斉信君のおいでませ伊勢物語    〜第八夜〜



見習い
「ひとつ積んでは〜いとしさと〜
ふたつ積んでは〜せつなさと〜
みっつ積んでは〜心強さとぉ〜♪」
斉信
「なぜ賽の河原の地蔵和賛を歌う。しかも微妙に歌詞が違うが」
見習い
「夫がどんな行動しても、ただ黙って待ってるだけの女の心情を歌ってみたんです。どーです、うつろな瞳で小石を積み上げては般若の心でバラバラと崩す、そんな女の情念がこの段の話から伝わってきませんか」
斉信「初々しい筒井筒の段がかい?あのさあ、君、少し頭がおかしくなってやしないか?


昔、田舎を回って行商する親を持つ、隣同士の家の男の子と女の子がいました。この子たちは毎日毎日、井戸のまわりで遊んでいたのですが、成長するに従って、お互い犬ころのようにじゃれ合っているのが恥ずかしくなり、今までのように遊ばなくなってしまいました。けれど男の子も女の子も、
「いつまでも一緒にいたい、だから結婚するならこの人と」
と決めていました。
お互い何もはっきりとした約束などしなかったのですが、心の底は一緒なのでした。ですから、年頃になった女の子に親が縁談を勧めても、女の子はずっと断り続けていたのです。
ある日、この男の子、
いえ、この子も年頃になったのですから、立派な男ですね。この『男』が女の子、こちらもすっかり女です…に、


筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに


と、久しぶりに便りを出しました。女は、


くらべこし振分髪(ふりわけがみ)も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき


と返し、これがきっかけとなって、より仲良くなった二人は、お互い望んでいたとおり、とうとう結婚できたのです。
そうして何年か経ち、妻のほうの親が亡くなってしまいました。若夫婦の生活の面倒は、娘側の親に全面的に頼っていた時代ですから、妻の親が亡くなって、たちまち生計が苦しくなってしまいました。『男』は、妻と一緒にこのままみじめな暮らしを強いられるよりはと、河内の国の高安というところに、羽振りの良い新しい女をこさえて通い始めたのです。
ところがもとの妻、つまり幼馴染の女
は、『男』の裏切りともとれる行為に怒るわけでもなく、何事もないふうに、新しい通い所へと送り出すので、『男』は首をかしげ、
「どうして平気なのだ。ハッもしや、彼女の方にも新しい男ができたのでは」
と疑ってしまい、出て行ったように見せて庭の植え込みの中に隠れ、家の中の様子を外から伺ってみました。
家の中の妻は丁寧にお化粧をして、身づくろいをきれいにしたあと、遠くをぼんやり見つめながら、


風吹けば沖つ白波たつた山夜半(よわ)にや君がひとりこゆらん


と静かにつぶやいています。
『男』は、こんなにも自分のことを考えてくれる妻がとても愛しくなり、それ以来、河内の女へ向く足もぱったりと止んだそうです。
ごくまれに、その河内の女のもとを訪ねてみれば、最初の頃こそ、少しでも『男』に魅力的に見てもらえるようにと、奥ゆかしく化粧などして取りつくろっていた女でしたが、今ではすっかり気を許してしまい、召使い任せではなく自分の手で食事のご飯を器に盛るなど、つつしみのないしぐさが見え隠れし、『男』は次第に嫌気がさして、もう本当に通わなくなってしまったのでした。
この河内の女が、


君があたり見つつを居(お)らん生駒山雲なかくしそ雨は降るとも


と言って外をながめているとき、『男』のほうからやっと「行こう」と言ってくれることもたまにありましたが、実際訪ねて来る事なぞありません。
河内の女は、


君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬ物の恋ひつつぞふる


そう嘆いていましたが、結局、『男』との縁は途絶えてしまったそうです。


この話のどこに、幼馴染の女の情念がこもっているんだ?」
見習い
「自分の夫が新しい、しかも自分より羽振りのよさそうな女のもとへ出かけるのに、普通ニコニコ送り出したりしませんよ。妻側の経済的な苦しさが原因で新しい女をこさえたんだから、幼馴染の妻のほうは文句言えないし。だから黙って耐えるしかなかったんですきっと。そうだそうだ、きっと演技に決まってますよ。
嫉妬を表面に出したら負けですもんね。夫の心はますます離れていきますもんね。夫が外の植え込みの陰でこっちをのぞいてるのわかってて、全身全霊で演技したんです。それで歌のあとにつぶやいたのが、さっきの『ひとつ積んでは愛しさと〜ふたつ積んではせつなさと〜みっつ積んでは心強さと〜♪』。
『男』は歌に感動して、その後の妻の唇の動きは読み取れなかったと」
斉信
「ほおぉ、たいした情念説だな。しかし見事
大ハズレだ!
だが君の意見をぶった斬ろうとしているわけじゃないぞ。
私も、『この幼なじみの女こそ大和撫子としてあらまほしき姿』なんて見方には疑問を持っているからね。
よし、最初から順を追ってゆこう。まず、親が地方に行商に出かける位、低い身分同士の男の子と女の子がいた、と。お互い淡い恋心を大事に大事にあたため、お年頃になってついに実を結びました。
ここまでは、めでたしめでたしなお話だ」
見習い
「低い身分ながら、『男』はエライですね、きちんと求婚の歌を贈ってますもんね」
斉信
「そうだね。相手を一人前の大人の女性として扱っているしね」
見習い
「妹(いも)ですよ妹。うぷぷぷ。どっからどうみてもプロポーズ」
斉信
「おいおい、『男』の勇気と決断をからかうんじゃない。
”子供の頭より高い井戸だったのに…あなたに逢わないうちに、私の背はとうにそれを越してしまいました”
ひかえめに、『逢いたい』と言ったわけだな。実に奥ゆかしい」
見習い
「いくらひかえめでも妹(いも)って言い切ってますし。女のほうはグラグラッとよろめいたでしょうね」
斉信
「見習い君が言うと、どうしてそんなに品がなくなるんだ。まあいい、初恋の君から手紙を受け取った女は、小鳥のように胸をふるわせて返事をしたためたわけだ。
”長さを比べたおかっぱ頭も、今ではすっかり長くなりました。でも、あなた以外の誰に髪上げを許しましょう”
女性の髪上げは人生の一大イベントだよ。当時は結婚相手が決まってから髪上げしてたんだ。だから、
”私の髪上げをしてくださるのは、あなただけと…”
ってかんじかな。いいねえ。初恋の甘酸っぱさが伝わって、こっちまでドキドキしてくるね」
見習い
「どうか少女から女にしてくださいって言ってるんですね」
斉信
「なんてひねくれた解釈だ。次回誰かと交代したくなってきた。
みんなひとつにまとめられてコロコロ遊びまわっていた頃を思い出さないかい?ああそうかそうか、君、加齢とともに無邪気な感情を忘れていったな?そういう不幸なヨゴレには、この段がいかに皆に愛されてきたかがわからないだろうとも。
ここまでなら、初恋を貫き通した二人の単なる幸せ物語だ。ところがここで若夫婦に不幸が訪れる。妻側の親が亡くなって、家計の事情が悪くなったんだ」
見習い
「結婚当初は妻側の家に同居して、舅姑が夫婦の後見するのが普通ですもんね。お金で買えないものはいっぱいあるけど、幸せになるためにはとりあえずお金が要るんです」
斉信
「この『男』も同じ考えだったかもしれないね。それでちょっと遠いが羽振りの良い女を見つけたんだな」
見習い
「浮気に対して文句のひとつも言いたいけれど、妻には文句の言えない事情もあるし。この局面でグチもなじりもしないのは、一般男性から見て理想の女性といえるんですか」
斉信
「気がつかないフリ、というのが一番気楽かな。あと、隠れてするスリルも浮気の醍醐味だね。知ってて『さあさあどうぞお気をつけてっ!ww』とバンザイで送り出されるのは、はっきり言って萎える」
見習い
「じゃあこの『男』も半分萎えたかも」
斉信
「そうだね。それで不安になって、庭に隠れて妻をハリコミだ」
見習い
「俺がいないのにずいぶん念入りに化粧なんぞして、やっぱり新しい男か?と、『男』の不安が頂点に達したとき、
”あの恐ろしい龍田山越えを、夜中にたった一人でなさるあなた。心配でたまりません…”
なんと浮気で出かけた夫の身を案じていますよ」
斉信
「龍田山は、昔から盗賊の出る物騒なところだからね。
誰が見ていなくてもきちんと身ぎれいにし、だらけたところのない女だと、『男』は改めて感動したんだろう」
見習い
「スッピンで、ゴロゴロしながらお菓子食べて待ってるより、身なりを整えしどけなく座って、本を読みながらため息のひとつもついた方が、男の胸にグッとくるということですか」
斉信
「まあ、男の勝手な願望かな。だからこそ、河内の女の打ち解けたしぐさがハナにつきだしたようだがね」
見習い
「しかしですね、この『男』と幼なじみの妻、貴族階級じゃない設定ですよね?地方へ行商に行くような階級の人でしょ。そんな下層階級の話なのに、女性が手づからしゃもじ使うの見て嫌気がさすって…お高くとまった身分の人の話ならともかく、ちょっと違和感ありますが」
斉信
「さあそこが実話じゃない架空の話の限界なんだな。
この話の作者は多分貴族階級で、行商人ふぜいの生活感覚を想像できなかったと見える。もうひとつ言うと、最初、住んでいるのは都なのに、途中から『龍田山を越えてなんて』と、住んでるところが大和になってしまっている。おまけに、河内の女のもとへ通うなんて、距離的に相当ムリがあるだろう?これはね、民話と和歌をつなげるための話を創作してくっつけたものなんだ。多少つじつまの合わない部分もあるのはそのためなんだよ」
見習い
「化粧して心配ってのも、その作者の願望なんですかね」
斉信
「どうだろう。作者にだらしない妻がいたのかもしれないね。
一途で愛らしい気質の女ってのを描いてみたかったんじゃないかな。
さて、次の24段は実に切ない話だ。


昔、たいそうな片田舎に『男』が住んでいました。宮仕えをすることになり、長年慣れ親しんだ女と別れて、京の都にのぼることになりました。
そして『男』はそのまま三年も音沙汰なく、女はほったらかしにされたまま。
女は『男』の「必ず戻るよ」の言葉を信じて待ち続けましたが、いい加減待ちくたびれて、気持ちが弱っていた頃に、熱心に求婚してくる男が現れました。
『男』がこの村から出て行ってちょうど三年めの今夜が、女と、女に求婚した男の結婚の夜でした。そんな三年目の夜、京の都に行ったきり音信不通だった『男』が、女のもとへ突然帰ってきたのです。
『男』は女の家の戸をほとほとと叩き、
「私だ。開けてもらえないか」
と言いました。
女は、そろそろ求婚した男がやってくる時刻だと思っていたのに、家の戸を叩いたのは、なんと三年ぶりのあの『男』。女は驚き、困惑します。あんなに待ち続けた『男』がすぐ外にいるというのに…
女は戸を開けることができないのでした。


あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕(にいまくら)すれ


女はそう詠んだ歌を戸の外にさし出したところ、


梓弓(あずさゆみ)ま弓槻弓(つきゆみ)年をへてわがせしがごとうるはしみせよ


そう『男』はつぶやいて、立ち去ろうとしたので、女は、


梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを


と、こらえきれずに叫びました。けれど『男』はそのまま、ふり返ることなく帰ってゆきました。
女は悲しくて悲しくて、家を飛び出して『男』のあとを追うように走りましたが、追いつく事ができず、とうとう、きれいな泉の湧いているところに倒れてしまったのでした。そして、そこにあった岩に、


あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる


と指の血で歌を書き付け、その場に死んでしまったのです。


いやはや何とも悲しい話だね」
見習い
「最後の歌は、辞世の句というものですね」
斉信
「馬鹿もの。絶唱だ絶唱。何の便りもよこさなかった『男』を三年間待ちわびて、ようやくあきらめようと思った矢先の出来事…というストーリだ」
見習い
「四年は長すぎますが二年は早いかな、ということで三年ですか」
斉信
「夫が消息不明になった場合、子持ちなら五年、子無しなら三年で正式に妻側から離婚できるのさ。法律にそう書いてある」
見習い
「なるほど。それが頭の片隅にあって三年としたんですね。熱心に言い寄る男が現れても、『どうかこの日まで返事を待ってください』と。三年経ったら、気持ちも新たに生まれ変わろうと。
ところが、三年めの今月今夜のこの月夜に、求婚された男よりも一足早く、待ち続けた『男』が家の戸を叩きました」
斉信
「あなたならどっち!?という究極の判断だな。愛されている実感のある新しい恋人か、音沙汰なかった昔懐かしい恋人か」
見習い
「女としては、心中混乱の極みですね。その素直な心情が、
”三年も待ち続け、待ちくたびれて、よりによってまさに今宵、私は新しい恋人と結婚するのです…”
ううっ、『ただ〜こそ』の使い方に、せきあげる感情が伝わってきてたまりません」
斉信
「ところが『男』の返事は意外にドライだ。
”そうか。あんな事やこんな事のあった私たちだが、新しい恋人とも同じように仲良くしてくれ。…この私としたようにな”
この『男』、女を責めてはいないが、な〜んか皮肉ってる気もするな。梓の弓だの檀(まゆみ)の弓だの槻(つき)の弓だの、どの弓もたいして違わん、だから私も新しい恋人とやらも、君にとっては特に違いなどないだろう?ってさ」
見習い
「イケズですねえ。聞きようによっては負け犬の捨てゼリフにも取れますし。それに比べて、女の返事の切ない事ったら。
”あなたがどう思おうが、この私の気持ちはずっとあなただけのものでしたのに”
音信不通のまま三年ぶりに戻ってきて、挙げ句の果てに女にここまで言わせておいて、ひと悶着もなしに帰って行く『男』。一体何しに来たんでしょうね」
斉信「うーん、まあ、『男』も法律で定められた期限を心に留めていたんだろうな。ここで義務的に戻ってきた…と言ったら、この物語が一気にひからびてしまうのだが」
見習い
「その逆も言えますよ。三年ほったらかしにして、俺を選べ!なんて言う資格、今さらないよなあって。ここはぐっとこみ上げるものを飲み込んで、男らしく風のように去っていった、と。
ところがけなげにも女は、『男』を追いかけて家を飛び出してしまいましたよ」
斉信
「もとの『男』への愛が変わっていなかったんだねえ。気の毒に。
”こんなに好きなのに…見捨てられたまま消え果ててゆくなんて”
悲しくてたまらないね、こんな死に方は」
見習い
「まさか、こんな悲恋が実話…」
斉信
「どうだろうね、万葉集の歌に少し手を加えて作った歌物語なんだけど。技巧のないシンプルな和歌だから、かえって素朴さや人情が直接伝わってきて、心が打ちのめされるね。
重い話が続いたところで、次は超短編の25段だ。


昔、『男』がいました。この『男』、なびくともなびかないともはっきり示さない、とても風流な女にすっかり魅了されているのでした。
その『男』がある日女に贈った歌は、


秋の野に笹わけし朝の袖よりも逢はでぬる夜ぞひぢまさりける


その美しく魅力的な女が返した歌は、


みるめなきわがみをうらと知らねばやかれなで海人(あま)の足たゆくくる


という、余裕たっぷりなものでした。


これはね、古今集に載っている業平と小野小町の和歌を、物語風に仕立てたものだよ。当代きってのカリスマ貴公子と、絶世の美女の知的贈答…現実の二人は全くの無関係だけどね。
『もしも二人が恋愛関係だったら、こんな会話をしてたかも!』
なんて、作者はキャーキャーはしゃぎながら、この短編をつくったんじゃないかな。
『朝露に濡れる笹野原を歩くより、あなたに逢えない独り寝をかみしめるほうが、私の袖が濡れまさる…』
『何の見る目もないこの私なのに、あなたはちっともご存知ないのね。くすくす。諦めもせず、ホントに真面目にお通い下さって…』
ぞっこん入れこんで求愛している『男』に対して、女は完全に遊びだよなあ。これを見てると、深草少将を思い出すね」
見習い
「知的で風流がわかる絶世の美女に、身も心も振り回されてみたいってのが、できる男の心理なんですか」
斉信
「うん、そうだな。ひざまずいて下僕になっても…って、おいおい何てこと言わせる。次行くぞ、26段だ。


昔、ある『男』が、五条辺りのお屋敷に身を寄せていた女を妻に迎えたいと願っていたのに、とうとうできなくなってしまったと嘆いていました。
その『男』が誰かから手紙をもらい、その返事に、


思ほえず袖のみなとのさわぐかなもろこし船のよりしばかりに


とぼやいたそうですよ。


五条わたりなりける女とは、高子姫のことだな。最初に高子姫との一連の話をしたが、この段が抜けてた。すまない」
見習い
「あっおかまいなく。ところでこの歌、何のことだかさっぱりわかりません」
斉信
「どこから手をつけていいのかわからないのか?他力本願なヤツには教えないぞ。
この歌、みなとが騒ぐだの、もろこし船だの、ずいぶん大げさな表現使っているだろう?でも『思ほえず』…思いがけなく、だ」
見習い
「そんなつもりじゃなかったのに、大騒ぎになっちゃって〜みたいな意味なんですか」
斉信
「そそ。そういうふうにつかめればよろしい。
”小っちゃな港に外国の大船が寄港したような騒ぎだったでしょう?港が小さいから波が大きすぎて見えたんですよ。結局、波の大きさに実質の伴わない、空騒ぎだったんです。
騒ぎの大きさに、私自身がかえってびっくりして、涙が止まらなかっただけなんです”
高子姫とのすったもんだの出来事を、誰かに慰められたのかもしれない。そこで言い訳というか、ま、空元気(からげんき)な返事をしたんだな。俺はヘコんでませんよって。あ、でもこの歌を業平本人が詠んだわけじゃないぞ。あくまで架空の物語だということを忘れないようにしてくれたまえよ」
見習い
「素朴でシンプルな話と、知的遊戯性満載の話、やんごとない身分の方ってどちらがお好きなんですか」
斉信
「もちろんどちらも大好物さ。ただし、『しつこくなくて品が良い』←これが絶対条件だね。伊勢物語はまさにそれにぴったりの逸品なのさ。この後も格調高い短編がキラ星のごとく続く。テンポよく行こう」






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