新種生物発見



鞍馬の森は、いつも不気味な霊気に満ちている。
どこの深山もそうであるが、特にこの鞍馬山は、陽の照りつける暑い昼下がりであっても、一歩足を踏み入れれば、うっそうたる樹木に空は見えなくなるほどの薄暗さだ。ひやりとするような神秘的な霧がたちこめて、踏み込む人間を拒絶するかのような冷たい顔を見せる。特に山頂付近の龍神池のあたりは、どれほど日の光がさんさんと降りそそごうとも、かすかな木洩れ日さえ届かない、昼なお暗い樹木林になっていて、池は暗く冷たく、底なし沼の様相を呈していた。
「ダメですもうダメです!ひきかえしましょう綱どの」
先ほどからもう何回目の懇願であろうか。斎信は前を歩く渡辺綱(わたなべのつな)にそう訴え続けていた。
「ここまできて、何をグダグダと抜かしとるんですか斎信どの。いい加減にしないと、仕事が終わりませぬぞ」
渡辺綱。武勇をもって知られる源頼光の片腕で、勇敢なこと限りなく、世に四天王の名をとどろかせている豪傑だ。その綱を身辺警護に、斎信は貴船神社を訪ねる途中だった。
山中の杉林を通り過ぎる際、その幹の人の高さくらいの位置に、どれほど多くの色あせたわら人形を見ただろうか。五寸くぎをいくつも打ち込まれたわらの人形が、あちらの杉の木、こちらの木と、全身から怨念を発しているような姿をむき出しにしていた。
丑の刻参り…凝り固まった怨念を持つ、女人専用の呪いの作法。
嵯峨天皇の御世、ある公卿の娘が嫉妬のあまり、鬼女となってもいい、妬ましく思う男女を呪い殺したいと、貴船神社に願をかけたのが始まりだ。貴船の神は呪いの神。見事願いが聞き届けられた娘は、神の示した作法にのっとって、髪を五つに振り分け角を作り、顔を朱で塗り鉄輪(かなわ)を乗せ、その三本の脚にはタイマツで火を灯し、深夜の京の町をはだしで駆け抜けて貴船へ向かったという。そして全ての恨みをこめて、わら人形に向かって五寸のくぎを――― 
そんな狂女の顔を想像しただけでも足が震える。なんでこんな仰せが自分にあてがわれたのか。斎信はその場に居合わせた己の不運を呪っていた。慢性的な日照りが続き、雨乞いの祈祷の前調査として、ここ鞍馬の水源地にやってきたのだった。水脈の状況を調べるために、まず龍神がすむという龍神池を調査し、そのあと貴船神社で祈祷の相談をする予定なのだが、杉の幹に打ち付けられたわら人形から発せられる瘴気にすっかりあてられた斎信は、警護として同行している綱の背中のすぐ後ろを、おどおどと貼り付くようにして歩いていた。
「貴船の神社は、木の根道を出ればすぐですぞ、しゃんとしなされ!おどおどしながら歩いていると、魔物につけ入られるスキを与えてしまいますぞ」
綱に叱咤激励され、なんとか歩を進めている斎信だ。堂々とまっすぐ前を睨みながらの綱に比べ、表面上何とか平静を保つだけがせいいっぱいの斎信。頼むから早く帰りたい、解放された空気を吸い込みたい。
周囲は森。そして木の根がむき出しになった一本道。小川を渡ってくる風がナマ冷たい。どこかで鳥の飛び立つ不気味な羽音が聞こえる。空を見上げても、木の葉が暗く重なり合うだけ。
斎信は自分に言い聞かせる。
はやく木立を抜けたい、何も考えずに前だけを見て歩くんだ。


「…頭中将どの。何か視線を感じませぬか」
「え?」
急に話を振られてトリップから現実に引き戻される斎信。
「何かって…い、いやだなあ綱どの!カンベンしてください、わたしで遊ぶのはナシですよ」
「シッ騒ぎ立ててはいけません。・・・何かがこちらの様子を伺っているような気配を感じます」
鞍馬の山は神の波動に包まれた山。その昔、鑑真和上の高弟が、夢のお告げを頼りに山頂に登ると、天から降りた毘沙門天が鬼を倒していたという、聖なる山ではないか。しかも鞍馬の山中には、空を自由に飛び回る、大天狗が棲んでいるそうな。ここは大地の力と天界の力が拮抗する、まことに謎の多い地だ。何が出現してもおかしくはない――― 
「てて天狗が聞き耳を立ててるんですよ、はやくここから逃げましょう」
「天狗ごときにこの私が背を向けるなど!まあ任せてくだされ、何が潜んどるかは知りませんが、一太刀浴びさせて、追っ払ってやりましょうぞ」
ニカッと笑いながら、綱は道の脇のまばらな熊笹をかき分けて、木立の向こうにまぎれて行く。斎信が身に付けている装飾重視の飾り太刀に比べ、綱のそれはきわめて実用重視だ。天狗はともかく、万が一、盗賊などが潜んでいたとしても、彼ならばあっさり倒してくれるだろう。そう自分に言い聞かせながら、綱のあとを必死で追いかける斎信が、熊笹の途切れた場所で綱と共に見たものは。
たとえようもなくかわいらしい獣(けもの)がいた。丈の低い下草が生い茂っている少し開けた場所に、一尺ちょっとの黄色い獣が、ちょこんとした顔でこっちを見ている。思わず頬ずりしたくなるような、まるまるとした体。大きな頭につぶらなひとみのその獣は、器用にも人間と同じように2本足で立ち上がり、もみじの指の小さな前足を、おなかの前に垂れ下げている。
「…綱どの。天狗の眷属に、このような愛くるしい魔物がいましたか」
「い、いやわたしも存じませぬ。これ、そなた何者であるかな」
返答するとはまるで期待していなかったが、その獣は人間の言葉がわかるのかわからないのか、頭を左にちょっとかしげて、高いボーイソプラノで「ピカチュー」と返事する。ほっぺの部分もいちごのように赤く、黒く縁どられた大きな耳、殺人的にかわいい幼児体形だ。斎信はそのあまりのかわいさに、びくびくしていた気持が吹っ飛んでしまった。
「見たことのない生き物ですが、とても敵意があるようには思えません。つれて帰って今上にお見せしたい。本気で夢中になられますよ。愛らしさに宮中大騒ぎになるのが目に浮かぶようだ」
うっとりとそうつぶやくと、斎信は獣の方へ手をさし伸ばし、おいでおいでのまねをした。
「いけません頭中将どの。素手でさわるのは危険です。どれ、私が抱き上げて、危険がないか確かめましょうぞ」
「そんなこと言って本当は最初にさわりたいだけなんでしょう。私が先に」
「いやこのわたしめが」
しばらく大の男が二人もみ合ったあと、斎信の背中をぎゅうと押さえて、綱が小走りにその黄色い獣の方へかけよった。そして赤子を取り扱うように慎重に両手ですくい上げようとした途端、パーン!と獣から火花が散った。その獣が首をすくめてびっくりしたように目をつむった瞬間、全身から稲妻を発したのだ。
「み、み、道真(みちざね)公の使い魔だったとは、ふ、不覚…」
そうつぶやいたあと、うめきながら地面に崩れ落ちる綱。
頼りにしていた綱が気を失い、斎信は叫び声を上げた。
獣は、綱が動かなくなったのを確認するようにクンクン嗅ぎながら、ころがっている綱のまわりを2回ほど回ったあと、そのつぶら視線を、呆然と突っ立っている斎信の方へ移動させた。とても敵意があるようには見えないのに、この破壊力。
「や、やあ。ごきげんよう。見かけない顔だけど、君は話してわかる相手かな?何もしないよ。だから騒ぎを起こすのはやめにしよう」
手のひらを獣の方に向けて「降参」の意志を示し、とびきり愛想のいい笑顔で語りかけてみる。獣は斎信の言葉を聞き取ろうとするようなしぐさで、小首をかしげて耳をピクピクさせながら「キュウ」と鳴く。あんな破壊力のある稲妻を発するとはとても思えない、卑怯なほどのかわいさだ。
つかまえたいが、とても無事ではすまないだろう。それより、ここから生きて帰れるのか、まったく自信のない斎信だった。
「ひょっとしてわたしたちは、君の縄張りに踏み込んでしまったのかな?ならば謝るよ。だから」
黙って帰らせてくれないか、と言い終わらないうちに、獣がこっちをにらんだような顔で四つんばいになった。そして「ピカ!」と叫んだ瞬間、閃光が襲い、斎信の体が大きくはじけた。頭の先からつま先まで、しびれが走り、心臓をわしづかみにされたような衝撃が走る。
地面に叩きつけられた斎信の目に、こっちを見ている獣の姿が映る。あんなにあどけない顔をしているのに、鬼より恐ろしい畜生だ、そんな獣に出会った己の不運さを呪いながら、遠のく意識の中で、自分たちが消し炭のような黒コゲ死体で発見される状況を思い浮かべるのだった。


2003/11/11
山の辺ハイキングしてて思いついたモノ