斉信君のおいでませ伊勢物語     〜第十八夜〜



昔、ある『男』が伊勢の国に狩の使いとして派遣されました。狩の使いとは、朝廷の宴に供される鳥獣を狩りに行く、帝の側近のことです。狩の使いは、諸国の治政の視察と朝廷への報告も兼ねているので、もてなす側もそうおろそかにはできません。しかも今回の狩の使いの『男』は高貴な身分の出。ですから、もてなす側の斎宮の親御は気を揉んで、
「いつもの狩の勅使よりも、丁寧にもてなすようになさいませ」
と事前に手紙で連絡しました。斎宮は親御の言いつけをきちんと守り、狩のお使いの貴公子を心を込めてお世話しました。朝はきちんと出立の準備を整えて送り出し、夕方はお勤めを終えた貴公子をわざわざ自分の住む御殿でもてなすのです。斎宮の住まいに招くなど、破格の待遇と言えそうですが、親御からの言いつけを守り、特別丁寧にしたのでしょう。斎宮は笑顔と気配りで、それはそれは大切にお世話したのです。
若く美しく100%汚れを知らぬ斎宮と都の美しき貴公子。京から遠く離れ、開放感に胸を膨らませる『男』が、まるで新婚ホヤホヤの若妻のように、自分を親身になって世話する斎宮によろめかないはずがありません。わずか到着後二日目にして、辛抱たまらなくなってしまったのです。『男』は夜、
「どうしてもあなたに逢いたいのです」
と斎宮に打ち明けました。斎宮も、女性の扱いに慣れた美貌の『男』を拒否するつもりなどありません。けれど二人の身分柄、周囲にはお付きの者が大勢います。秘密の逢瀬なんてできるのでしょうか。幸い、『男』の宿泊している部屋は斎宮の寝所のすぐ近く。皆が寝静まった深夜0時過ぎ、大胆にも何と斎宮みずからが『男』のもとにやって来たのです。『男』が、一つ屋根の下にいる若く清らかな乙女を想って深夜寝られずに悶々としていると、その乙女自身が小さな女童を連れて自分の部屋にやって来たのです。淡い月の光の中にたたずむ斎宮に気づいた『男』はとてもうれしくて、自分の宿泊部屋にすばやく連れ込み、午前3時ごろまでのひとときを共に過ごし、やがて斎宮は帰って行きました。
まだ満足に言葉も交わしていないのに、と『男』はもの足りません。来る前と同じく、帰って行ったあともやはり悶々と眠れぬ夜を明かしたのでした。
夢のようなひとときを過ごした翌朝、『男』は昨夜のことが気になって仕方ありません。斎宮は何を考え、どうして来る気になってくれたのか、自分のことをどう思ってくれているのか・・・訊ねてみたいことが次々と思い浮かびます。けれどこのたびの出来事は、「自分が後朝の使いを出してはいけない」秘すべきことと思われ、とにかく斎宮からの便りを不安な気持ちで待ちました。
日がだいぶ高くなった頃、ようやく斎宮から手紙が来ました。そこにはただ歌だけが書かれてありました。


君や来し我や行きけむおもほえず夢か現(うつつ)かねてかさめてか
(あなたが来られたのか私が行ったのか、夢を見ていたのでしょうか、それとも現実だったのでしょうか・・・はっきり覚えてなくて)


『男』は泣きながら、


かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひさだめよ
(私も混乱して闇の中をさまよっている心地です。夢だったのか、それとも現実のことだったのかは、今宵お互いはっきりさせましょう)


と返事を出し、狩りをしに出立しました。狩猟場を馬で駆けめぐろうとも心の中は昨夜のことでいっぱい。仕事になりません。明日も明後日もとは願わない、せめて今夜だけでいいからどうしても逢うぞ・・・そればかりを考えて一日を過ごしたのに、伊勢守で斎宮寮の頭(かみ)を兼任している人が、狩の使いが現地に滞在中と聞きつけ酒宴を開いてくれることになり、逢えなくなってしまったのです。女との約束を優先して、地元の最有力者の好意を無下にあしらうのも、治政の視察に差し障りができてしまい、何かと面倒です。『男』は酒宴の明けた朝には、もう尾張の国に向けて出立しなければなりません。斎宮は今頃自分のことを待っているはず。心の中で無念の涙を流す『男』のもとに、宴もようやく果てようかという明け方、斎宮からの手紙が杯(さかずき)の皿にのせて届けられたのです。見ると、


かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
(徒歩で渡っても濡れない程度の浅い入り江なので・・・それくらい浅いご縁でしたから)


と上の句だけが書かれてあります。それを見た『男』は、松明の燃え残りの炭で、皿に直接、


又あふ坂の関はこえなむ
(お別れしようとも、逢坂の関を越えて必ずまたここにやって来ます)


と下の句を書き付けました。
酒宴の果てた朝、『男』は尾張の国へ向け、関を越えて旅立ちました。
このお話の斎宮とは清和天皇の御世の斎宮で、文徳天皇の皇女で惟喬親王の御妹・恬子(やすこ)内親王のことです。


見習い
「69段、前回とそれほどガラリとは変わりませんねー」
斉信
「見習い君の訳し方が問題なのだと思うよ。悲恋とか切羽詰った二人のやりとりとかがぜんぜん伝わって来ないな。何ていうか、色気も深刻さもまるでない。もっと深く切なくキラキラ光る意訳を目指したまえ」
見習い
「モデルとされている恬子内親王って、12歳かそこらで斎宮になったそうですね」
斉信
「そうだ。そして、この段で『この勅使は特に丁寧に対応なさい』と指示した親御=紀静子更衣は、斎宮が伊勢に下って5、6年後に亡くなっている。だから、この話が実話をモデルにしているとしたら、静子更衣の亡くなる前、斎宮10代半ば&業平40歳前というところかな」
見習い
「親御ってお母さんだけですか。お父さんは何の指示も出さず?」
斉信
「君は救いようのない阿呆だな。代々の斎王の父が誰なのか、頭が回らないのか。帝に決まっているだろう。帝が細々と個人的な指示を出すと思ってるのかい」
見習い
「10代半ばの普通の感覚を持った女の子の恋愛対象内ですかねえ、だって40男ですよ?15〜16才そこそこで結婚するのが普通だとはいえ…12歳で斎宮寮行きでしょ?一般常識の恋のイロハをちゃんと教育してもらっていたんですか疑問です。「どうしても逢いたい」と言われたから部屋へ行ってみた、逢う=セックスだなんて知らなかった。世間的には無知も同然のそういった姫かもしれませんよ」
斉信
「君ね、ひと口に40、40と言うけど、小梅太夫やよゐこの濱口みたいなのならともかく、金城武みたいなのが迫ってきたら、同じように突っぱねられるか?『男』は当代ピカイチの美丈夫なんだぞ」
見習い
「ワクワクテカテカしながら突撃してると思います」
斉信
「朧月にたたずむ幻のような聖女を夢中で部屋へ抱き入れた。正気に戻って後朝の手紙を出すべきか出さざるべきか真剣に心配していたら、向こうが、
『私、無意識にさまよってたのかしら…?』
みたいな初々しい和歌を寄越してきた。この『男』が普段相手にしている女たちとはぜんぜん違う反応だったんだろうね。彼はさぞかし感涙にむせんだことだろう」
見習い
「斎宮の母君も、まさか我が娘が下半身の世話までしに行くとは思わなかったでしょうね。おもてなしに特に気を使わなければならなかった理由って何だったんですか」
斉信
「斎宮の兄君の
惟喬親王とは大の仲良しだったからさ。斎宮と惟喬親王は同母兄妹だから、業平卿とは知らない間柄でもなかったんだろう」
見習い
「12歳から斎宮として育てられて、世間知らずのはずなのに、どうみても主導権は斎宮が握ってるカンジがするんですが。自分から積極的に男の部屋を訪ねたり、心情つづった歌を届けたり、お別れを示唆する上の句を先に届けたり。むしろ40男の方が完全に翻弄されてませんか」
斉信
「君はなかなか斎宮に厳しい派だな。私はむしろ同情派だよ」
見習い
「ほーそうなんですか」
斉信
「世間から隔離された世界に12歳から閉じ込められ、何の免疫もなかったところに美貌と歌才にきらめく『男』からの誘い。わずか3時間ほどの間に、今まで体験したことのないあれやこれやをしちゃったわけだ。そんな乙女の、初めての契りに対する気持ちが、斎宮の詠んだあの和歌に見事に現れていると思わないかい?舞い上がってよく覚えていない夢のようなひとときだった…という気持ちが素直に詠われて、実に美しい歌だと思うよ」
見習い
「今宵もう一度逢いましょうと返歌された斎宮は、もうドッキドキだったでしょうね」
斉信
「無視できない邪魔者に割り込まれたのは何とも気の毒だったね。『夜ひと夜』とあるから、朝まで続いた宴会だったわけだ。おざなりな酒宴じゃないあたり、『男』は伊勢守に気に入られたと見える。今回の現地視察の仕事はうまく済ませられただろうな」
見習い
「斎宮はこの初体験のただ一回で、ご懐妊しちゃったと言うじゃないですか。排卵日前後は女性もムラムラして魅力的になると聞きますが、一発必中ですね。『男』も斎宮の性的魅力に惑わされたんでしょうか」
斉信
「世の中には言ってはいけない公然の秘密というものがあるから、私の口からは何とも言えないなあ。
ただ、業平卿は、斎宮の父帝(文徳天皇)より年上なんだよ。10代半ばの女性が、自分の父親より年上の男に一目ぼれするのは、そもそも常識としてアリか、そこが疑問だな」
見習い
「この段が伊勢物語の第1段目だったという説もあります。もしそうなら、後日談も書いて欲しかったですよ。御子までなした仲だというのに、その後一切の接触なしだったかと思うと、斎宮があまりにも可哀想です」
斉信
「独身のまま生涯を終える斎王がほとんどだから、これがもし実話だとしたら、きっと斎宮は、夢のように過ぎた一夜を、青春の大切な思い出として胸に抱いて生きていったと思うね」
見習い
「こんな風にどこの貴族のサロンでも、この段は神への冒涜(ぼうとく)だの畏れを知らぬ禁忌の恋だのの批評に終始しちゃってるんでしょうね。この話を書いた作者の狙いって、やっぱ密通の暴露?なのですか?」
斉信
「うーん、良く言えば究極の危険な恋を冒険した『男』への賛美かな。あと、斎宮の和歌の美しさ。この二点が狩の使いの段の主題だよ。
夢か現か寝てか覚めてか…は、あいまいな表現の得意な日本語の奥深い魅力が出ていてとても味わいがある」
見習い
「そういえば斎宮の歌は、はっきりと言い切らずに含みを残す歌ばかりですね」
斉信
「次の70段は、斎宮への想いが不完全燃焼、未練たらたらな『男』が傷心を抱きつつ、女童に絡んでいるのが面白い」


昔、狩の使いの任務を終えた『男』が帰途につく途中、伊勢の大淀(おおよど)の入り江で一泊しました。その時、『男』の送迎の使者として同行していた童女にこんな歌を詠みかけました。


見るめかるかたやいづこぞ棹さして我に教えよあまの釣舟
(海松藻(みるめ)を刈る磯はどこですか。その棹ではっきり「ここだ」と私に示して連れて行ってください、釣舟の人よ。
=斎宮に逢えるのはどこなのだろうか。その指で「ここに」と連れて行ってくれないか、小さな御使者どの)


見習い
「いづこぞも何も、行事でもない限り斎宮は斎宮から出ませんよ」
斉信
「こんなヤバい問いかけされて、使者の子も返事に困っただろうしね。もう狩の使いとしての任務は終わり、斎宮と対面できる名目もなし、斎宮の居場所を棹で指す(示す)ことは仮にできたとしても、斎宮のもとへ棹で漕いで連れて行くことはできないわけだから」
見習い
「酒宴の果てた次の日の話ですかね。それとも、尾張の国での仕事を終えた後の話ですか」
斉信
「大淀の渡りは斎宮からは一里ほどしか離れていない。尾張の国での任務を終えた後の帰路だと思う」
見習い
「伊勢での逢瀬から何日も経った後の話ですかコレ。なのに、斎宮からわざわざ送迎役がおでましですか」
斉信
「行きだろうが帰りだろうが勅使が斎宮のお膝元を通過する際には、こういった役目の者が出迎えることになっているのさ。ひょっとすると、『男』の部屋を斎宮が訪問したとき連れていた女童が、使者だった可能性もあるかな」
見習い
「ああそれで、
”君はあの時彼女を私の元へ連れてきてくれた。今度は私を彼女の元に案内しておくれ”
みたいな歌を詠みかけたのかも」
斉信
「もとより無理を承知の上でだけどさ」
見習い
「71段も斎宮絡みですね。


昔、伊勢の斎宮のもとに、『男』が朝廷からの使者として参上していたとき、斎宮の召し使っている女官で『男』に応対した女が恋愛の話に花を咲かせ、その雰囲気にかこつけて、
「このような神聖な場所で、世俗的なことを言うのもアレなのですが、


ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし大宮人の見まくほしさに
(はるばると都からいらした貴人にお逢いしたくて、神域に巡らされた垣根を越えてしまいそうです。あなたにお逢いしたいあまり、禁忌を犯してしまいそう…)


神に奉仕する立場を離れて申し上げました」
と詠んだ。これに対して『男』は、


恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに
(恋しいならどうぞ逢いにいらしてください。男と女が逢う道は、神が禁止している道ではありませんよ)


そう答えたという。


神に掛かる枕詞の「ちはやぶる」の意味がよくわからないです」
斉信
「意外と奥が深い意味を持っているんだよ。ちはやぶるは。
霊魂を表すことばに「チ・ミ・ヒ」がある。「チ」では、カグツチとかタケミカヅチとか、ミヅチがそうだね。これら「チ」のつく神が激しい勢いで暴れる様子を、『霊(ち)+烈(はや)+様子(ふるまい)=ちはやぶる』と表した説。
あ、ちなみに、「ミ」と表す霊魂は、ワダツミやツクヨミのような神のこと、「ヒ」と表す霊魂は、マガツヒやムスヒのような神のことだ」
見習い
「神霊が暴れているイメージなんですね、この枕詞って」
斉信
「千(ち)+磐(いわ)+破(やぶる)=ちはやぶる。これは、霊威が千の磐をも打ち砕くという意味。
千(ち)+早(はや)+振(ふる)=ちはやぶる、というのは、逸(いち)+早(はや)く+振る舞う、がナマったものだよ」
見習い
「いち早くって『逸』の字が当てられてたんですか。何か意外〜」
斉信
「そもそも神とは猛威を振るうすさまじい存在なんだ。
千葉破、血速旧、千速振…いろいろ表記はあるが、まあ、結局どんな字を当てようが、そういう概念から生まれた枕詞だと思ってくれたらいいさ」
見習い
「斎宮本人は清らかな暮らしをさせられているのに、お付きの女官はナンパできるほど自由だったんですか」
斉信
「知識階級同士の戯れ歌くらい許してやりなよ。水清ければ魚棲まずと言うことわざがあるだろう。ご清潔な暮らしばかりじゃ人生味気ないものさ。清も濁もそこそこ併せ持っていないと、斎宮教育はできないよ」
見習い
「72段も伊勢関係ですね。


昔『男』が、出張先の伊勢の国で女に出逢いました。いわゆる一目ぼれでしたが、一夜逢っただけで『男』はもう伊勢を離れ、そのまま隣の尾張の国へ行ってしまわなければなりません。『男』は女にもう未練たらたらで恨み言ばかり。そんな『男』に女は、


大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへるなみ哉(かな)
(大淀の浜の松(=女)がつらい目に遭わせたわけでもないのに、その浦にちょっと打ち寄せただけで、あっさり引いていった波(=男)だった・・・ということですわね)


と言ってやったとか。


女が『男』を恨んだのなら解りますけど、一夜を共にした後、逢えなくなる事情は『男』の側にあるんですよね。女を恨むのはスジ違いと言うものですよ」
斉信
「かしづかれてばかりの貴人というのは、条件反射で恨み言を言う傾向にあるからなあ。孫娘の中宮が難産で瀕死の状態なのに、『この私をこんなつらい気持ちにさせるなんて』と、あくまで自分が主体でしか物を考えられない女院(『我身にたどる姫君』より)みたいにさ。恋と仕事の板ばさみで、心中が惑乱したんだろうな」
見習い
「この段は斎宮絡みの段じゃないですよね」
斉信
「そうだ。69段が正規の話だとしたら、あとの3つの話は小ネタ集と言えばいいかな。
もし『男』が尾張国出張の帰りに斎宮付きの女童に再会したら。
もし神の住まう聖域内で、女房と恋バナを語ったとしたら。
もし出張先で、どハマるくらい魅力的な女と知り合っちゃったら」
見習い
「そしたらこんな歌が出来たんですね。おもしろいなあ」






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