斎信君のおいでませ伊勢物語    〜第四夜〜




■ 伊勢の海より聞きたる事(7段)


本日このような辺鄙な場所をお訪ね下さいまして、まことにありがとうございます。もしやあなたさま、都で何かご災難に…は?そうですか、それは失礼致しました。いえ、ときおり見かける人間といえば、赤銅色に日に焼けた無骨な漁師やむくつけき土地長者、ごくまれにエセインテリ風な優男が赴任先へ向かう際に通りすがるくらいで。
そのくらい何にもない所を漂っているだけが、私の全てでございます。ですから、あなたさまがお訊ねになっている美丈夫が、以前この浜に立ち寄られた時は、それはもうびっくりしました。こざっぱりした狩衣を召しておられましたが、何と申しましょうか、高貴な匂い?が物腰から隠れようもなく立ちのぼっていて、寄せては返す白い波しぶきまでが、美丈夫見たさに我も我もと浜辺に向かっていくのでございます。眼福とは、ああいう幸せを言うのでございましょう。
そんなおっかけギャル状態(死語)の私たちにひるむことなく、そのイケメンは和歌を詠んでくださったのです。じっと見つめて。


いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな


旅をしていると、住みなれた場所が懐かしくてならないよ。うらやましいのは、もといた場所に帰る白波。なのに私ときたら…


そのときの物寂しげな風情ったら!
せつなそうな目をして殿方が「寄せてもいつかは帰ってゆける白波。もといた場所に戻ってゆけるそなたたちがうらやましい」などと呼ばわって下さったんです!…は?私、夢見る乙女の表情になってます?ほほほ、憂い顔で砂浜に立ちつくしていらしたお姿を思い出したものですから、つい興奮してしまいました。
あ、でも残念でしたのよ。殿方が仰ったとおり、しょせん私たちは寄せては返すだけの波。海の流れが風にあおられ、うねることだけでしか存在をアピールできないのです。砂浜に寄せたときにこんなみめ麗しい方に出会っても、いつまでもそこに立ち止まっていられない身。生木を引き裂かれるようにもといた場所に連れ戻され、次にまた寄せたとき、その殿方一行はすでにそこから立ち去った後だったのです。
まるでうたかたの夢でも見ていたかのよう。
ええ、本当に良い夢を見ているようでございました。



■ 浅間ヶ嶽より聞きたる事(8段)


さあ?そんな雅びで清らかな男が私の足元を通り過ぎたかどうか、ちと記憶に残っとらんな。峠を通る者はたいがい目にしているが、任国に向かう国守一行か猟師ばかりだ。誰もが目を留める美貌の貴公子とその一行にこの私が気づいていないということは、本当にここまで来たかどうかも怪しいものだ。正真正銘の帝のお孫さまが、世間のわずらわしさに耐えかねたとはいえ、はるばるこんな東の果てまで危険を冒して旅するかのう。いかに勝手気ままな御仁だろうとも。
しかもだな、そなたが言う、その御仁がこの辺りにやってきた時期は、それ、ここからもう少し南にある富士山の噴火がひどかった頃だと思う。神聖なる山の大爆発は、大いなる神の怒りのしるし。当時は神の怒りを鎮めようと、我が浅間神社に朝廷からの御使いが頻繁にやって来たものじゃ。そういう危険な時代だったのじゃ。とてものんびり物見遊山しに来るとは思えん。
もっともこの私も、富士ヶ嶽に負けず劣らず優美な姿だと自負しておるぞ。吐き出す白い噴煙も雄大そのものじゃ。まわりの土地の者たちには太古より畏れ敬われ、かつ親しまれてきたのじゃ。この私の姿を題材にした民話も民謡もいくつもあるぞ。


信濃なる浅間の嶽にたつ煙をちこち人の見やはとがめぬ


浅間山に立つ噴煙の雄大さに誰もがおどろくように、私の邪(よこし)まな想いもきっと誰もが非難するだろうな。


ほほう、それがその美丈夫の歌か。なまっちろい都人が私の噴煙を見上げて驚嘆したか。それとも噴煙の評判を聞いて歌の着想を得たか。
『そんなに激しく思いつめると、浅間山の煙のように皆に知られてしまうよ』
たしかこういう意味の問答歌が、ここらの地方に伝わっていたはず。民謡に伝わる風景とおのれの心情を結びつけて、情緒あふれる新しい歌を作り出すなど、その御仁すばらしい歌詠みではないか。



■ 杜若の精より聞きたる事(9段)


ええ、他のお供の公達が目に入らぬくらいの、それは凛々しい貴公子だったわね。女心をわしづかみにする風情って、ああいう容貌のことを言うのかしら。
ここは美しい景色でしょ。見渡す限りの湿地が私たちの棲む場所。この静けさの中、風に身を任せて揺れているのが好きよ。
あなたが訊ねている貴公子はね、そこの橋のたもとに座って私たちを眺めていたわ。そうね…どう見ても、楽しい楽しい物見遊山なんて雰囲気じゃなかったわねえ。
「身をえうなきもの」に「思ひなして」ですって?アラ、それはお気の毒にね。生きてて何が一番悲しいかって、
『自分は誰からも必要とされてないのかも…』
そう感じる瞬間よ。あの方、どうしてそんなつらく寂しい心を抱くようになっちゃったの?ふうん、世間でいろいろ取り沙汰されたからなの?そんなはっきりしたことじゃないんでしょ?結局、真実は本人しかわからないのにね。みんなホントに勝手よねえ。
でもね、傷ついた心を抱いての旅と言ったら聞こえはいいけど、実際、都人が旅するとなったら、かなり苦労するんじゃないの?徒歩か馬か、それは知らないけど、ちゃんとその日の食事が確保できるかとか、日が暮れないうちに宿を貸してところへたどり着けるかとか、途中で盗賊や追い剥ぎとかにも遭ったりするし、土砂降りになった時の隠れる場所とか、そんな心配の連続らしいわよ?旅するのって。ここにやって来る人間がみんなそんな事を口にしてる。都から、ぶらり傷心旅行してみたはいいけれど、実際旅してみると、野宿を強いられるわ食事もろくにできないわで、そうとう疲れてたんじゃないかしら。
ふうん、あの方ここを出た後、もっと遠くへ旅立ったのね。あんな少ない人数で…よほどの覚悟と根性がないと、なかなかできないことよ。だって、「どけどけエラい国主さまのお通りじゃ」そういうんじゃないんでしょ?盗賊に背中からいきなりバッサリ!だってありえるわけだしね。
それであの方は、自分の生きる意味と、自分がありのままで居られる場所を見つけたのかしら。心境が知りたい気もするけど、まあ、人間の処世術なんて、私たちにはどうでもいいことね。


■ 修行僧より聞きたる事(9段)


そりゃあもうびっくりしましたよ。京の都からはるか離れた駿河国の、それもこんな山の中ですよ?宇津の峠といえば有名な難所。蔦や楓が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、暗く寂しい急斜面が延々と続く、そんな山道なんです。
最初、うす暗い山道の向こうから落ち葉を踏む足音が聞こえてきた時、私てっきり山賊が何かかと緊張しました。隠れようか逡巡していますと、木々の間からちらちらと上品な狩衣が見え隠れするではありませんか。明らかにお疲れのご様子でしたが、こざっぱりとした衣裳からは、隠れようもなくにじみ出る高貴のオーラ。
一度お会いしたら忘れられない、まさしくあのお方です。
まさかこんな地の果ての山の中で、都の貴紳に出会おうとは。懐かしさのあまり、目の玉が飛び出かかっていたかもしれません。おいたわしいことに供回りもごくわずか、宇津の峠といえば、徒歩で越えるにはたいそう難儀する急峻な峠なのです。どれほど心細かったでしょうね。
ええ、あちらも目を丸くして驚いておられましたよ。ひどい山道によほど怯えてらしたようで、こんな物の数にも入らぬ私に、まるで頼もしい身内にすがるように、それはそれは親しくお声をかけてくださり、手紙まで預からせていただきました。
目の前でさらさらと和歌を書かれるのを拝見しておりましたが、


駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり


今は駿河の宇津を旅しているよ。うつつ(現実)だけでなく、夢の中でさえもあなたは現われてくれないね。
ひょっとして、もう私のことなど忘れた?


屈強な田舎男でさえ辟易する難所にもかかわらず、こんな洒落た歌を思いつかれるあたり、生まれながらにして俗世間に汚されない高貴な魂を持っておられるのだと、私感服いたしました。
ちょうどこの宇津の峠を上りきったあたりで富士の山が眺められるのですが、まもなく盛夏になろうという時期にもかかわらず、富士の山頂は鹿の仔の背中のような白い残雪が見られるのです。あの方は、その美しさに圧倒されながら、


時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ


今が夏だと気がついてないのかねえ。富士山というやつは。見たまえ、てっぺんに雪が降っているよ。季節を知らないとはこのことだな。


と、お笑いになったのです。確かに摩訶不思議な取り合わせですね、夏景色と富士の嶺の雪景色。しかし、比叡山の何倍もありそうな雄大な富士山の山頂は、真夏でも冬の空気に包まれている、と土地の者が言うておりました。あのお方は、「真夏なのに、山頂に雪が降っている!」と驚かれてましたが、土地の者が言うには、冬に降り積もった雪が一年中融けずに残っているからで、別に今降っているわけではないとか。
それを説明申しあげますと、「冬の名残りか。残雪がこんな時期まで…そうだったのか」と非常に感動しておられましたよ。


■ 都鳥より聞きたる事(9段)


え?ぼくに声かけてくれた人?うん、覚えてるよ。遠い北の国からようやくこの地にたどりついて、みんなでひと休みしていたところにあの男の人が近づいてきたんだ。
ふうん、あの人旅人なの。え、独り?あー確かお友達がいたね。二、三人。ぼくたち、いつも集団行動してるからさ、独りになるのは怖いよ。でもお友達が一緒ならさみしくないね。
ぼくたちミヤコドリって呼ばれてるの?どうして?くちばしと脚が赤くてお洒落に見えるからなの?エヘヘヘ、今は冬だから体が真っ白で、さらにお洒落になってるでしょ。そんでもってミヤコってどこ?ふうん、もっともっと西なの。ぼくたちはこの武蔵国の隅田川止まりだけど、琵琶湖まで旅してる仲間たちもいるよ。へえ、その琵琶湖の近くにミヤコってトコがあるの。
あの人、そのミヤコってトコからここまで来たの?何しに?ふうん、人がたくさんいる、ミヤコの生活に疲れちゃったの。そうだね、旅行したら身も心ものびのびできるもんね。あること、ないこと、かげぐち言われたら大変だよ。
あの時ぼくたちちょうど晩ごはんの時間でさ、みんなで川魚を捕ってたんだけど、船着き場にその男の人がいたんだよ。
舟で川を渡ろうとしてたらしいけど、いつまでもぐずぐずお尻を上げないものだからさ、舟頭さんに怒鳴られててさ、
『とっとと乗っとくれ!なんべん言わせたら気が済むんじゃ!』って。
それでもぜんぜんへこたれない人でさ。怒鳴り声なんてどこ吹く風〜みたいな?舟頭さんもすっかり扱いに困っちゃっててさ、ミヤコのエライ人ってみんなあんなカンジ?
え?「夕暮れ時の川景色も風情あるよ」って言われてもぼくわかんない。泳ぎながら頭を川面に突っ込んで、お魚捕るのに必死だもん。
そうそう、それで必死で晩ごはんさがしてるときに、その男の人が近づいて来たんだよね。


名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと


「都」という名にかけて聞くがね、いいかい?
都鳥。
私の恋人は、都で無事でいるのかな。
…思い出させたのは君だ、都鳥。


ぼくもう目がテンになっちゃった!オイラの知ったこっちゃないよ!って。ぼく、ごはん食べてるだけ!捕った川魚を急いで飲み込んで、そのまま逃げちゃったよ。舟頭さんは、
『何をいつまで鳥相手に話しとるんじゃ!はよ荷物持ってここ座れ!』
って怒鳴ってるし。こわかった。
ぼくに話しかけたあと、ようやく立ち上がって舟に乗り込んだみたいだけど、ミヤコの人ってみんなああなの?のんびりしすぎ。






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