いどばた無名草子


             (その六)

中務
「そうね。今までああだこうだと言ってきたことは皆作り事と言えば作り事ですもんね。物語なんだもの…。歌物語なんかは、和歌中心の当代有名人の恋愛話で、実話だもんねえ。『伊勢物語』や『大和物語』など、実際の出来事と思えば感慨深いわ」
少納言
「『伊勢』は、ただ在原業平の色ごのみを歌にまかせてつくったものにしか思えないけど。『大和』だってそうよ。この世に生を受け人で、位の高い人も低きも、少し物のわかる程度の人なら、『伊勢』『大和』を読んで記憶してない人がいるかしら。
作品中の歌のよしあしは、『古今集』を見ればいいわ。二つの歌物語の中の良い歌は、この中に全部入ってる」
右近
「では古き新しきの区別なく、勅撰集の中で、どの歌集がすぐれているかしら」
中務「勅撰という名がついて、いい加減なものはないでしょう。だから、改めて論ずる必要はないんじゃない?
『万葉集』などはあまりにも古くて私には論ずる事はできないわね。
古い詩歌はどれも優美だと言うけど、『古今集』こそ返す返すもすばらしいわ。歌のよしあしなど、口に出す事すら恐れ多いというものです。何といっても、醍醐天皇が選びに選びぬかれた歌ばかりが、収められていますから。
『後撰集』は、歌の言葉も姿も神々しすぎてちょっと敬遠したいわ。私のような取るに足らない者の頭では、わかりにくいもの」
少納言
「万葉集・古今集・後撰・拾遺・後拾遺・金葉・詞花・千載は八代集というわね。『後拾遺』にはよい歌がたくさん入ってるわね。でも、『古今集』が一番すばらしいと私は思うわ。
藤原公任撰の『金玉(きんぎょく)集』…私撰集だけど、これはステキよ。『古今集』以降の勅撰集を公任卿があまり高く評価しなかったので、ご自分で集められて私撰集となさったもので、そこに収められた詩歌は心も言葉も姿もそろっていて、とても優美だわ」
小侍従
「では、勅撰集は論ずるのはあまりに恐れ多いので、個人個人で集めた私撰集、いってみましょう」
中務
「俊恵が撰した『歌苑集』、顕昭が撰した『今撰集』などは、世間一般では良きものといわれているけど、でも私はちょっと…。はっきりとダメ!とは言わないけど、撰者の人柄によるんでしょうね、選ぶ歌ってのは。私には合わないわ。道因が撰した『現存和歌集』、賀茂重保が撰した『月詣和歌集』なども、立派なものでしょうが、やはり奥ゆかしいとも思えないわ。
さらに、『奈良集』という歌集もあるそうね。なんでも、奈良の諸寺の僧が詠んだ詩歌を集めたものとか…。まだ充分に見てないけど、僧だけなどと、きっと視野の狭い歌集に違いないわ」
右近
「でも私撰集は、題詠歌だけ集めて歌を詠まなければならない時にとても重宝するとかいうけど」
少納言
「題詠歌なら、私撰集でなくてもあるわよ。
『堀川院百首』・『新院(崇徳天皇)百首』・あとは藤原良経殿が左大将であられた頃に撰なさった『六百番歌合』なんかが有名ね。
ああ、一度でいいから詩歌を選んで歌集をつくるような身になってみたいわ」
小侍従
「『千載集』は俊成殿のおつくりになったもので、とても奥ゆかしくてすばらしいものですけど、歌人に遠慮なさりすぎたのかしら、よい歌でないのも結構入ってるのよね…。末世といわれて久しい世に、この和歌の道だけでも、いついつまでも絶えることのないように続いてほしいわ。歌人の地位や身分に遠慮せずに、いい歌だけを選りすぐってくれたら、どんなにかすばらしい歌集になったことか」
老尼
「それにしても残念なことですわ。女という身分ほど口惜しいものはありませんわね。情緒を愛し、どれほど才能にあふれていても、女というだけで撰者になることがどれほどむずかしいことか…。
詠んだ歌が選ばれるということだけでもむずかしいのに」
少納言
「後世に、何か一つだけでも作品を残せる様なすばらしい才能を持って生まれたかったわ…。深窓の姫君とかどこかの高級貴族の北の方とか、そんな、世間の目から隠されてる人々ならともかく、私のように女房として、表に顔を出して立ち動いているのに、『すごーく才気走った女房がいるのよココ!ステキなサロンよ!』とも言われず、名も残せないまま生涯を終えるのは、本当に残念なことだわ。
物語や和歌は、まだ女の立ち入れるスキマがあるけど、漢詩なんか立場ないもんね。漢字を知ってるっていうだけで、オニを見るような目で見られるし。物語だって、男も創作できるってんで、まだ文学の範疇に入れてもらえるけど、『ホニャララ日記』の類なんか、日の目も当たってないし」
小侍従
「少納言の君、ぐちっぽくなってきてるわよ」
右近
「そうよ、気分湿らせてどうするの。ここは、知的な交流の場なのよ。物語論も歌集論もずいぶん楽しかったわ。意見交換。じゃあ次は、それらをつくった方々に日の目を当てて、語ってみましょうよ」