まったく…



「やあ、月が雲に隠れたぞ。ますます好都合だな」
「一刻ほどこのままかげってくれれば、見た甲斐もあるというものだが」
七月中旬の、いつものむし暑い夜には変わりない。が、明日には満月という、この一夜だけは特別な日。その特別な一夜を満喫するべく、斎信と行成は北の対の階の根元に座っていた。
年に数度の今夜は流星の降る特別な日。特に今宵は、もっとも美しく、もっとも大きな流星が見られる特別な夜。
星の異変には元来、凶兆のものが多いが、いつも決まった月に、決まった飛び方をする流星群は、いまではその対象ではない。
月が雲に隠れて、見上げる天の川の淡い光がさらに輝きを増す。その光の帯に、とっぷりと浸っているのは五軍の星々(カシオペア座)。天の北極をあいだにはさんで、北斗七星とともに北の夜空をくるくる回るこの星たちは、決して地平線に沈むことなく、一年中燦然とした輝きを放っている。宝玉のように輝く五軍の一点から四散する流星群…だが、出現するのはいつも満月に近い二日間だけで、よく晴れた夜空なら流星は月の輝きに負けて見えにくいが、今年は月より曇り空がじゃまをする。
昨夜は空全体が雲におおわれて、星そのものが見えなかったが、今夜はうまいぐあいに天の北側にぽっかりと大きな穴が開き、雲の奥に、横たわる天の川が柔らかな光の流れをのぞかせた。
「あ」
ふいに大きな流星が視野の一点から飛び出し、夜空を一直線に斬っていく。目のさめるような明るさ。
「天の使いなり。上より降るを『流』といい、下より昇るるを『飛』といい、大いなるものを『奔』という。奔もまた流星なり。今のは奔だろうか」
「今夜は不吉な例えはナシだよ。瑞兆でも凶兆でもない、ただの自然現象なんだから…あ、あそこ」
視界を、銀の糸が四散していく。ひとつが消えると、そのあとを追うように、次々とあいだをおいて現われる。速く明るい流星は痕を持ち、それが消えないうちに出現した別の流星は、さらに扇のように広がってゆく。
斎信が夜空を指差して、感に堪えたようにつぶやいた。
「…見ろよ、行成。この鮮やかな流星を。今夜は大当たりだ。おまえはこれを見て、どう思う?」
行成は空を見上げなおす。
「たしかに綺麗だとは思うが…気まぐれだな、いつ、どこから飛び出して来るかわからない」
「それだけかい?」
「ああ、それだけだ。星を観察するのは陰陽師の仕事だからな」
行成の返事に、斎信が苦笑する。身じろぎして行成のすぐ横に座り直した。
「そうだまだあったぞ斎信。流星が光っているあいだに願い事を三度唱えれば、その願いがかなうという言い伝えがあったのを思い出した」
流星は、天子が空の扉を開いて下界をのぞいたときに漏れ出る光。つまり、天子がのぞいている間に願いを三度唱えれば、その願いを聞き入れてくれるらしい。
「それなら今夜はかなえられ放題だなあ」
「いくつも流れてはいるが、ひとつひとつはあっという間に消える。三度唱えきるのは相当大変だ。欲張らずに、しかも早口の省略形で唱えないと」
以外にも張り切って願い事を考えはじめた行成だ。
「うわさでは、『イロジロ・カミクロ・カミナガ』と唱えると美人になれるらしい。『八寸・八寸・八寸』と叫べば背が伸びるとか。あと、好きな人の名前をつぶやけば、恋が成就するというのもある」
「くす、行成…おまえ、以外に早口ことばが苦手なんだなあ」
その言葉に行成はムッとした顔を見せる。
「斎信も早く考えろ。雲が広がってきたら、せっかくの願いかなえられ放題のチャンスを逃してしまう」
「はいはい」
恋しい人の名を三度。降るような流れ星のひとつひとつに祈ったなら。
「本当に天子がかなえてくれるのなら、私は何度でもつぶやくよ。ユキナリ・ユキナリ・ユキナリって。ふふ、早口は得意なんだ。ほら、あそこ。
最初の流れ星の軌跡を次の流星が追いかけてゆくよ…ステキだ!
最初に飛んだ星がおまえ、あとを追いかけているのが私。いつでも、どこにいても、私の心はおまえを追いかける。どうだい、それがまるで天にも祝福されてるようじゃないか」
声を低く落として斎信はそうささやきながら、すぐ横に並んで座っている行成の肩に手を伸ばし、そのまま背中に移動した。
一連の動作があまりに自然だったため、何も異変を感じない行成。いつのまにやら斎信の腕が行成の腰に降りて、ぎゅっと強く引き寄せられる。途端に行成の拳が斎信のわき腹にくい込んだ。うめきながら体をくの字に折り曲げて、斎信は地面によろけてうずくまる。
「何をするっ!…うわー危なかった!斎信、あなたはいつもこんな風に女人をくどいているのか。あまりにも自然な動きに気がつかなかった。あのな、もっと誠実さを前面に出さないと、これではあまりに物馴れていて、相手の女人に不信感を抱かせかねないぞ。
それじゃあ、私はこれで失礼する。ナンパの実験台になるのはごめんだから。あとはひとりで流星を眺めていてくれたまえ」
「そんな!これからがいいところなのに!待ってくれ行成!夜が明けるまでおまえと一緒にいようと思ったのに!行成!」
斎信の、すがる腕を振り切って、立ち上がった行成はスタスタと帰ってしまった。
「どうして…行成…ぐすっ。ナンパの実験台なんて、君をそんな扱いするわけないじゃないか…」
流れる星を涙目で見つめながら、ひとつひとつに何度もくり返して愛しい人の名を叫ぶ斎信。祈りが天に通じるかどうかは星のみぞ知る、である。
一方、簀子を踏みしめて歩いている行成は、といえば。
斎信の馬鹿野郎。まったく、いつもあんなふうに女人をくどいているのか。なんてナチュラルに甘ったるい言葉が吐ける人なんだ。
雲から顔をのぞかせ始めた月を見上げながら、恋愛キャリアの差を痛感しているのであった。


2003/8/19