斉信君のおいでませ伊勢物語    〜第九夜〜



昔、たった一晩で『男』に飽きられた女がいました。口説き続けた女のもとでようやく夜明かしできたのはいいのですが、思わぬ拍子抜けだったようで、それ以降『男』は姿を見せなくなってしまったのです。
ある時女が、洗い場のたらいの上の貫簀(ぬきす)をはずして手を洗おうとしたところ、水面にうつるおのれの姿を見て、


我ばかり物思ふ人は又もあらじと思へば水の下にもありけり


と独り言をつぶやきました。
ところが、うっかりそこを通りかかった『男』が女の歌を聞き、


水口に我や見ゆらむかはづさへ水の下にて諸声(もろこえ)になく


と答えたということです。


斉信
「熱心に口説いたのはいいが、実際逢ってみると今ひとつだな〜というのが27段だ」
見習い
「宮中に出仕している二人なんですかね。公共の手洗い場でぽつんとしょぼくれている女官と、たまたまそこを通りかかってしまった『男』の図」
斉信
「違うと思うね。見習い君は、『姫君なら手洗い場なんて設定がおかしい、だから女の身分は宮中の下級女官』と推理してるんだろう?」
見習い
「はい」
斉信
「こう考えてみてはどうかな。頃は夏。田園広がるちょっとさびれた所にあるお屋敷。そこに勤めている女房。例えば、『男』はどこかの貴公子の従者で、お屋敷の女主人のもとへ通うご主人さまのお供をしているうちに女主人の侍女が好きになり、ご主人さまの夜歩き毎に、せっせと彼女を口説いたのかもしれない」
見習い
「あっすごい、それなら『男』の詠んだ歌に『かはづ(カエル)』が出てくる理由がすんなり理解できます」
斉信
「そうそう。それで口説きに成功した『男』はある夜、ご主人さまがお屋敷に泊まった際に、念願の侍女の部屋で朝を迎えたんだ」
見習い
「ところが、意外にも具合がよろしくなかったというわけですね」
斉信
「具合がって、下品だねえ相変わらず。相性が良くなかったと言いたまえ。まあそれで一気に盛り下がったんだ。あとは顔を合わさないようにしてた。従者に加わらないとかさ。けれど、何かの都合でまたご主人さまのお供をして、お屋敷に行かなければならなくなった」
見習い
「一回きりの女だから、『男』はすっかり忘れちゃってたかもしれませんね。ところで女が見つめていた盥(たらい)の『貫簀(ぬきす)』って何ですか」
斉信
「角盥(つのだらい)の上にかぶせる小さい簾(すだれ)のことだよ。角盥に水を入れて顔を洗ったりするんだけど、使わないときにうっかり足が当たったりしたら、水浸しになってしまうだろう?だからこの貫簀でフタをしてこぼさないようにしているのさ。フタをすれば、虫もホコリも入らないしね。あ、ついでに言うと、盥に角がついてる理由はね、ここに袖口を引っかけておくと、袖を濡らさずに済むからなんだよ」
見習い
「ほの暗い水面にうつる、恋にやつれた自分の顔を見て、
”私だけじゃないのねえ。水面の下にも泣いている女がいるわ”
とため息混じりに詠んだかもしれませんね」
斉信
「所用で屋敷の庭でもうろついていて、洗い場の横を通り過ぎようとしてたんだろう。思わず物陰に隠れたんだな。女は自分に気づいていないと安心してたのに、水の下にもありけり=そこにいるのは見えているのよ?と言われたとカン違いしたんだ。
”君と同様に泣いている俺が、水面の下にいるだろ?
田んぼの蛙だって同じく水の中で鳴いてるじゃないか”
ちょっと他人事っぽい言い方だなあ。彼女はムッとしたんじゃないだろうか」
見習い
「彼女はずっと待ってるのに。『男』は冷たいですね」
斉信
「結局この『男』は、単にカッコ良くて雅びな恋愛遊戯がしたかっただけだよ。諸声でカエルが合唱するような辺鄙なところだろう?夏の夜更け、夜具に包まれて愛の睦言をささやこうにも、カエルの合唱がひびき渡り、『こりゃまいったナー』とうんざりしたのが『男』の正直な感想だと思う」
見習い
「魅惑の夜が過ごせるか過ごせないかは、恋愛の大きなポイントですもんね。
次の28段は、掛詞てんこもりな歌がありますよ。


昔、恋多き女が、夫を捨てて他の男のもとへ行ってしまったとき、夫は、


などてかくあふごかたみになりにけむ水もらさじとむすびしものを


と嘆いたそうですよ。


恋愛体質な女を妻にすると、なにかと気苦労多いんですね」
斉信
「せっかくだから、今回は掛詞の勉強してみよう。
掛詞とは、一言で言うなら『ダジャレ』だ。日本語には、同音異義語がすごく多いだろう?そこらへんから一つの言葉で二つの意味を持たせるというテクが発生したんだ。三十一文字に制限された和歌から、より多くの心情を伝える手段の一つなんだ。
あ、そうそう。掛詞のおかげで、和歌の『表の意味』と、当事者にしかわからない『裏の意味』なんてのもできるようになったんだよ。淡路=逢はじとか、美濃近江=身の合ふ身とか、紅い花=赤い鼻とか」
見習い
「Yo! so Cool=与作とか、その手は桑名の焼き蛤とか、そうはイカのキンタ」
斉信
コラ和歌に使えるか!焼きハマグリはわかるがイカは認めんぞ!イカだけに以下自粛…って、しまった、下品オヤジギャグが移ったじゃないかっ!そういうのはむしろ語呂合わせと言うんだ!あたりき車力の車曳きとか、三人酔えば文句の声(三人寄れば文殊の知恵)とか、そういうことも有馬山とか、富士山麓にオウム鳴くとか!」
見習い
「わははは。よくご存知ですねえ」
斉信
「格調高いはずの掛詞が…日本語の響きの美しさを教えるはずだったのに…そんな掛詞を駆使して、女に捨てられた『男』が詠んだ歌がこれだ。
”水も漏らさぬ仲だと信じていたのにいつの間に…”
恋多き女って長続きしないものなんだよな。恋愛の過程だけが楽しい魔性の女だったんだろう」
見習い
「この和歌、あふごだの、かたみだの、むすびしだの、掛詞だらけで意味がよくわかりません」
斉信
「表の意味は、
”肩にかける天びん棒(=あふご)の両端に、桶ではなく竹カゴ(=かたみ)を取り付けてしまったから、絶対こぼすまいと思っていた(=むすびし)水を、いつの間にやらカゴの網目から漏れさせてしまった。ああ”
…というところかな。裏の意味はさっき挙げたとおりだ。うっかり水汲みに竹カゴ使ったら、洩れることなんて初めからわかりきったことだからね。この『男』も、
”うーん、やっぱダメだったか”
くらいの気持ちで詠んだかもしれないね。あんまり湿っぽい感じが伝わってこないだろう?」
見習い
「短すぎて、別れる原因すら書いてありませんね」
斉信
「もっともらしい理由を書かないところが、伊勢物語の良いところなんだよ。恋人気分やときめき感がいつでも欲しい女だったのかも知れない。あるいは、ただ単に股のゆるい多情な女だったのかも知れない。『男』も女の性癖は理解していたみたいだ。わかった上で、「妻として絶対落ち着かせてみせるぞ」と張り切っていたんだな。
この『男』が潔く諦めるのか、「やり直してくれ」とジタバタするのか、今後の展開は読者の想像次第だね」
見習い
「次の29段は、高子姫のくだりで教えていただきましたから、30段ですね。これも短いなあ。


昔、『男』が、ごくごくたまにしか逢ってくれなかった女のもとへ、


あふことはたまの緒ばかりおもほえてつらき心の長く見ゆらむ


と歌を贈りました。


つれない女を恨んだ歌ですね。さっきの掛詞満載の歌より、よほどわかりやすいです」
斉信
「ほおぉ〜わかりやすい?それじゃあ、『たまの緒』の由来がわかるかい?」
見習い
「エート、装飾品の玉を貫き通している紐のことです。みっしりつなぐと玉と玉の距離が短くなるので、『短い逢瀬』の意味になると聞きました」
斉信
「ふっふっふ、ちょっと惜しい。通す紐は細く切れやすいことから、『細く切れやすく儚(はかな)く短い逢瀬』を指すんだ。だから、
”逢瀬の時間はこんなにも儚く短いというのに、なかなか逢ってくださらない御心、いつでもお恨みしているのですよ”
拒否もせず、積極的に受け入れもしない女に振り回される『男』の図だな。でもこの女のことが、死にそうなくらい好きなんだろうね」
見習い
「苦しくて死にそうなんて、どこにも書いてませんが」
斉信
「たまってのはね、玉=魂を掛けているんだ。つまり、『自分の命を賭けて』という状況で使われることが多い。だから、心の底から好きで好きで、そっけなくされてもなお好きで…という心情を訴えているんだよ。
31段は、人気者の『男』をねたむ女の話だ。


昔、『男』が、宮中のとある上臈女房の局の前を通りがかったとき、そこの女房の声が聞こえてきました。
「ふん、なによ。どうせ草の葉みたいな『男』でしょ。今は雑草みたいに目立っているだけよ。今後はどうなってゆくことかしらね」
女房が誰と話しているかはわかりませんが、明らかに『男』自身の悪口を誰かに言っているようです。
『男』は、すぐ外で聞いていますよ、と言わんばかりに、


罪もなき人をうけへば忘草おのが上にぞ生ふといふなる


そう声をかけました。
憎まれ口に、才気ある和歌で応酬された女房は、ばつが悪くなったことでしょうね。


中傷めいた噂話を本人に聞かれたうえに、『草の葉』を逆手にとった歌を即興で詠まれただろ?この女房、格好がつかなかっただろうね」
見習い
「御達(ごたち)というのは、キャリア組女房のことですよね。あと、主人のお気に入りの女房とか」
斉信
「そそ。『御達』と書かれていたら、そこら辺の一般女房とは一線を画す、別格女房だと思えばよろしい」
見習い
「人もうらやむキャリア組女房でも、中傷するんですね。でも、同性の悪口言う事はあっても、異性の悪口をあからさまに言いますかね?」
斉信
「自意識過剰な人間が、他人の才能をやっかむってことはありえるよ。『ああ、あの『男』のようになれたら…。気の利いた歌を詠んで、ビシバシ世渡り上手になれるのに』という本音の裏返しが、『よしや草葉よ、ならむさが見む』ってセリフなんだ。
”罪もない人をそうやって呪っているとね、そのうち忘草があなたの身体に生えてきて、誰からもかえりみられなくなりますよ”
草の葉に掛けて、忘れ草かあ。こういう気の利いた即興の歌を返せるあたりが、この上臈女房にやっかまれる一因なんだろうな。まあ、ねたんでいるうちは、実力的にも精神的にも『男』に勝てっこないってことだ」






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