこうしましょう。わたしの用事をお手伝いしてもらえますか。入道の宮がいらっしゃる持仏堂の妻戸の掛け金を、そっとはずしてくれますか。
仏さまのお部屋のゆかしさを、のぞいてみたいのですよ」
「ゆかしくなんて思えないよ。あのお部屋は、こわいお顔の不動さまがにらんでいるもの。食べられてしまうよ」
若宮の、心から狭衣を心配している様子に、狭衣はたまらないほどいとしい気持でいっぱいになる。
「おそろしい顔でにらまれないように、そおっとのぞきたいのですよ。だから、ね。あのお部屋の西の妻戸の掛け金を、こっそりはずしてください、ね?」
若宮は何事か考えていたが、やがて乳母に連れられて自分の部屋に戻っていった。
持仏堂では入道の宮がくつろいでいた。格子がまだ降ろされていない部屋の燈明のそばに、一大行事を無事終わらせた宮は穏やかな気持で座っていた。彼女は几帳を移動させて、外がよく見えるように廂の方に少しいざって、西に傾いた月を眺めているのだった。月光に照り映えたその姿も髪の美しさは落飾前と比べて少しも色あせていない。そばにひかえている中納言内侍典侍は、入道の宮のこんなお姿を、「朝夕見続けたいものだよ」とグチを言う狭衣さまに今お見せしたらどれほど感動なされるだろう・・・と感慨深く宮を見つめていた。そのときふいに、経を唱える狭衣の声が近づいてくる。女房たちはその声に驚いて、「まだお帰りにならなかったんだわ」「早く御格子を降ろさせて」など多少あわてている。入道の宮は狭衣に見られないように静かに素早く、燈明の光の届かない部屋の暗がりへといざった。
女房たちのほとんどは自分の局へ戻っており、中納言内侍典侍だけが、宮から少しはなれた場所に控えていた。
しばらくすると若宮がやってきて、そわそわと何か落ちつかないふうに歩いている。典侍は驚いた。
「まあ若宮。まだお休みになられないのですか?狭衣さまとご一緒ではないのですか」
「それが、狭衣さまをお探しするまでは寝ない、と・・・」
付き添っていた、若宮の乳母が答える。
「おかわいそうに・・・どうして若宮をほったらかしになさっているのでしょう」
とつぶやくと、
「だって、『今夜は入道の宮のところでお休みくださいね、明日の朝お迎えに行きますよ』って大将に言われたんだ」
そう若宮が答える。
「そうだったのですか。それでこちらに来てくださったのですね」
普段はあまりこちらに近づこうとしない若宮の来訪に、典侍はなんとなくうれしいものを感じたが、入道の宮はといえばまったくの無関心で、こちらを見ようともしない。若宮は、無邪気にそこらを歩き回りながら、そっと御堂の掛け金をはずした。だれも気がつかない。妻戸がきしむ音がして、外にひそんでいた狭衣が、待っていたかのように忍び込む。間違えようのない薫りが、あたりにただよい出した。異変に気付いた入道の宮が顔を上げると、冠の影が近づいてくる。宮はもう真っ青になって、仏間の障子の向こうに隠れてしまった。
落飾直後の女二の宮をこんなふうにして追い詰めて、逃げられた事があったな・・・狭衣はそんな事を思い出していた。あの時も月の美しい夜だった。同じように鍵をかけ忘れた格子を開け、同じように寝所に忍び込んだのだ。あの夜はあと少しのところで逃げられてしまったが、今回はそうはさせない。絶対につかまえてみせる。今夜の狭衣に迷いはなかった。
入道の宮は障子に掛け金をかけたらしい。きっちりと閉まって動かない。ここまで拒絶される我が身が狭衣は情けなかった。障子を破ってしまおうかとも考えたが、仏間の向こうは行き止まりの塗籠(ぬりごめ)。これ以上逃げられないとふんだ安心感で狭衣は障子に近づき、
「これ以上は近づきませんからご安心ください。今一度、私の想いをお聞きくださればいいのです」
そう前置きして、初めて宮と契った夜のことから、行き違いが重なり続けてとうとうこんなにまでこじれてしまった二人の関係の口惜しさを切々と訴え始めた。
「・・・これほどに思い悩んでいる私という存在を、あなたに知っていただきたかったのです。若宮の一件も、私を頼ってくだされば全霊を込めてお世話致しましたものを、あなたは私に目もくれず出家してしまわれた。あの時の私の衝撃を、あなたは何もご存知ありますまい」
狭衣は障子の向こうの宮に熱っぽくささやき続ける。
「思い余ってあなたのもとに参ったあの夜のことは覚えておられますか?あなたは衣だけ残して私から逃げてしまわれた。帰るとき、遠くから赤子だった若宮の泣き声が聞こえた。あのときから私は、若宮を手元でお育てしようと決めたのです。自分から遠く隔てられた宮中には置きたくなかった。その愛情ゆえに、こうして出家せずにいられるのです。私が一品宮と結婚するときに、あなたに手紙を差し上げた事をおぼえていますか?そのときあなたは紙の端に歌を書き散らして引き裂いた。確かにあなたの言うとおりでしょう。すべての不幸は私が引き起こしたのです。自業自得と言われても何も言い返せません。それだからこそ、こうしてお目にかかる機会を待っていたのです。お目にかかって、そして、私の心の底の底を見ていただきたかったのです」
涙にむせ返りながら、全てを言い切った狭衣に対して、障子の向こうにいるはずの入道の宮はといえば、身じろぐ気配さえない。宮の無情さに業を煮やした狭衣は、障子と障子の間から畳紙(たとうかみ)を差し入れて、掛け金をはずす。ほんの少しだけ障子を開けて、
「私の思いのたけをお聞きくださいましたか。これ以上は開けませんから、あなたが何を考えているのか、お声が聞きたい。私を情けない人とあなたは思っておられるでしょうが、あなたの冷淡さもこのうえなく悲しい。なにか、なにかおっしゃってください。あまりにつれないと、かえって私はあなたにひどいことをしてしまいそうです。この障子を破って」
狭衣は力強くささやきながら、何も言わずにうつむいたままの入道の宮の手を取って、宮の言葉を待つ。宮はただ一言、


『・・・残りなくうきめかづきし里のあまを今くり返し何うらむらん
(憂き想いを我が身に背負った尼のわたしを、いつまでもそのようにお恨みにならずともよいではありませんか) 』


汗に体もしとどに濡れ、今にも消え入りそうな小さな声で答えるだけ。狭衣は、その昔、まだ源氏の宮へ想いがつのるあまりに、女二の宮を貰えと言われても結婚に踏み切る気持の湧かなかった頃の事を思い出していた。それが今ではどうだろう、この苦しさせつなさは。こんなに恋しいのに、尼にさせてしまって結婚できる可能性さえこの手でつぶしてしまった。契ることができないと思えば思うほどに、狭衣の目の前で宮の御髪が悩ましく揺れる。かつてはあんなにも長く豊かに狭衣の手にからみついた宮の髪は、今はもう尼削ぎの乾いた清らかさで、あの夜のしっとりしたなまめかしさはもうどこにも見当たらない。あでやか極まりなかった姿を、こんなやつれた尼姿にさせてしまった罪は自分だけにあるのか、狭衣はおのが心に問うてみる。いや、そうじゃない、冷淡にも全てを拒絶して生きようと決めた宮にも、罪は無いとは言えないじゃないか、あなたが人生に絶望して出家した後も、私が結婚してのうのうと俗世で気楽に過ごしていると聞かれたくなくて、うとましくて仕方のない一品宮との夫婦関係を続けているというのに・・・
―――私はあなたをあきらめますよ、宮。ですがどうか、私を見捨てないで下さい。そして今の私と同じ姿がいつまで見られるかどうかを、よく見ていて下さい・・・今夜はそれが言いたかったのです」
出家の決意を告げた途端、泣きたくなるようなつらい気持がこみ上げる。


少し離れたところで、二人の一部始終をはらはらしながら聞いていた中納言内侍典侍は、ああ今夜の狭衣さまもこの私が手引きをしたのだと、宮さまは思い込まれるに違いない、とつらい思いでいっぱいだった。


もうすぐ夜明け。まもなく、嵯峨院が後夜の勤行(午前四時頃)のために起床される時間である。いつもならこの時間の入道の宮は、嵯峨院の出御の前の念仏に専念しているはずなのに、今日は生きているのかどうかさえわからない心地で狭衣と対面している。そんな息も絶え絶えな宮を、尼となられた宮を、今さらここまで惑わせて一体自分はどうするつもりなのだ・・・と狭衣はようやくこの場を立ち去る気になったが、これが宮に生きて逢える最後・・・そう覚悟して、


『・・・後の世の逢瀬を待たん渡り川別るるほどは限りなりとも
(この世で最後の逢瀬でしたが、三途の川で会う事を待っています) 』


狭衣はそう言ったあと、すべるようにその場を退出してしまった。
正気を失ったかのような心地で妻戸を開けると、霧の立ちこめた暁の空が目の前に広がっていた。


『・・・待てしばし山の端めぐる月だにもうき世の中に留めざらなん
(沈みゆく月よ、このまま私を西方浄土に一緒に連れていけ) 』


俗世を離れて何にも惑わされないで生きてゆきたいのに、このまま意に反した生活を続けていかねばならないのか・・・そんな思いにとらわれながら、狭衣は自邸に戻った。
心の奥底に燃えていた想いを全て吐露した挙句、宮は私への拒絶の態度をとうとう崩さなかった・・・柔らかな手の感触、うつむいて震えている面影が、自分の部屋に戻った今でも目前にちらついて離れない。二人の間にできた溝は、狭衣がどれほど努力しても埋め戻すことができないほどに深いものだった。これほどまでに宮を苦しめた代償が、己の出家なのだ。宮の、輝かしいものであるはずだった人生を握りつぶしてしまった私は、罪をつぐなうべきなのだ。絶望のまま亡くなってしまわれた故大宮も、これで成仏できるはず。
今はもう、出家の事しか頭にない狭衣だが、ただ、若宮のことだけが心残りだった。自分と入道の宮の間にできた秘密の絆(きずな)。私がいなくなったあと、あの子はどうやって過ごしていくのだろうと思うとたとえようもなく悲しい。
狭衣が戻っていることを聞きつけた、父大殿と、母の上がやってきた。
「戻ってきておったのか。昨夜は院に泊まる、と聞いていたが。戻ったのなら一言でも知らせなさい。
昨日は嵯峨院に、そなたが一品宮を嫌ってまったく邸に行っていない事を、ご相談申し上げようと考えていたのだが、それ以上に、最近のそなたは面倒な事があると私の目を避けて、こそこそとどこかへ隠れてしまうのがけしからん。一人息子の夫婦仲が悪いと、親の私たちも身の置き所がないではないか」
「殿、そんなに問いつめないでやってくださいませ。この子自身も世の中がおもしろくないのでございますわ。いつもいつも、『生き長らえそうにない』と私に漏らしているのですから。心外な気持や言葉(出家の気持)を思わせないようにさせてくださいませ」
父と母のそんな嘆きぶりを見て、狭衣はますますため息をついて世の中への失望感を深めていくのだった。
翌朝はやく、狭衣は嵯峨院にいる入道の宮宛てに文を使わせた。


『お逢いすれば、かえって恋しさが募るとわかってはいましたが、こんなにもつらく口惜しい気持にとらわれようとは。これ以上はこの世に居られそうにありません。すぐにでも私は山に入って俗世から縁を切りたいと思います。


・・・命だに尽きずも物を思ふかな別れしほどに絶えも果てなで
(昨夜別れた時に命が尽きればよかった。こんな物思いをする位なら) 』


その手紙を文使いから受け取った中納言内侍典侍は、人のいないのを見計らってそっと入道の宮に渡す。宮は、
「今さら。尼の着物の端だけでもあの方が捕らえようとなさったのさえ口惜しいのに。情けないこの身は、いつまで生き長らえなければならないのか」
と一日も早い極楽への迎えを待って、一心に仏道に励むのだった。もちろん返事など書くはずもなく。
出家を心に決めた狭衣大将は、目にするもの全てはいずれ消えゆくはかないもの、と思うようになっていた。早く故飛鳥井の女君の兄者であるあの山伏を師と仰いで、仏道に専念したいものだ・・・そう思いつめる毎日であった。


十一月になった。斎院では、初の卯日にその年の新穀を奉る神事が行われる。御神楽の夜、宮中のおもだった上達部たちが参内し、美しい女房たちと合わせる楽の音も華やかな宵となった。舞人の長である近衛の舎人が神楽歌の『その駒』を舞い、袍の右肩の袖を脱ぎ掛けているのが庭火にまばゆく映っている。下郎たちはわざとおどけて楽しく場を盛りたてている。夜が更けるにつれ雪が降り出し、木枯らしも次第に強くなり、庭火が風に吹かれて今にも消えそうになる。そんな庭火の火影をぼんやり眺めながら、狭衣は、


『・・・おぼろげに消つとも消えむ思ひかは煙の下にくゆりわぶとも
(かがり火は簡単に消す事ができても、私の心の奥底でくすぶっている思いは容易には消せやしない) 』


と思い続けていた。「今日こそ、明日こそ」と出家を思い続けている狭衣にとっては、斎院への恋心こそ、「もう想いを断ち切らねばならないこと」と自分に言い聞かせていることなのだが、何年も前からの懸想は、そう簡単に消せるものではなかった。明け方近くになり、御神楽がようやく終わる。上達部たちがあちこちで自由に歌ったち舞ったりし始めた。狭衣も謡いだす。その声のよさに、それまで謡っていた上達部たちが声を詰まらせ気後れしているのがこっけいだ。そんなふうに心ゆくまで遊び尽くした。
斎院側は、祝儀の被けものとして、華やかな女房装束を出されたそうだ。


いろいろな行事が滞りなく過ぎていき、春の暖かさが待ち遠しい時期、狭衣は特に心の紛れることもなかったので、故飛鳥井の女君の兄者である山伏がお籠り(おこもり)すると言っていた、近江の竹生島に行ってみることを思いついた。きっとこのまま出家してしまうだろう・・・そうなる覚悟はできていたが、若宮のことだけが気がかりだった。だが、母である堀川上が若宮を溺愛しており、その方面はとりあえず安心できるだろう、問題は、一品宮のもとに預けられている、飛鳥井の女君との間にできた幼い姫君・・・一品宮に、あの子が見捨てられたりしてしまわないように、母の堀川上にそれとなく告げてみた。詳しくというほどではないが、あの姫を他人のように思わず、孫同然の扱いをしてほしい事情をそれとなく言ってみたところ、堀川上は、
「こんな大事な事を隠しておかれて、なんて水くさいことを」
と、ただもう驚きあきれるばかりであった。
「ある事情がございまして、急には申し上げられなかったのです。あの一品宮には、このことは知られたくないのですが」
「どうして今まで、親である私たちにさえ黙って過ごしていたのです」
「近いうちにお目にかけることでもできましたら、と思いまして」
母の上は胸をつまらせ、ただ泣き崩れるばかりだった。
狭衣は一品宮のことを思いやった。近頃は、あの邸にもめったに足を運ばなくなってしまって、宮は心からのんびりとくつろいでいる事だろう。しかし私が突然出家遁世してしまったら、宮は、自分がそんなにいやで出家したのか、情けない心の持ち主よ、と私を一生憎みとおすに違いない。高貴な身分の宮を、そんな気持にさせたまま一生を送らせてしまうのはなんともお気の毒だ。しかし私の出家の動機の中では、一品宮とのことはそれほどたいしたものではないのだから、あえて別れを告げるのもどうしたものか・・・と一品宮にはまったく執着していない狭衣は、宮には何も告げないで竹生島に出発することに決めた。
その日の夕暮れ、狭衣は斎院に参った。ちょうど母である堀川上も居て、斎院の奏でる琴の琴(きんのこと)を聞いているところだった。狭衣の来訪を聞いて、斎院は弾くのを止める。狭衣はめったに聞けない斎院の琴の音が止んだのを残念に思った。上は言う。
「狭衣。最近、夢の中にあなたがいつも出てきてねえ。何か不吉な予感がして心配ですよ。祈祷などを常より念入りにしようかしら。あなたも精進なさってね」
狭衣は母の無意識の親心が切なかった。明日の今頃私はきっと俗世から縁を切ってしまっているだろう、と胸がいっぱいになったが、ここで涙を落とすわけにはいかない。強いて平気にとりつくろった。
「母君は、私の寿命がいつなのかということを心配しているのですか。そんなに惜しむ必要はありませんよ。仏は、世の中は水の泡のようだと説いて出家を勧めています」
「んまあ、私が死んだ後のことならいざ知らず、私が生きている間だけは、いつ死ぬかなどという冗談はおっしゃらないで。憂き世を捨てたい気持はあっても、憂き世にいる私を見捨てるようなものの言い方はしないで」
母の上はそう言うと、親とも思えないくらい泣き崩れてしまった。
夕暮れになって、堀川上は対の屋へ渡る。それに伴い、たくさんのお付きの女房たちも対の屋へ渡ってしまうと、斎院の御前は急に人がいなくなってしまった。そのすきに狭衣は斎院に近づいて、何かにまぎれるような声で、
「出家する時期がやってきたようです」
とだけつぶやき、長押(なげし)に寄りかかる。
「長年、この憂き世にいつまで命が永らえているのかと思い続けていましたが、つい最近から本当に命が絶えるような気がしてきましてね。私は結局どうなるのでしょうね。あなたにはどう見えますか?こんなになっている私にでさえ、あなたは優しいお言葉のひとつもかけてはくれないのでしょう?情けある言葉は、人の命をも助けるといいます。でもまあ、冷淡な扱いを受けるほうが、仏門に入ろうとするこの身にとっては好都合なことですが」
狭衣はなんでもないふうに平然といいのけた。が、今は斎院という重々しい身分となった源氏の宮に、どんな言葉を期待できるというのだろう。案の定斎院は、ただただ悲しげに何気ないふうに、


『・・・言はずとも我が心にもかからずやほだしばかりは思はざりけり
(私のことを縁ある者とあなたが思っているのなら、あなたの事が気にかからないはずはありませんが、そうではないようですわ。ですから、あなたは私にそれほど未練はないのでしょうよ) 』


とつぶやくだけ。ああそうだった、女二の宮に出会うよりもっと前から、自分が出家遁世したいといつも思いつめていたのは、ひとえにこの宮への恋心ゆえであったのだ、と狭衣は今さらのように感じていた。この宮が死ねと言えば、自分はすぐにでも死ねるだろうし、生きよと命じられれば俗世に生き続けることもできる。結局、自分がどれほど思い乱れようが、この宮の言葉ひとつ、まなざしひとつが、自分の人生を左右させるという事を狭衣は痛感していた。


『・・・生き帰りただひたみちに惑いつつ身は中空になりねとやさは
(あなたの存在ひとつが、私に出家させようとしたり、また思い留まらせようとしたりするのです。迷い続けよ、とあなたは言うのですか)


私の長年の心の乱れはあなたのせいなのですから、やはりあなたに愚痴を聞いてもらうのがスジでしょう』


もうこれ以上耐えられないほどに恨み言がこみ上げてきた。が、そのとき、堀川上に対の屋まで付き添って行った女房たちが、斎院の部屋に戻ってきた。狭衣は何事もなかったようなそぶりをするしかない。所在なげに部屋の外を眺めれば、庭の木々の間からもれ出る月影や枝を通り抜ける風の音が、斎院という聖なる場所柄、普通のところとは比較できないくらい神々しい。沈んだ面持ちでそれらを眺めていた狭衣は、ふいに琴を引き寄せて、爪弾き始めた。二度とこの女人の前で奏でる機会はないかもしれない、だから今夜の音を忘れられないように・・・という思いで、狭衣は一心に奏でる。天人降臨のときのように。あのときは笛だった。母の上は狭衣の奏でる琴の音を聞きつけ、不吉な予感から、大急ぎで対の屋を飛び出してきたが、神がかったように琴を弾いている自分の息子をどうして止められようか。
ふいに風が荒々しく吹き雷が鳴り出した。辺りには妖しいまでの高貴な薫りがただよい始める。女房たちはものも言えないくらい驚いて、恐ろしさで生きた心地もしない。今頃宮中の殿上の間でもこの雷鳴はただ事ではないと大騒ぎだろう。狭衣の側にいた斎院もあまりの恐ろしさにがくがくと震えだし、死んだように真っ青になっている。狭衣自身にも、何者かの大いなる力が働いているように感じられ、奏でるのをやめようにもやめられないのだった。
異変を聞きつけた堀川大殿が斎院に駆けつける。「またこのような不吉な事態になってしまった。上も最近いやな夢を見ると言っていたが、こういうわけだったのか」と、御祓い(おはらい)に誦経にと大騒ぎだ。
その夜はこれ以上のことは起こらなかった。だが大殿は心配のあまり、狭衣に比叡山で加持祈祷を受けることを命じた。お供の人選を大殿がいろいろ取り決めていても狭衣はうわの空だった。なぜなら、もう出家しようと心に決めてしまっていたから。
次の日、狭衣は大殿のもとに出向いて、
「女院(一品宮の母宮)さまがお風邪を召されたとか。今宵、お見舞いに参上致します」
と言う。大殿は、「明朝、遠い比叡山へ向けて出発するのに、なにも今夜わざわざ行かずとも」と少し不審がったが、特にそれ以上追求することなく、
「そうか。それならば、私は明日の朝にでもお伺いしよう」
と言った。
「いえ、女院はそれほど悪いご様子ではないようです。お具合を帝にも申し上げないように、とのことづけでございました。ですから、父君が参内するほどのことではないでしょう。大騒ぎになってしまいますゆえ」
そう言いながら狭衣は、そっけなく下がってしまう。狭衣の比叡山参りを心配する父大殿を無視するかのように。
「若宮はどうしておられる。お休みか」
狭衣が若宮付きの女房たちに尋ねていると、奥のほうから若宮が眠たげに出てきた。
「あ、大将だ。まろを抱っこして。だっていつも一品宮のところにいる姫ばっかり可愛がっているのだもの」
と狭衣に可愛らしくせがむ。
「とんでもない。若宮が一番ですとも」
と笑顔で応えながら、狭衣は若宮をやさしく抱き上げた。
この宮が、もう少しものの道理がわかるくらい大きくなるまでお世話したかった。突然身を隠してしまったら、若宮は私のことを、どんなにひどい人だと思うだろう。出家した本当の理由を知らせてくれる人もいないのに・・・狭衣は、抱き上げた腕の中で可愛らしく笑っている若宮を見ながら、そんな悲しいことを考えていた。狭衣の心を敏感に感じ取ったのであろうか、若宮は何かが変だと思い、ひどくまじめな顔つきになって、じっと狭衣の顔を見つめる。狭衣は、こんな愛しい絆(きずな)を自ら断ち切ってしまって、本当に悔いはないのか・・・そう自分に問いながら、


『・・・涙のみ淀まぬ川は流れつつ別るる道ぞ行きもやられぬ
(涙だけは川のように流れていくが、恩愛の道は、頭では分かっていても容易に断ち切ることはできないものよ) 』


と詠んで、そっと若宮を下ろした。無垢な顔で狭衣の顔を見つめる若宮の存在だけが、出家の心を俗世に引き戻そうとする力のような気がした。


    
(注1:三十二面相とは?
平安時代は空前の浄土教ブームが起こり、貴族たちはハッピーに死ねるための『観想=極楽浄土を思い浮かべる訓練』を熱心に行っていました。その中に、仏の体の32のおおまかな特長をイメージするというものがあり、その32の特長は、1瞳が青、2歯が40本、3声が良い、4皮膚が繊細、5手が膝に届くくらい長い、6指が節くれだっていない、7男根が体内に隠れている云々・・・と、具体的に規定されていました。その内のどれくらいをその人が備えているのかということで、人の美醜をランク付けしていたのでしょう。そこから発展して、美人を称える表現として、『三十二面備わっている』という形容が、平安後期ではポピュラーになってきたようです。