斎信君のおいでませ伊勢物語    〜第二夜〜



見習い
「昔、ある男が、五節の舞姫にひと目惚れしてプロポーズしました。そのお姫さまは、他の舞姫がかすんで見えてしまうほどの美貌の姫でした。
ところがそのお姫さまは、男にとっては政敵ともいえる一族の総領姫で、男の方も逢瀬ひとつに命がけです。築地の崩れから忍び込んだり思い余ってさらったり。姫の乳母の手助けがなかったら、とても逢瀬を続ける事などできなかったでしょう。
そんな男の命がけの逢瀬もむなしく、お姫さまは男との思い出を胸に秘め、親兄弟の手によって、八歳も年下の帝の妃へと押し込められてしまったのでした。男は泣きました。それはそれは落ち込みました。姫の居なくなった部屋を訊ねては、がらんとした部屋にうずくまり、かつての愛の思い出を拾い集めてむせび泣きました。しかし姫はすでに後宮の彼方。どうしようもありません。
さて一方、十七も年上のカリスマ美丈夫との恋愛を経験した情熱のお姫さまが、八歳も年下の坊やに満足するはずがありません。後継ぎの皇太子をさっさとお生みになると、情熱のおもむくままにご乱行を繰り返し繰り返し、ついには栄光ある皇太后の位まで剥奪されま」

斎信
ちょっと待て。一体何の週刊誌を読んでるんだ?」
見習い
「いやこれでも一生懸命予習してきたんですが。業平と二条后に関連した段を探して探して」
斎信
「当たってるっちゃあ当たってるが、これじゃあ単なる王朝週刊誌だよ。ワイドショーレベルにまで落とさないでくれたまえ。
言い方は悪いが話の流れはつかんでいるみたいだな。そう、確かに二人の出会いは、入内前のごくフツーのお姫さまだった高子姫が、五節の舞姫に選ばれたところから始まるんだ。
父親代わりの良房卿が、当時の清和天皇に入内させようと、舞姫に献上したんだよ。ただし、このとき清和天皇は10歳で、元服すらしていなかったから、数年後の元服時の添い伏しにしようとしたんだろうね。ところがこの時、物かげで高子姫の舞姿を見つめている五位の蔵人がひとり…」
見習い
「それが業平なんですね。18歳の乙女の無垢なる舞いに魅せられた、35才の殿方。17も年上の男に言い寄られた乙女の気持って…」
斎信
「ただの35才じゃないぞ、両親は親王、天才歌人、美丈夫で色好み、当時から音に聞こえた恋愛の手練れの業平に、男を知らない(五節の舞姫は処女限定)高子姫が簡単に落ちたんだろうな」
見習い
「それで麗しい舞姿に惹かれた業平が、海藻のひじきと夜具の引敷物(ひじきもの)を掛けて、歌を贈ったのが3段ですね」


むかしある男が、恋しい女のもとに、ひじきを添えて歌を贈りました。


思ひあらば葎(むぐら)の宿に寝もしなんひじきものには袖をしつつも


これは、良房卿の高子姫が、清和天皇へ入内する以前のお話です。


見習い
「高子姫が数年後には入内するのは周知のことだったんでしょう?
”もしも、あなたも私のことを思ってくれるなら、たとえそれがあばら家でもいい、互いの袖を夜具の代わりに共に過ごしてくれないか…?”
なんか、むちゃくちゃストレートな求愛の歌ですよこれ?」
斎信
「一度入内してしまった後なら大問題だけどね。入内以前の姫に通じたからといって、表立って何か処罰されるというわけではないんだよ。もちろん、当時の最高権力者の娘を喰っちゃったんだから、露見した後はそれなりの圧力は覚悟しないとな」
見習い
「しかしですね、相当な深窓の姫君なわけだから、監視の目もガッチリあったのでは?見つからずによく通い続けられたもんだと感心しちゃいます」
斎信
「多分、高子姫の乳母が味方になって、見て見ぬふりをしたんじゃないかな。実質の面倒を見ているのは親ではなくて乳母だから。乳母の了承なくしては、許されぬ恋路を通い続けることなんて絶対無理。そりゃあ、主人の良房卿は激怒するだろうけど、入内前なんだから、相思相愛の恋愛を経験させてもよいと判断したのかもしれないな。
これは憶測だけど、高子姫の乳母は、業平と縁続きだったかもしれないぞ。そんな乳母の暗黙の協力も多分あって、二人は許されない恋の逢瀬に精をだす。障害があればあるほど恋の炎は燃えさかるとはよく言ったもんだよ。
しかし、大っぴらに婿顔できるはずもなく、子供らが抜け道に使っている塀の崩れた所から屋敷に忍んでいた。それが5段だ」


昔、ある男が、東五条のお屋敷に住んでいる女のもとに、人目を避けて通っていました。子供たちの踏みあけた土塀の崩れた場所から邸内に入っていましたが、いつのまにか発覚してしまい、屋敷の主人の知るところとなってしまいました。
塀の崩れた部分には、夜ごとに見張りがつき、男はお姫さまに逢う事ができません。


人知れぬわが通い路の関守はよひよひごとにうちも寝ななん


男の詠んだ歌に、女はたいそう嘆き、その悲しみに免じて、屋敷の主人もついに男の通いを許してくれたのでした。
これは、男が入内前の二条后に通っていたのを、兄たちが邪魔しようとしたお話です。


斎信
「五条の屋敷の主人というのは、皇太后宮だよ。高子姫は仁明帝母后のもとに住んでいたわけだな」
見習い
「そんな超上流階級のお屋敷なのに、塀が崩れてたりするんですか。見張りを立てるくらいなら、さっさと土塀の修理をした方が美観も格式も損ねないというものですよ。まさか、実は困窮気味の荒れ屋敷…」
斎信
「この時代は人件費ゼロだからなあ。修理には修理代が要るけれど、家来を番人にするぶんには何の手間賃もかからない。それに、しょっちゅう台風や豪雨で、屋敷のどこかしらが常に損害こうむっているものさ。大宮の住む御殿でさえこんなもんだ。塀の多少の崩れ程度、私たちだってそんなすぐには修理しないね。
それに、『許されない忍び逢い』の形容詞として、土塀の崩れからこっそり、という表現をつかっただけかもしれないぞ。正門から堂々と入れない、という意味でさ」
見習い
「塀の崩れがあろうとも、人件費の要らない家来に警備させとけば、侵入者を心配する必要ないというわけですね。
”秘密の抜け道に番人が立ってしまった。毎晩毎晩私の邪魔をする。何とかして眠って欲しいのだが…”
主人の言いつけを守る、優秀な家来みたいですね」
斎信
「ところでだな、最後の二行は私の知らない箇所なんだが。それに屋敷の主人がとうとう二人を許してくれたなんていうオチは、多分読者へのリップサービスだぞ。現実は、そんなハッピー・エンドじゃなかったんだから」
見習い
「じゃあきっと、後世の知ったかぶりの誰かが勝手に後注をつけちゃったんですよ」
斎信
「あえて名前を出さない、という奥ゆかしさが、この歌物語の品の良さのひとつなのに…そういえば三段の最後一行もそんなバラしだったような。こんな「実はねぇ♪」みたいな部分、原作のうちだと思って読むんじゃないぞ。
さて、出入り禁止になってしまった男は、逢えないつらさが油となって、恋の炎をいっそう燃え上がらせたわけだ。思い余って屋敷から盗み出してしまうのが、6段の話だよ」


昔、ある男が、とても叶えられそうになかった高嶺の花の女に通い続け、女と情を交わすようになりましたが、ある夜とうとう女を家から盗み出してしまいました。暗い夜道を逃げ続け、芥川という川のほとりに来た時、女は草の上に輝く露を指さして、
「あれは、なあに」
と男に訊ねました。
目的地は遠く、夜も更け、おまけにひどい雷雨がやってきました。男は、そこが鬼の棲む場所とも知らずに、女をあばら家に押し入れて、戸口で寝ずの番をしました。
夜が明けるのを今か今かと待っていた男の後ろで、女は鬼に喰われてしまいました。男は気がつきません。女の「あれ」という小さな叫び声も雷の音にかき消え、男の耳には届かなかったのです。
ようやく夜が明けましたが、どこを探しても女は見当たりません。男はくやしがって泣きましたがどうしようもありません。


白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを


これは、二条后がまだ入内前、いとこの明子さま(染殿女御)のもとにお仕えしているような形であった時のお話です。お姫さまがあまりにもお美しかったので、男が盗んで背負って逃げて、まだ身分の低かった御兄弟たちが取り返したという、その事件を「鬼に喰われた」と例えたのですね。


斎信
「また後注か。歌のあとは取って付けたしだ」
見習い
「泣きながら歌を詠んだところで終わってたんですか」
斎信
「そうさ。二人の事は貴族社会の有名なスキャンダルだったからね。何も得意になってわざわざ書かずとも皆に知れ渡っている事だなんだ」
見習い
「芥川ってどこにあるんですか」
斎信
「摂津の国にそんな名前の川があるけど、徒歩でそこまで逃げるはずはないし、名前からして内裏で出るゴミを流す川、とでも言ったほうがいいな。架空の川の名だよ」
見習い
「明るければ塵芥(ちりあくた)の浮かぶ川も、夜ならば草むらに夜露のきらめく二人だけの別世界。夢のような光景ですよね」
斎信
「女に『あれはなあに?』と訊ねられた男はギョッとしただろうね。女が、暗がりの向こうの追っ手を指さしたのかと思ってさ」
見習い
「夜露も見たことなかったんでしょうかね、このお姫さま」
斎信
「そこがそれ、深窓たるお姫さまの証拠さ。邸の奥の奥の、そのまた奥で大切にかしずかれて育ったら、草むらに白玉のごとくキラキラ光る夜露を見る経験なんて、そうはさせてもらえないよ」
見習い
「そのうち雷雨になって、隠れ家に避難したところを、鬼にひと口で喰われてしまった、と」
斎信
「たとえ話だぞ。まあ、やっとこさ盗み出したのに、兄弟たちに有無を言わさず連れ戻されるなんて、男にしてみれば、兄弟が鬼に見えたとしてもあながち誇張じゃないよな。盗むなんていう、最後の手段に出て失敗したわけだ。もう二度と逢うチャンスはないだろう。それで、
”こんな悲しい結末を迎えるなら、「あれは白玉?なあに?」と聞かれた時、「露ですよ」と答えてそのまま私も消えてしまいたかった”
とつぶやいたわけさ。
言っておくが、実際に男が女を盗み出したわけじゃないぞ。この二人の恋愛沙汰は、良房卿や大宮サイドがどれだけひた隠しに隠して口を閉ざしたところで、隠し切れない話題を世間に提供していたんだ。こんな話も、「そうよね〜、あの二人なら、あんなことやこんなこともアリよねぇ」と面白おかしく伝えられたに違いないんだ。ここまでハデな噂が高くなってしまったら、いくら権力者の良房卿でも、清和帝の元服の添い伏しに高子姫を差し出すわけにはいかないだろう?
兄弟の手によって、初恋をズタズタに踏みにじられた高子姫は、その後八年間、二十五歳になるまで束縛され続けるわけだ。お年頃になった清和帝に差し出すためにね。あたら若さと美貌が…お気の毒としか言いようがないね」
見習い
「それじゃあ、五段の続きが6段で、6段の続きが4段というわけじゃないんですね」
斎信
「6段は、あの和歌にいろどりを添えるための物語と考えてくれればいいと思うよ。
さて、次は4段だ。自然の大いなる営みと、人間のはかなさが朧(おぼろ)に融けあった、実に美しい話だよ」






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