斎信君のおいでませ伊勢物語    〜第五夜〜



見習い
「ところで基本的なこと聞いてもいいですか。『昔ありける男』を業平と決め打ちしてますけど、このまま実在の人物設定でいっちゃっていいんですかね」
斎信
「そうだなあ。そろそろ苦しくなり始めるな」
見習い
「そもそも、『男』とだけしか書かれてないのに、業平だというのは周知の事実ですよね。どうしてなんでしょう。まさか、ゆりかごから墓場の女まで守備範囲の広い男と言えば、彼しかいないって固定観念が既にできていた、とか」
斎信
「こらこら。墓場の女は当たらずとも遠からずだけど、乳児相手は言い過ぎだ。恋の歌物語だろう?官僚として優秀な貴族じゃ主人公にならないんだよ。風流を解してふところ深い、恋物語の絶対王者が必要なんだ。在原業平は古今集・恋の歌の巻ではピカイチで、誰もマネできない独特の世界観を詠み上げる人物だ。だから、この物語の読み手が『男』の肉付けを思うとき、やはり美丈夫業平を想像してしまうんじゃないかな」
見習い
「そうですよね。あらゆる恋愛のシチュエーションにうっとりするとき、相手の貴公子はやっぱ古今集で恋の歌をつむぐ業平的ルックスのほうが楽しいに決まってます」
斎信
「そそ。別に業平が物語の出来事すべてを経験したわけじゃない。他人の歌も入ってる。ありもしない架空の話も然り。地方に伝わる民話も手を加えられて入ってる。けれどそれらを男と女の逸話に仕立て上げたとき、男君の容貌は恋の荒業師伝道師業平がいいよなあ。読み手が女性だったら皆そうだろう?」
見習い
「それじゃあ今後はこの主人公を何て呼びましょうか。こんな記号みたいな名無しの男Aってのは、ちょっとどうかと」
斎信
「名無しだけど、容貌はあくまで業平仕様だからな。やっぱ二重かぎカッコでいいよ。『男』←これだ。このカッコがあるだけで、その他大勢の男から、固有名詞の『男』に格上げされたね。
キャラクター性が確立されたのがわかるかい?
そういうことで、今後は『男』。これで通すよ」


むかし、『ある男』が京の都を離れ、武蔵の国をあてもなくさまよっていたところ、ちょっとした縁で地元の娘と知り合いました。
娘の父は「相手は都の貴族さまだ、遊び半分ですぐに飽きて捨てられるぞ」と言い、娘の母は「こんな田舎なのに、願ってもない良縁」と大喜び。娘の母というのは藤原氏の出身だったため、雅びな暮らしをしていた頃がなかなか忘れられないのでした。
娘に代わって、母は『男』に張り切って歌を送ります。


みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる


母の代作であることが丸わかりの歌に少しがっかりした『男』の返事は、


わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れん


でした。都から離れてもやまない好き心ですね。


見習い
「娘の個性がぜんぜん出てないですよコレ」
斎信
「プライド高い、母の方がメインみたいだな。あたくしこれでも京にいた頃はブイブイいわせてましてよ!わが娘にも、貴公子に言い寄られるお姫さま気分を味わわせてあげなきゃ!ってかんじかな。そこへいくと、お父さんのほうが堅実だ」
見習い
「どうしてお母さんの代作だってバレバレなんですか」
斎信
「たのむの雁っていうのは、この場合娘のことだよ。その雁が云々という歌だろう?
”田んぼの雁も、ひたすらあなたのことを思って鳴いていますわ”
これじゃあ、娘本人の立場になった歌じゃない。娘の売り込みに必死になってる母の図だ。代作になってないね。お母さん、ずいぶん気合い入れすぎて、本人になりきるのをうっかり忘れたようだ。ひさしぶりに手紙を交わすという、雅びな行為に我を忘れてしまったんだろう」
見習い
「受け取った『男』の方は、笑うしかないですねー。別に、おしゃれな恋愛のやりとりを期待してたわけじゃないでしょうけど」
斎信
「返しの歌も、社交辞令で普通に流したカンジだ。
”私を頼る雁のことを、決して忘れませんよ”
この『男』の良い所は、ここで『娘本人の歌を寄越さんかいっ』とごちゃごちゃ催促してないところだな。深入りすると、娘の親を『あら積極的ね。見込みあるかも』と喜ばせてしまうからね。
ま、要は期待してなかったってことだろう。
次の11段は短いよ。詞書(ことばがき)がストーリーみたいなものだ」


むかし、『男』が東国へ下っていったが、旅の途中で友人に送った手紙には、


忘るなよほどは雲ゐになりぬとも空ゆく月のめぐり逢うまで


とあったそうな。


見習い
「この段の和歌、聞くところによると業平じゃないらしいですね」
斎信
「この段は本人作、この段は誰それの歌、と白黒はっきりつけたがるのは後代の人間の悪いクセだぞ。『男』にかかわりのある人や『男』を慕う人々が、付け加えていったんだ。著作権も何もない時代だからそれはそれで受け入れなきゃね。
次の12段は、春日野に伝わる古歌を、武蔵野の恋の歌に改作したものだよ」


むかし、『ある男』がとある娘を見初め、親のもとから盗んで逃げたのです。
一緒に武蔵の国に逃げようとしましたが、『男』は途中で国守に追われて捕らえられてしまいました。
『男』は娘を草むらに隠して逃げました。が、追っ手がやってきて、「この草むらのどこかに隠れているぞ」と叫んで火をつけようとします。娘は、
「どうしよう、困ったわ。このままでは焼け死んでしまう。


武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり 」


と歌を詠みました。
娘の泣き声が聞こえたため、追っ手の者たちは娘を見つけ、すでに捕らえられた『男』とともに、親のもとへ連れ戻されてしまったのでした。


見習い
「若草のつま
若い娘を指す言葉かと思ってましたが、ここでは連れ出した男のことを指すんですね。ああややこしい」
斎信
「互いの伴侶を呼ぶ時の呼び名だよ、『つま』というのは。この『男』、ちゃんとした普通の家の娘を、親に内緒で連れ出したんだな。
娘が歌の中で、男のことを『若草のつま』と言っているということは、イヤがる娘を無理矢理さらったんじゃなくて、相思相愛で覚悟の上の駆け落ちだったのさ」
見習い
「それで激怒した親が、国守に訴えた、と。追っ手につかまって、引っ立てられていくのに時間はかからなかったでしょうね」
斎信
「そうだね。どろぼうを捕まえるのに容赦はないだろうしね」
見習い
「でも、この歌を見ると、娘は『野原の中に彼もいるわ』と思っているようですよ。なのに、前文ですでに男は捕まっているし。追っ手は野原に火をつけて、二人をいぶりだそうとしているし。なんだかよくわからない話ですよこれ」
斎信
「うん。よく見ると微妙に矛盾してるだろう?
娘の歌っていうのはね、東国に伝わる民謡なんだよ。早春の野原で去年の枯れ草を焼く火、いわゆる野焼きだ、その野焼きを見ながら遊ぶ古歌というのが伝わっている。その歌をちょっと改作して、春日の里の草むらの中で恋をささやく男女、という歌が古今集にあるんだ。それをまたちょこっといじって、春日野を武蔵野にかえて、歌に合った話をつくった、それがこの12段なのさ。改作に改作をかさねたから、ストーリーに矛盾が生じたんだろう」
見習い
「東国の素朴な民謡も、大宮人の手にかかれば美しい悲恋に一発変換なんですね」
斎信
「ははは。次の13段は、都に置いてきた妻と現地妻のはざまで揺れる、男心の話だよ」


むかし、京からはるばる東国へ下り、武蔵国に滞在している『男』がいました。『男』は京に妻を置いたままでした。ある日、『男』はその妻のもとへ手紙を送ります。表書きには、『むさしあぶみ』とあり、手紙の内容は、
『言うのも恥ずかしいことだが、正直に言わないと、そなたに隠し立てしているようで…すまない』
と書かれています。それ以降、『男』からは何の音沙汰もなくなってしまいました。むさしあぶみというのは、馬具の一つで、鞍(くら)に取り付け、乗る人の左右の足を踏みかけておくものです。早い話が、武蔵の国で愛人ができたと暗に白状した手紙だったのです。馬上の私の左足には妻、右足には愛人…そうほのめかした手紙でした。
しばらくして、『男』のもとに京の妻から手紙がきました。


武蔵鐙(あぶみ)さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさし


それを見た『男』は、


とへばいふとはねば恨む武蔵鐙かかる折にや人は死ぬらむ


と、やるせない気持になったそうです。


見習い
「うわははは。気をつかいながら浮気を白状した旦那サンと、『知らんがな』と心中をぼやく奥さんみたい」
斎信
「何言ってる。これは単なる痴話ゲンカの歌じゃないぞ。まず、『男』がむさしあぶみという言葉を使って、『京にそなた、武蔵に愛人』と、現地妻の存在を白状してきただろう?そのあとの妻からの返事の中には、『さすが』という鐙(あぶみ)の縁語が掛けてある。
『さすが=さすがね』は、あぶみに取り付ける金具のひとつで、この金具と、『そうは言ってもあなたのことが気になって』という心情をうまい具合に引っかけているよ。その上で、浮気した『男』を非難もせず放置もせず。教養もあって、頭の回転も速い妻だね。こういう気のきいた返しのできる女とは、なかなか離れられないんだよなあ」
見習い
「単身赴任する殿方というのは、やっぱ現地で女をつくるものなんですか」
斎信「そうだなあ。あ、でも浮気とかそんなんじゃないよ…多分。妻が都に残る場合、国守なんかは現地で身の回りの世話をする女が必要だし、現地に美しい女がいたなら、やっぱ国守の夜の伽役に召されたりする。国守は県知事みたいなもので、美女が国守の寵愛を受けたら、女の一族は何かとうまい汁を吸えるからね。京の妻も、その辺はとやかく言うもんじゃないと心得ているよ。現地女って、身分が妻より格段に下だからね。身分が自分より格下なら、意外と平気なのさ、この時代の女は」
見習い
「この場合の『男』はそんな立場じゃないから、まあ純粋にさみしさを埋めてくれる女が欲しかったんですね。慰み女ができたはいいが、京で留守を守ってくれている妻に申しわけない、と。
それで、ほのめかすような手紙を送ったと」
斎信
「同じ男の立場として、この『男』の態度は良心的だなあと感心するよ。正直に打ち明けて、誠意を見せたわけだからね」
見習い
「ところが妻の手紙の歌は、
”便りのないのもつらいし、かといって便りを見れば、あなたの日常に女のかげが見え隠れしてつらい。これが私の素直な本音…”
う〜ん、これはこれで、取り繕うことない心情を詠んでいて、夫の誠意に応えていると思います」
斎信
「しかし、『男』の立場としては、適度に取り繕って欲しかったかもしれないぞ。何といっても遠距離恋愛みたいなものだろう?態度が見えないぶん、文字で安心したいのさ。自分の欲しかった言葉を書いてくれなかった妻に、ちと逆ギレになったようだ。
”手紙を出したら出したで文句を言われ、出さなけりゃつらいと恨まれ、あぶみの左右、どちらを選べばいいのかい?”
こういうとき、遠距離恋愛はつらいよなあ。逢って一晩ともに過ごせば、誤解もわだかまりもすぐ解けるのにさ。


さて次は14段だ。東下りも段を重ねるにしたがって、女もどんどん田舎臭くなっていくぞ。


むかし、『ある男』が武蔵の国のはるか奥、むつの国に出かけました。
特に目的もない旅でしたが、たどり着いた土地で、都の見慣れない貴族を珍しく感じたのでしょうか、『その男』は、そこに住むひとりの女にものすごく惚れられてしまいました。


なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり


こんな田舎じみた言い回しの歌まで贈られた『男』の方はうんざりしましたが、雅びなるものを知らない女も素朴でいいじゃないか、と多少いじらしく思われましたので、夜更けに女のもとへ行って、一晩過ごしました。
夜が明けるにはまだ時間があるにもかかわらず、いろんな意味で女に落胆した『その男』は早々に帰ってしまったので、女は地団駄踏んで、


夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる


と歌を寄越しましたので、『男』は、
「都へ戻ることにしましたから。


栗原のあれはの松の人ならば都のつとにいざといはましを 」


と返したところ、女はとても喜んで、
「あの方ったら、こんなに私のことを好いてくれてるわ」
そう満足していたそうです。


『歌さえぞ』ひなびたりける…歌だけでなく何もかもが野暮ったい女。こんなタイプの女が近づいてきて、この『男』は危機感持ったろうなー。私自身も気がつかないうちにどんどん野暮ったくなったらどうしよう!ってさ。環境が人を作るって言うし、すっかり田舎が染み付かないうちに京に戻ろうと、決心してもおかしくないよな」
見習い
「その『男』ひとすじの純情が伝わる良い歌じゃないですか。都のイケメンに臆することなくアタックしてるところは、とても好感持てますよ」
斎信
「待てよ、そうは言うけど、
”中途半端に恋に悩むくらいなら、夫婦仲良しのお蚕子さんのようになりたいもんだわ。命短し恋せよ乙女っていうもんね!”
だぞ。想像してみてくれよ、仲良く絡んだ虫夫婦。おまけに、一夜を共にした翌朝の手紙ときたら、
”バカ鶏め、あんな早くに鳴きやがって。夜が明けたら水桶の中に突っ込んでやる!”
帰りぎわの『男』の袖を引っ張るような勢いだろ。一番鶏のせいで男が早く帰りすぎたと思い込んでるところが哀しいね」
見習い
「後朝の情緒はまったくなさそうですけど、一途に思う情熱は伝わってきますよ。それじゃダメですか」
斎信
「生まれてこの方、空気を吸うように『風流』を吸って生きてきた大宮人が、その美的条件に叶わない恋を楽しむわけがない。ここら辺りから、本気で郷愁に誘われ始めたんじゃないかな、と私は睨んでるんだけどね。一刻も早く雅(みやび)の空気に触れないと、恋のカリスマ貴公子としての名を取り戻せなくなる!ってさ。最後の歌なんて、適当にあしらってるだろう?
”有名な栗原の松のようなあなたなのですから、この土地にずっと住まねばならないのでしょう?都に連れて帰れないのが残念ですね”
表向きの意味しか読み取れない単純思考の田舎女は、この歌をもらってさぞかし喜んだだろうさ。裏の意味はね、
君にはこの松のような魅力は全然ないから、都に連れて行く気なんてあるわけないだろう?
まあ、裏読みできない方が、幸せな場合もあるってことだ」
見習い
「うわーイケズですね!この歌。こうして教えてもらうと、都人の底意地の悪さが前面に出てますよ」
斎信
「相手の女がキズついてないんだから、まあ良しとしたまえ。
15段めは、東下り最後の段だよ。青春の蹉跌(さてつ)から、知らない土地をさすらった旅も、ようやく最終段だ。


むかし『ある男』が、むつの国でごく普通の人の妻のもとに通っていたのですが、その妻は、こんな辺鄙な土地には不釣合いなほど風情のある女でしたので、『男』は不思議に思って、


しのぶ山忍びて通ふ道もがな人の心のおくも見るべく


と問いかけたのでした。
受け取った女は、そんな風に思ってくれる『男』の気持をうれしく思いましたが、うれしいと感じた素直な気持を、『浅はかで、すぐよろこぶ女』などとさげすまれたらいやだわと、怖れて返事もできないのでした。


余計なお世話だが、ずいぶん不完全燃焼な終わり方だよな。桑子の女の段が道化じみた話だから、まあまあ雅び感のある話で締めくくろうとしたのかな」
見習い
「みちのくの女も純情熱血一直線ばかりじゃないんですね。ストレートな女と自信のない女。自分の感情ばかり押し付ける女と相手の思惑ばかり気にして何も言えない女となら、どっちの方がお好みなんですかね、都の貴公子としては」
斎信
「身勝手かもしれないが、男のツボにハマる反応を魅せてくれる女だね。この女はなかなか魅力あるらしいけど、『男』の、
”こんな平凡な夫がいるとはとても思えない。あなたの真実が知りたいものだ。心の中に忍び込める、秘密の道があればいいのだが…”
という問いかけに、胸のうちでいろいろ逡巡したはいいけど、気のきいた返事ができない女じゃ、男もため息つくしかないだろう。やはり都でないと、風流な恋愛の機微(きび)は楽しめないんだと、限界を感じただろうね」
見習い
「女にしてみれば、『知ったかぶり』な態度を避けただけなんだと思いますよ」
斎信
「それで相手の『男』が返事をイライラ待つようじゃ、話にならないのさ」
見習い
「こうしていろんな女にちょっかいを出しながら、旅は終わっていくわけですが、この『男』、失恋の痛手は癒されたんでしょうか」
斎信「さあね。タイプの違う女を相手にできて、荒療治というか、けっこう発散できたかもしれないし、都の女が一番だと身にしみたかもしれないし。なんにせよ、ふところはグッと深くなったに違いないだろうね。たとえ東国に追われても、雅びの高貴な魂は堕ちず。どの段も『男』と『女』は対等じゃないだろう?『男』が、東国の女たちと対等のやりとりを始めたとき、それは『男』が都の文化の香りを忘れ始めたことを意味する。それじゃまずいんだ。どこかに「ある種」の都人としての差別感がないとね。どの段も、田舎女を適当にあしらってる感があるだろう?これが都人の優越感をくすぐるのさ」
見習い
「伊勢・尾張・信濃・三河・武蔵に陸奥とさまよって、余裕が取り戻せた『男』の、諸国恋愛紀行がようやく終わりましたねえ」
斎信
「次回は、この『男』の外戚の、あわれな話だな。趣味教養は高くても世渡り下手だと、たとえ名門の出だろうが負け犬の烙印を押されてしまうという話だよ」






 <<< 戻る