迷子


その唐物商が公任の目の前に差し出したのは、小ぶりな黄瑠璃(黄色いガラス)の水差しだった。西の市でもかなり景気良く売りさばいているその商人は、時々掘り出し物を入手しては、こうして上流貴族の屋敷にこっそりと出入りして逸品をみせびらかしたり、あるいは買ったついでに市中の情報を落としていったりする。今回も、
「天竺より向こうの、はるか西域でつくられた逸品ですよ」
という商人の宣伝文句を話半分で信じていなかった公任だったが、その水差しを見るなりいっぺんに気に入ってしまった。
見た目以上に価値があるのでしょうかねえ、買われた方がめったなことでは手放さないとか。今ここにあるのも以前の持ち主がお亡くなりになられてようやく…おっとこれは失礼を。
いやあたくしとしましてもねえ、このような掘り出し物、そんじょそこらの殿上人ではなく、やはりお目のきくすぐれた趣味人に引き取っていただきたいもの、それならばとまず思いついたのが、他ならぬあなたさまでございまして…いかがでございますか。手放したがらない、その理由(わけ)を確かめてみたいと思いませんか。
商人の耳ざわりのよいおべんちゃらに適当に相づちを打ちながら、公任はすでに買う気でいた。あとはどれだけ値切れるかだが、今回の水差しは値段を執拗に叩くつもりはなかった。安価で手に入れると、この水差しのご機嫌を損ねるのではないかと感じたからだ。その代わりに商人から、大宰府あたりの近況などをこまかく聞き出す。商人は言い値で交渉が成立したため大変満足し、「またどうぞご贔屓に」と機嫌よく帰って行った。


見れば見るほど味のある水差しだと、公任は感心した。
冬の黄色い陽が少し傾きかけて、もうしばらくすれば女房が格子を降ろしに来るであろうひととき、公任は母屋から、よく陽の当たる欄干のそばに腰を下ろし水差しを眺めてみた。首から丸い底の部分にかけてや取っ手の形などは明らかにペルシャの意匠のようだ。明るい琥珀色の、不思議な流線型の水差し。今度は水差しを陽にかざしてみる。おだやかな金色の光が幾層にも重なり美しくうねる。夕焼け空の日の光にかざせば、さらに深い輝きが見えるに違いない。
「…はっくしゅんっ!」
日の光を見続けて鼻がムズムズした公任は思わずくしゃみをした。鼻をすすって、今度は水差しの中を覗き込んでみる。中はほの暗く、底がよく見えない。明るい陽にかざしているにも関わらず。
きっと、材質の厚さが胴体部分と底の部分で違うのだろう。光が吸収されているわけではないだろうが、妙に打ち消しあって、まるで内側をあらわにするのをためらっているかのようだ。
「……?」
中に何かある。ゴミクズでも入っているのか?あの唐物商め、大事な商品をきちんと手入れしていないらしい。まったく…まてまてもし外国からのゴミクズならば、貴重な貴重な情報源だぞ。
と、中をもっとよく見ようとした公任の顔に、水差しの中から飛び出したゴミクズがばちんっ!と思いっきり当たった。たまらずのけぞる公任。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ〜〜んっ!なのでございますっ!」
鼻血の出そうなほどアタックかましてきた虫が、人間の言葉をしゃべっている。
「…ゴッゴッゴキブリがしゃべってる…」
「ゴキブリではございませんっ!電書ボタル一族の電ボ三十郎という立派な名前が私には!」
状況がまったくつかめない公任だが、それはこの小さな虫も同様のようだった。敵意はなさそうだ。むしろかわゆいボーイソプラノで必死に自己主張している姿がなんともいやはや。
「…それは失礼した。ときに電ボ。これは君の家なのかな?」
公任が水差しの首を振って訊ねる。
「わっ私にも何が何だかわからないのでございますっ。満月ロードを歩いていたハズですのに、くしゃみの音が聞こえたと思ったら突然お日さまの光が差し込んできて、お日さまの方へと体が吸い込まれてしまったのでございますぅぅっ!あな恐ろしや〜」
満月ロードがどういうものなのかは知らないが、公任はおろおろあせっているこの迷子の小さな虫がとても可愛らしく思え、
「そうか。君はここ、この水差しの口から飛び出してきたんだよ。私は満月ロードというものを知らないが、もう一度この水差しの中に入ればもと居たところに帰れるんじゃないかな」
と、できるだけやさしく言ってみた。電ボは涙目で「おそれいりますぅ!」と叫び、水差しの口に飛び込んだ。なんだか静かになったので、公任は帰れたか、と思いつつのぞきこもうとしたら、栗がはぜたように飛び出してきた電ボに再び顔面パンチをかまされてしまった。
「だっ駄目ですぅ!どこもかしこも真っ暗で行き止まりでした〜っ!」
月光町にもヘイアンチョウにも帰れなくなってしまいました〜と電ボはおいおい泣き出し始めた。脳震盪起こしそうな顔面パンチから立ち直った公任は、この小さな生き物をおびえさせないように、おだやかな口調で、
「とりあえず落ち着こうか。はい、息吸ってスー。はい息吐いて。ハー。…そうそうその調子」
「いつも満月ロードを行き来していますが、こんなこと初めてでございます。普通にお使いに参ろうとしただけですのに。どうしてこんなことに〜」
何と礼儀正しい物言いする虫だ。公任は感心した。
「出てきた道があったのだから、必ず帰れる道も見つかるとも。安心しなさい。帰れるまでずっとここに居てもいい。追い出したりなんかしないし、見世物小屋にも売り飛ばしたり(えっ)なんかしない。ところで電ボ」
どこからやって来たのかい、と訊ねようとしてやめた。公任自身が人から詮索されるのを好まない性質だからだ。それに質問攻めでこの小さな生き物をおびえさせるのも可哀想な気がした。言いたければ自分から言うだろうと思って、「まあ座りたまえ」と続けた。迷子になってしょんぼりうなだれている小さな生き物はこれまた上手に足を折りたたみ、ちんまりとお行儀よく正座した。公任もつられるように座りなおす。
「せっかくママさまがつくってくださったプリンが。おじゃるさまの母上さまがとても楽しみにしてくださっているのに。ハァ…」
「そういえば君はさっきお使いがどうとか言ってたね」
「カズマさまのママ上さまが、年の暮れのごあいさつにとプリンを作ってくださったのでございます。おじゃるさまの母上さまはママ上さまのお作りになったプリンがことのほか大好物で〜」
電ボは羽の内側にしまっていた風呂敷の包みを出した。風呂敷を丁寧に広げ、中の箱のフタを開けるとそこにはプリンが六つ。
もちろん公任はプリンというものを見たことがない。だが、このやさしいたまご色したものから漂ってくる、嗅いだことのないくらい強く甘い香りには驚いた。例えようのないほどうっとりと芳醇な香りがする。そして電ボはこれが食べ物だと言う。
「このまま帰れないと、ママ上さまのせっかくのご好意がムダになってしまいます〜」
電ボが眉尻をさげてしょんぼりとつぶやく。
「元気を出したまえ。お腹は空いてないかい?何か用意させよう」
「私、おにぎりがことのほか好きでして〜」
知らない場所でさぞや不安だろうにはきはきと自己主張するとは、こんなに小さいのになかなか胆のすわった子だな、と公任はなんだか可笑しかった。
女房たちに塩味の握り飯を持ってこさせると、電ボが顔を輝かせる。
「見ず知らずのお方ですのにこんなによくしていただいて〜何とお礼を申してよいやら」
「私は礼儀正しい物言いする者が好きなだけだよ」
「お返しできるものが何もございません…あっ良いことを思いつきました!このプリンをおひとついかがでございますか!」
「ははは。とてもうれしい提案だが、それではママ上さまとやらの作られた贈り物がひとつ減ってしまうだろう?気持ちだけ受け取っておくよ」
「いえ、よいのです〜…このプリンが新鮮なうちに帰れるとは思えません。傷んで捨ててしまうのは、ママ上さまに申し訳なさすぎます〜」
電ボが握り飯の横にそっと置いたプリンを、公任はジッと見つめた。さっきから、なやましいほどの甘い香りが鼻をくすぐり続けている。はっきり言って、のどから手が出そうなくらいこの芳香のとりこになっている公任だ。口にすればとびっきり美味しいに違いない。本音をいえば、彼は先ほどから「食べてみたい」と言いたくて仕方ないのだった。けれど子供の手からものをひったくるようなマネはできない。物欲しげな態度をぐぐっとこらえ、
「ではひとつだけ頂こう。そのひとつに願掛けだ。
『あとの五つが大切な人たちの口に入りますように』
と念じながら真剣に食べるとしよう」
「はいっ!私も一生懸命お祈りするでございますっ」
さっそく白銀の匙ですくってみる。ぷるぷるんと一瞬ふるえたかと思うと何の抵抗もなくそのかけらが匙の上に乗る。なんと柔らかな。口に入れると、味わったことのないほどの濃厚な甘さが舌の上で溶ける。
「素晴らしくおいしい。きっと天子さまでも食べたことないよ。電ボもどうぞ。半分こしよう」
わあい、と言ってるかのような笑顔で電ボは羽ばたいた。空中をホバリングしながら大きなスプーンを器用に口に運ぶ。冬の日の傾いた簀子(すのこ)縁に、長く伸びる二つの影が仲良く向き合っていた。
「そういえば電ボが飛び出したとき、『呼ばれて飛び出てナントカ』とか叫んでいたが」
「満月ロード内で不測の事態に陥ったとき唱える呪文にございます〜。誰が最初に唱えたのかどんな意味があるのかさっぱり存じ上げませんが、ロードを歩くものならみんなが知っています〜」
こちらが呼んだわけでもないのに『呼ばれて』と叫んだものだから、手がかりのひとつもあるかと思ったが。かわいそうに、電ボの保護者はさぞかし心配していることだろう。変わった生き物を預かることになったが、悪さしそうな化け物ではなさそうだし大飯ぐらいでもなさそうだし、何と言ってもこんな見たことも聞いたこともないような贅沢な食べ物を味わわせてくれた小さな妖精(えっ)に感謝だ。いつまでも居ればいいさ。そうして満月ロードとやらの向こうの世界の不思議な話を、退屈な日々を送るこの私に教えておくれ。


弱々しい黄色だった陽はさらに傾き、西の空が夕焼けに染まり始めた。
「…っはっくしゅんっ!」
どうも私は日光をまともに見るとくしゃみをしてしまうようだ…公任はムズムズする鼻をすすりあげた。と、電ボが突然悲鳴をあげた。
「あっあっあああ〜〜体が〜体が回るでございます〜っ!」
見ると電ボの回りに小さな竜巻が起こって、水差しの口の方へと向かっている。公任はとっさに残りのプリンを風呂敷の中へと放り込み、
「電ボ!これを!」
と電ボに押し付けた。
「あああありがとうございます〜〜まだお殿さまのお名前もお伺いしておりませんのに!先ほどのおにぎり、かたじけのうございました〜!」
それだけ叫ぶと、電ボはクルクルと回りながら、竜巻とともに水差しの中へ吸い込まれていった。公任は大あわてで水差しを引っつかみ中を覗き込んでみたが、相変わらず底は見えにくく、生き物がいる気配は何もなかった。
戻れたんだな。きっとそうだ。
陽の傾き始めた空が夕焼けに染まるまでのわずかな間の出来事。
公任は夢かとも思ったが、空の器と白銀の匙、そして自分の口に残る甘い甘い芳香が、現実の出来事だったと告げている。
いつかまた会う機会があったなら、きちんと名を名乗らないと。それとプリンのお礼もしなければ。
それまでこの水差しは大切に、それはもう大切に大切に扱おうと決めた公任だった。


2008/1/28
水差しの形はハクション大魔王の壺を想像してもらえれば(爆)