ヤマタノオロチ



公任は前方を行く一行を眺めている。
彼の視線の先には、枯れ草を山のように抱えている頭の中将とその部下数人が歩いていた。
(どうしてもっとサクサク歩かないんだ。追い越さなきゃならないじゃないか。うーんシカトして追い越そうか。あんな荷物を抱えているヤツらに挨拶したって、ロクな目にあわん)
触らぬ神にタタリなし。扇で半分顔を隠し、何も見えていないふうで横を通り過ぎようとしたのだが。
「やあ!こんなところにありがたい人手がいるぞ。助かったよ我が親友」
と、目ざとく声をかけられる。
扇の陰ででチッと舌打ちした公任はため息をつくと、さも今気がついたような顔をして、
「おやおや!誰の声かと思ったら頭の中将殿じゃないか」
わざとらしく驚いてみせた。
「これから草焼きをしなきゃならないんだ」
「ほおお。それも仕事の一環か。最近は近衛府もいろんな仕事を手広くこなしているんだな。いやいや本当にご苦労さん。じゃあな」
「おいおい待ってくれよ。違うんだ。知ってるだろ。宮中で行われる大祓(おおはらえ)に合わせて、中宮が朝所(あいたどころ)にお移りになったのを」
「ああ。そんな説明口調にならずとも知っている。登花殿から職の御曹司に直接お渡りになるのは、確か方角が悪かったはずだ」
「方違えでいったん朝所にお移りになったはいいが、いかんせん建物が古い。ムカデがひっきりなしに落ちてくるという苦情が出てね」
「それは恐いな。おちおち寝てられやしないだろう…そうか、その枯れ草は、ムカデを煙でいぶして駆除するためか」
「察しがいいな。そうなんだよ。中宮は父君の死に大きな打撃を受けておられるので、できるだけ配慮をしてさし上げるようにとの今上の仰せだ」
「慈悲深い御言葉だ。確かに、朝所はムカデの多発地帯だ。風通しも悪くておまけに暑い。そりゃあストレスもたまるだろう。だが、そんな諸雑事は、移る前に済ませておくべきことじゃないのか?だいたいおまえのするような仕事か?中宮大夫の…」
怠慢だな、という言葉は、今は言ってはいけない言葉だった。ただ今の中宮大夫は道長殿であり、ほんの4、5年後には入内できる年齢の、美しい手駒を持っている。強力すぎる後見をなくした定子中宮の面倒をみるメリットなぞ、もはやあろうはずもない。
「私は今上の御ためのみに働いているんだよ。あの気の毒な墨染めの女王に配慮を、と仰せなら、身を粉にして働こうじゃないか」
そうか。それじゃがんばれよ。
とはとても言えない。
「一時的な仮の宿とはいえ、朝所には一週間近く滞在されるはずだったな。居心地よくしてさし上げるのが、中宮サロンの常連たる者の義務だと思うぞ。仕方ない、では私も人肌脱ぐことにしよう」
「助かるよ!ここに居る部下たちは母屋の中には入れない身分の者たちなんだ。君なら私と一緒に母屋に入れるからありがたい」
「おまえのためじゃないぞ。仮の住まいで不自由な思いをしておられる中宮とその女房たちと、何よりも御心やさしい今上の御ためだ」
「それじゃあ、気が変わらないうちに!さ、腕を広げてくれ」
斉信は強引に自分の抱えていた枯れ草の山を公任に押しつけ、自身は部下から均等に枯れ草を分けてもらう。部下たちの抱えている山の高さが、彼らの額が見えるくらいにまで低くなった。
「しかしよく考えてみればおかしな理屈だよね。大祓するから、触穢(しょくえ)の人間に出て行けなんてさ。中宮もついでに清めてもらったらいいんだよ。そうは思わないか?公任」
「そうだな。喪中で穢れている中宮が、内裏で堂々と暮らしていることに問題アリと言うのなら、ついでにお祓いさしてもらいましょか、と誰かが言うと思っていたんだがな」
「誰が」
「高内侍の一族とか」
「あははは。隆家殿くらいなら臆せずに言いそうだねえ。なにしろ隆家殿は道長殿と仲がいい。しかし二位の新発意(しんぼち)殿なら、お祓いの儀式の中に得体の知れない修法でも紛れ込ませそうだ」
「とにかく、愛想笑いを振りまいてとっとと済ませてしまおう。昼には大祓の準備も待っているんだからな」
枯れ草を抱えた一行は、「煩わしい事だ」とか何とか言いつつも、結構楽しそうに歩いている。それは目的地が女だらけの園だということと、その女の園が、美しき女主人の人柄を反映して、ウィットに富んだ会話と心地良さを提供してくれる空間だからだ。
頭の中将たちが朝所に入ってしばらくして、建物の出入り口のあちらこちらから、枯れ草を焼く香ばしい煙がうっすらとたなびきだした。あたりに鄙びた、けれどやさしく懐かしい匂いが漂い始める。明るく平和な夏の朝だった。


それから四半時もしないうちに。
ダンッ!ダンダンッ!ダンダンダンッ!ダダン!!
バシッ!バシバシッ!バンバンバンッ!!
床を踏み鳴らす荒々しい足音と、何かを叩くような音が聞こえてきた。
その暴力的な音に混じって、女の泣き叫ぶ声と男の怒声も聞こえる。
「きゃああ〜〜〜裾の中にいいい!!」
「げほげほ、この野郎ブッ殺してやる!!」
「木槌で叩き潰せ!そこにいるぞ!」
「げほげほ、屏風が壊れてしまいますっ!」
「いやあああ炭バサミの上を這って来ないでええええ!!」
朝所は、すっかり頭に血が上った男女の狂乱の場と化していた。枯れ草を火取りに詰め込んだはいいが、小じゃれた薫炉よろしくささやかに立ち昇る煙なんぞに参るムカデではなかった。仕方がないので斉信の部下たちは松明状に木切れを集め、片方に枯れ草をいっぱい詰め込み火をつけて、屋根の下の梁や薄暗い場所をうごめく忌まわしい昆虫たちをいぶすことにした。松明を高々と掲げて何人もの男女が歩き回る。この作戦はある意味大成功だった。が、濃く熱い煙に耐え切れず落ちるムカデ、うねうねとすばやい動きで逃げ回るムカデで屋内が修羅場になることは想定外だったようだ。
ムカデもケムいが人間もケムい。おまけに朝所は風通しが悪く、開け放しているのにも関わらず几帳の内側では煙がうっすら充満している。ここの屋根はかっちりとした瓦葺きのため、スキマのある茅葺き屋根のように煙が上へ逃げる事もできない。
非常事態の加勢として部屋に入る事を許された部下たちも混ざって、何度も何度も踏み潰す。もう止められない。
「ちくしょう!ギッタンギッタンにすり潰してやる!」
額に汗が浮き、髪は乱れ、丁寧なしつらえの極上の冠が傾くのも気づかぬほど潰しまくる公任。普段のすまし顔からは想像もできないような野蛮な言葉を発する男がそこにいた。
松明の先に詰め込んだ草の火の粉が調度類に燃え移らないようにするのがせいいっぱいで、床に落ちまくる灰なんて誰も気にする余裕はない。松明を作り始めた早い段階で、
『殺生はなるべくしないでね。もう二度と来ないように言い聞かせれば、たとえ小さな虫でもきっとわかってくれるわ』
と言って離れに避難した中宮は、多分賢明だ。
「げほげほ、バカにしやがって!なめるな!待てこら!!」
叩き殺す執念に取り憑かれた斉信が怒鳴り声を上げながら、執拗に何度も何度も笏(しゃく)を打ち下ろす。ほとばしる汗、鬼のような形相。鮮やかな緋色の衣装を乱しながら、獲物を探して次から次へと笏を打ち下ろす。
恐怖のあまり、木槌で壁を叩きまくる女房、踏んでも踏んでもうねうねと逃げようとするムカデを、狂ったように踏み続ける部下。何より、後宮女房あこがれの的の斉信と公任が野蛮な怒鳴り声を上げながら、建物が揺れんばかりに暴れまくっていることが恐ろしい。何も知らない人間が今この建物に立ち寄ったら、戦慄の光景に意識が薄れていくに違いないだろう。どうしてこんな錯乱状態になったのか。いや、理由なんてない。おぞましい動きをする昆虫を見ると半狂乱になるのは人間の本能なのだ。一目散に逃げ出す者、わけのわからぬ雄たけびを上げながら叩き潰す者、反応はそれぞれだが、こみあげてくる恐怖の衝動は、理性ではどうしようもないのだった。


かくして、煙で涙をにじませ無我夢中で踏み続けた跡には、原形がわからないほどすり潰れて息絶えた、かつてムカデだった破片と枯れ草の燃えた灰が、いたるところに散らばっているのだった。
「ぜいぜい」
「はーはー」
肩で息する斉信たち。完全に燃え尽きてしまったのか、ガクリとひざを床に落とし、顔を上げることもできない。
斉信とその部下たちプラス公任に、大祓に参加する気力はどこをどう見てもなさそうだった。




2006/2/28
枕草子『故殿の御服のころ』より。