斎信君のおいでませ伊勢物語    〜第六夜〜



見習い
「お、16段の昔男は実名入りですよ。この紀有常という人物が主人公なんですね」
斎信
「まあそうかな。紀有常という男は業平の舅(しゅうと)で、業平はこの有常の娘と結婚している。有常はね、(藤原)冬嗣公の妹君を妻に迎えて、二人の間にできた娘を業平が妻に迎えたんだ。冬嗣公は文徳帝の御祖父で、有常の妹は文徳帝の妃。静子という姫なんだけどね。
しかし、有常の妹が生みまいらせた文徳帝の皇子・惟喬(これたか)親王は、門地が低いために帝になれず。あ、門地が低いとは言っても、良房公が文徳帝妃に押し込んだ娘・明子腹の皇子と比べてって事だ。圧倒的な権勢には勝てなかったのさ。


むかし、紀の有常という人がいました。仁明・文徳・清和と、三代の帝にお仕えした、いわば宮中の御意見番的な存在でしたが、晩年になって時勢も変わり、傍流となってしまいました。
権力の切れ目は縁の切れ目。かつて時めいていた有常はすっかり落ち目となって、ごく平凡な貴族より生活が苦しくなってしまったのです。
清廉潔白な人柄で、何より上品で優雅な事を好む風流人でしたが、少々俗世間に疎(うと)いと言いますか、早い話が金銭感覚がまるでなく、時めいていた頃と同じ風雅な暮らしを続けるうちに、暮らしむきがすっかり悪くなってしまったのでした。
困ったのは長年連れ添った北の方。貧しくなったのも自覚できない夫に愛想を尽かし、夫婦仲は疎遠になり、とうとうある日、
「尼になります。同じく尼になっている姉のもとで暮らしますから」
と出家宣言してしまいました。
有常には、引き止めるほどの愛情もありませんでしたが、
「これっきりですわ。さようなら」
と言って出てゆく妻に、長年連れ添った者として色々感慨深いものがありましたので、何か餞別(せんべつ)の贈り物でも、と思いましたが、屋敷の中には、すでに貯(たくわ)えは何にもなかったのでした。
困り果てた有常は、日頃親しくしている親友のもとに手紙を出します。


『かくかくしかじか。こんなみっともないザマになってしまいました。妻とはこれで最後というのに、風流な贈り物はおろか、尼服のひとつさえ渡してやれません。


手を折りてあひ見し事をかぞふればとをといひつつ四つは経にけり 』


その手紙を受け取った親友は、本当に気の毒に思い、尼としての衣裳はもとより、こまごまとした生活に必要な夜具まで用意して、有常に送りました。それに付けた手紙に、


年だにもとをとて四つは経にけるをいくたび君をたのみ来ぬらむ


と書きましたところ、着物と手紙を受け取った有常は喜んで、


これやこのあまの羽衣むべしこそ君がみけしとたてまつりけれ


そう御礼を言いました。
けれど、よほどうれしかったのでしょうか、さらに、


秋や来る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける


と親友に詠んだのでした。


金の切れ目はすべての切れ目という話を、実に美しい物語に仕立て上げているね」
見習い
「最初に有常が詠んだ歌をみるとですね、
”連れ添った年月を指折り数えてみると、おお、なんと十が四つぶんになるではないか…”
数えてみれば四十年の年月。それだけ長く一緒だった夫婦でも、金銭に常識のない夫にガマンできなかったんですか」
斎信
「有常の妻は、冬嗣公の妹君だからなあ。当時の権力者の妹となれば、かなりぜいたくしてて、わがままも相当許されただろうしね。常にお金の心配しなきゃならない生活なんて、ストレスたまりまくりだったかもな。おまけにかんじんの夫は生活が苦しくなっても無頓着。あ、これは想像だけど、業平の妻ってな、ぜいたくに慣れた母君とそれを抑える気持すらない父君(有常)を生まれたときから見続けて、けっこうワガママで自己中なお嬢さまに成長しちゃったんじゃないかな。想像だよ」
見習い
「わははは。そんな姫を妻にして、業平自身、結婚生活に満足してなかったりして。その不満が、他の女性たちへのアプローチの原動力になっていったとか」
斎信
「だろ?意外と、伊勢物語の陰の功労者は、この業平の妻かもしれないぞ。古今集にね、この妻の歌が載っているんだよ。昼はそばにいてくれるのに、夜になるとどこかへ行っちゃう!ってボヤいている歌。妻に、業平を引き止める魅力がなかったおかげで、この美しい、色好みのお手本のような歌物語ができたのかもしれないな。
ともかく、ようやく生活苦に気づいた有常に、親友は、この親友役が業平なんだな。この親友が暖かい援助の手を差しのべるわけさ。
”四十年もですか…共に過ごした長い年月、あなたの妻は何度あなたを頼りにしてきたことでしょうね”
有常への思いやりあふれる歌だろう?途方に暮れた有常は、この歌と贈り物にどれだけ救われただろうね。感謝してもし切れない思いが、返事に表れているよ。この歌で、情けない思いに打ちひしがれていた有常は、立ち直れたに違いない。


次の17段は短いけど、おしゃれな作品だな」


何年も訪ねて来なかった人が、桜の花が真っ盛りの時期にふいに桜を見にやってきましたので、その家の主人が歌を詠みかけました。


あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり


訪問客の返事は、


けふ来ずはあすは雪とぞふりなまし消えずはありとも花と見まし


見習い
「この段は、『むかし〜』から始まらないんですね。それに、何年も訪ねて来ないと言いながら、歌では『年にまれなる』…年にちょっとしか訪ねて来ないって言ってますよ?」
斎信
「原本を写しているうちに、『むかし』を書き忘れただけだろう。『年ごろ』は『月ごろ』の写し間違いだ。正しくは、『何ヶ月も訪ねて来なかった人が』だと思う。こまかいこと言うなよ。平安文化は朧(おぼろ)の文化。ニュアンスはじゅうぶん伝わるだろう?
ともかく、めったに行かない屋敷に、久方ぶりに『男』が出向いて行ったわけだ。それを会話調にするとだね、
『やあ久しぶり。桜に誘われてやって来たよ。元気?』
『おやめずらしい。つれなく散ってゆく桜も、君が来るのをけなげに待っていたとみえる。めったに来ない君を、盛りの姿で待ち続けていたんだからねえ』
『ははは、そうだね。明日来たって興ざめになりそうだからね。一晩で吹雪のように散ってしまったら、木のほうは見るかげもなくなるだろ?』
それから桜の下で酒盛りが始まる、と。定番だな」
見習い
「は?これって、男同士の会話なんですか?確かに、気の置けない友人同士の、軽口のたたきあいみたいですが」
斎信
「あ?あ、あああごめん。つい変な妄想が」
見習い
「行成さまと私を間違えましたね( ̄m ̄)」
斎信
「人の心に土足で入るよーな憶測するんじゃないっ。だいたい君も謙虚に考えてみろっ。一般庶民代表の見習い君を前にして、美しくもたおやかな女主人が想像できるもんかっ。
次の18段はな、君みたいな女が出てくるぞ、よかったなっ」


むかし、中途半端に風流ぶっていて、世の中をろくに知らない女がいました。『男』はその女の近くに住んでいました。女は、そこそこに歌を詠めるつもりでいましたので、『男』の風流さを試してやろうと思い、ある日、盛りを過ぎて色あせた白菊に歌を添え、『男』のもとに送りました。


紅ににほふはいづら白雪の枝もとををに降るかとも見ゆ


『男』の方は、女のよこした歌の裏読みなぞすぐにわかりましたが、知らないふりで返事をしました。


紅ににほふがうへの白菊は折りける人の袖かとぞ見ゆ


見習い
「なんか、かわされたっぽい返事ですよこれ。よく似た歌にわざと仕立て上げて、ちょっとイケズな感じがします」
斎信
「そりゃあそうさ。それが狙いなんだから」
見習い
「ここには『菊』としか書いてないのに、どうして色は白とわかるんでしょう。和歌の方には『紅に云々』とありますが」
斎信
「この時代の菊は、白と黄なんだ。それに和歌の途中に『白雪』とあるだろう?その白菊が、霜に当たると花びらのふちの方が、徐々にくすんだ紅色に変化してゆく。このうつろい感が、私たちの無情観にぴったりなんだ。咲き誇る純白の菊もいいが、紅色にくすんだ白菊も情緒たっぷりだろう?盛りを過ぎたて色あせた菊のほうが、男女の心のうつろいやすさを感じさせて、私は好きだな。だから、この女も、
”紅色に美しく色移りした白菊はどこなのかしら?私のところからは、たわわに積もった白雪のようにまっ白な菊しか見えませんが?”
表向きはそう詠みかけておいて、裏では、
”色好みにかけては有名なお方と聞いておりますが、私には何の色気も感じられませんわ”
と積極的に誘ってるのさ。「恋のお手並み拝見したいわ!」ってね。ところが、
”白菊が、あなたの袖の紅色に映えて美しいですね。良い衣裳をお召しですよ”
そうかわされたわけだ。菊襲(きくがさね)の色目にでも例えられたんだろう。うまいよなあ」
見習い
「やっぱりイケズ…『対象外の女って言ってるのに気づけよ』そう言われているみたいです」
斎信
「これは驚いた、よくわかったね。まさにその通りだよ。ま、百戦錬磨の『男』に挑戦するには百年早いってことだな」
見習い
「次の19段は、社内恋愛を清算した後の話ですね。


むかし、高貴なる御方のもとに出仕していた『男』が、やはり同じ御方にお仕えしていた上搶蘭[と恋仲になりました。ところが、ふとしたことから二人は別れてしまいました。お仕えしている御方が同じなので、二人は別れた後も近くで働いているのですが、女の方は御簾の中、『男』の方は外。『男』の方から中は見えずとも、女の方からは『男』の姿が見えるため、いつまでたっても女は『男』をあきらめ切れません。『男』はとっくに女への関心がなくなったというのに・・・。思い余った女は、


天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから


と詠みました。『男』の返事は、


天雲のよそにのみしてふることはわがゐる山の風はやみなり


というものでした。『男』が別れたわけは、通う男が他にもいると噂される女のことが、許せなかったからでしょうかね。


社内恋愛のカップルが別れたあとって、いつの世もやっかいなものなんですね」
斎信
「社内恋愛どころか、もうひとつ業の深い職場内恋愛だよ。二人とも、同じ女主人にお仕えしているわけなんだから。
どうやら女の方は、納得ずくで別れたわけじゃなさそうだね。別れた後はサバサバして勤務に励んでいる『男』と、それを御簾の奥で見ている女。姿を毎日見せられては、忘れようにも忘れられないってとこだろうな。
”あなたは空の雲のようによそよそしくなってゆきますのね。そうは言っても、私にはいつも姿が見えますのに…”
一方、女にすっかり興味を無くした『男』はといえば、
”私の心が、空の雲のように遠く離れてしまったのは、あなたの周りで吹く激しい山風が、私を近づけさせないからですよ”
と答えているね。やまない山の風とは、この場合、暗に『他の男』を意味している。自分以外の情人を持つ女が許せなかったのかな」
見習い
「この話は業平自身の作じゃないですよねきっと!自分の色好みはOKでも、好きな女の浮気は許せないなんて、あまりにもムシが良すぎますもんね!」
斎信
「はっはっは。けど、それが一般成人男子の本音なんだな。あ、でも、古今集にこのふたつの和歌が載っているんだ。紀有常の出てくる段で説明しただろう?昼はそばにいてくれるのに夜はいないって文句言ってる妻の歌。その歌とほぼ一緒の歌なんだよ、この段は。
古今集に載っているほうを紹介するとだ、


ちょっとした不満から、昼だけ顔を出して、夜はどこかへ行くということがしばらく続いた夫・業平へ送った妻の歌


天雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものかは
(どうしてそんなによそよそしいの?一応目の届く範囲には居てくれるけど)


夫の返事は、


ゆきかえりそらにのみしてふることはわがゐる山の風はやみなり
(どうしてよそよそしいかって?家の中にやかましく騒ぐ人がいるからさ)


こんな感じかな。この古今集の方をちょっとアレンジして、女に関心のなくなった男と、まだ未練のある女の話に仕立てた直しものが、この十九段なんだろう」
見習い
「ちょっとした夫婦の不満と言えば、やっぱ夫の色好みですか」
斎信
「傍(はた)で見ている分には、話題に尽きない業平でも、共に生活していく分にはイライラもたまるだろうね。妻の方は、安定した穏やかな生活を望んでるんだろうし。それで文句を言えば、雅びでイケズな歌でかわされる、と。まあ、業平の横に並ぶには平凡すぎた妻のおかげで、伊勢物語ができたと思えば、この妻は偉大なる影の功労者だと言えるね」
見習い
「今回の話で、どうして業平が
惟喬親王グループ側で、どうして没落組の負け組だったのかがわかった気がします。妻の実家つながりだったんですね」
斎信
「話のスジとしては、あくまで単なる『男』だよ。話を19段に戻そうか。女の二股が許せない『男』がいた。そして、別れた後はきれいさっぱり、女に対して関心なくなったわけだ」
見習い
「もし女が、もう一人の男と別れたら、『男』は戻って来ますかね」
斎信
「一度信頼や関心を失ったら、元に戻るのは難しいね。きっとこの『男』は真面目で誠実なんだろう。そして相手の女にも誠実さを求めた。裏切られた今、心の整理を終えた『男』をふり向かせるのはムリだろう」
見習い
「もし『男』の方にも、職場内で毎日女の姿が見られたとしたら」
斎信
「うーんそれはつらい。それはヘビの生殺しだな。ま、女の方は、毎日その気持を噛みしめているわけだけどね。なぐさめてくれる他の男がいるんだから、そのうち気は紛れるさ。


次の段は、定番にこだわって、男を落胆させた女の話だよ」






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